朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
追悼の仕方 2018.5エッセイ・リストback|next

ミロス・フォアマン監督 ※画像をクリックで拡大
 映画監督Milos Formanがなくなった。日本でも各紙が報じた。なかでも、「映画監督ミロス・フォアマンを悼む」という朝日新聞の記事(4月30日付け朝刊)は秀逸だ。新聞記者らしく、指揮者のNeville Marrinerに直接インタビューした、その時の思い出話を活用しているところが心にくい。筆者はフォアマンの代表作『アマデウス』Amadeusに焦点をしぼって、彼に原作戯曲の作者Peter Shaefferと、選曲・演奏を担当したマリナー自身とをくわえた「3人の遊び心の結晶」と評し、その結果、「パラダイムの変換」がおこり、「高みに鎮座する芸術が今の時代を生きる私たちの手の中にすとんと落ちてきた」と書くのだが、作品の特色を言い当てているのではないか。
 同じ追悼文でも、「ル・モンド」紙に載った記事(4月17日付け)はまるで趣が違う。むろん、朝日の方は文化・文芸欄で扱い、映画評の枠組みを守っているのに対し、ル・モンドの方は物故した名士に1ページを捧げるDISPARITIONS「死去」の欄で扱われているから、そもそも土俵がちがっていることは否めない。それを承知の上でいうのだが、わたしが興味をおぼえたのは、記事の良し悪しではなく、悼み方の違いである。
 ここでは、当面『アマデウス』の取り扱いを軸に、ル・モンドの記事の流れを辿って、朝日との違いを探ってみることにする。
 まず、このチェコスロヴァキア出身監督(1932年生まれ)がハリウッドの監督になる前の反体制的な姿勢が問題になる。彼の初期作品は、1968年にAlexandre Dubcekによる自由化の後でようやく国内での公開が許されるようになったが、それまでは、共産党政府からles manifestations de la dégénérescence du système socialiste qui les a obligés à envahir le pays「国に蔓延せざるを得なくなっていた社会制度退廃の表れ」を暴きだし映像化したものとして取締りの対象になっていた。その後、「プラハの春」は一時的なものにとどまり、ソ連軍による援護で共産党独裁が復活するのだが、それを知った彼は、故郷を捨ててアメリカへ渡ることを余儀なくされた。そして最初に撮った作品がTaking Off『[邦訳名]パパ/ずれてるゥ』だが、これはアメリカの若者にはうけたものの、興行的には大失敗。
 Taking Off ne rapporte pas 1 cent à son réalisateur.
 「『パパずれてるゥ』は監督に1セントの利益ももたらさなかった。」
 興行成績がものをいうハリウッドの掟を思い知らされた恰好である。そのため、彼は従来のチェコ風から抜け出す一方、製作に時間をかけるタイプの監督になった。そして、4年後の1975年One Flew Over the Cuckoo’s Nest [仏]Vol au-dessus d’un nid de coucou『カッコーの巣の上で』を発表した。「カッコーの巣」すなわち精神病院を舞台にした、陰惨で、救いのないフィルムである。
 Sorti au moment de la défaite américaine au Vietnam, Vol au-dessus d’un nid de coucou résonne avec les désillusions du moment. C’est un immense succès aux Etats-Unis et dans le monde entier. Distribué par United Artsites, le film rapporte 120 millions de dollars et remporte cinq Oscars (film, réalisateur, acteur, actrice et scénario). C’est à ce moment que le réalisateur prend la nationalité américaine et fait venir ses fils de Tchécoslovaquie.
 「『カッコーの巣の上で』はヴェトナムでのアメリカ敗戦の時に封切られたので、当時の幻滅の風潮に共鳴した。それは米国でも世界中でも大当たりだった。この作品は、ユナイト映画配給で、1億2000万ドルの興行収益をあげ、5部門のアカデミー賞(作品、監督、主演男優、主演女優、シナリオ)を獲得した。この時にようやく監督は米国籍を取得し、息子たちをチェコスロヴァキアから呼び寄せた。」
 東欧出身の反体制派で、無一物からの出発を迫られた「移民」が、今や盛名を得て、資金供給に不安がなくなった。こうして『アマデウス』を映画化するお膳立てが整った。
 Milos Forman décide de tourner Amadeus à Prague et mène lui-même les négociations avec les autorités tchécoslovaques . Contre la promesse que le cinéaste ne rencontre pas de dissidents (Vaclav Havel vient d’être emprisonné), et quelques millions de dollars destinés à l’organisme gouvernemental qui chapeaute le cinéma tchécoslovaque、Milos Forman peut travailler de nouveau dans son pays.

「アマデウス」のモーツアルト絵 ※画像をクリックで拡大
 「ミロス・フォアマンはプラハで撮影しようと決意し、チェコスロヴァキア当局との交渉をみずから買って出た。反体制派(ヴァースラフ・ハヴェルが投獄された直後だった)とは会わないこと、またチェコ映画界を牛耳る政府機関に数百万ドルを支払うこと、この約束を交換条件として、ミロス・フォアマンはもう一度祖国で仕事をすることが出来るようになった。」
 当時のチェコスロヴァキア社会主義共和国では、ドプチェックから権力を奪ったGustav Husak共産党第一書記が専制政治を布いていた。この政府に対し人権侵害を批判する反体制派知識人がCharte 77「憲章77」を発表、その趣旨に賛同した内外の知識人が署名して世界中の評判になった。運動を先導した劇作家ハヴェルは弾圧の憂き目を見たが、1989年のRévolution de velours「ビロード革命」の結果、復権し、大統領になったことはよく知られている。しかし、上記のようにフォアマンの撮影期間は獄中にいた。言いかえれば、『アマデウス』はフサーク政権絶頂期のプラハで製作されたことになる。
 Critiqué pour les libertés qu’il prend avec la biographie de Mozart, Amadeus, sorti en 1984, est un succès, qui accumule huit Oscars. Selon les critères hollywoodiens que sont la notoriété et la rentabilité, Milos Forman a atteint le sommet de sa carrière.
 「モーツアルトの伝記を勝手に変えたことで批判を受けたが、『アマデウス』は1984年に封切られ、ヒットし、8部門のアカデミー賞を積み重ねた。名声と収益性とからなるハリウッドの基準に従えば、ミロス・フォアマンは経歴の頂点に達したのである。」
 要するに、この映画が彼の代表作であり、映画史にのこる傑作であることを認めている点では両者の意見は一致している。ただ、その上で、ル・モンドの記者にわたしは共鳴したい。というのも、フォアマンが移民として新天地にとけこみ、アメリカン・ドリームの成功例になったことを記者はついつい強調してしまうのだが、その裏には、今や欧米諸国に広まっている移民受け入れ反対の風潮があり、記者がいだく懸念の深さを察しないわけにはいかないからである。

 
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