朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。

大統領の弔辞(1) 2019.10エッセイ・リストback|next

J.シラクの葬儀 ※画像をクリックで拡大
 9月27日にシラク元大統領が亡くなり、Emmanuel Macron大統領がallocution télévisée 「テレビ演説」で弔辞を述べた。Mes chers compatriotes「同胞のみなさん」(ド・ゴール大統領のラジオ演説ではFrançaises et Françaisだったように記憶する)の呼びかけのあと、第一声は Le président Jacques Chirac nous a quittés ce matin.
 「今朝ジャック・シラク大統領がわたしたちの元から旅立たれました」だった。
 思い返せば、当のシラク大統領は1996年1月8日、同じElysées宮の大統領官邸からミッテラン大統領を追悼するメッセージを発信した。
 Le président François Mitterrand est mort ce matin.
 「今朝フランソワ・ミッテラン大統領が亡くなりました」。mourirを変えただけのことで、マクロンは書き出しの形を引き継いだわけだ。
 この追悼演説でシラクはFrançois Mitterrand était une œuvre.
 「フランソワ・ミッテランは一個の作品でした」
 という名文句を吐き、評判になった。では、マクロンはシラクをどう評したか?
 Jacques Chirac était un destin français.
  「フランスのある運命の姿そのものでした」
 うまく決まったかどうかはともかく、シラクの向こうを張ろうとしたことは疑いない。
 先例の継承については、10分を超えるマクロン演説の終わりにこんな件がある。
 Il mit ses pas dans ceux du général de Gaulle et du président Pompidou qu’il aimait tant ; dans le respect de chacun de ses prédécesseurs ; Valéry Giscard d’Estaing puis François Mitterrand pour lequel il sut trouver des mots lumineux lors de sa disparition.
 Notre pays est fait de ces transmissions qui portent leur mystère et nous dépassent.
 「彼は深く敬愛するド・ゴール将軍とポンピドゥー大統領の踏み跡を辿ってきました。先任大統領、ヴァレリー・ジスカール・デスタン、つづくミッテランを敬い、後者の逝去に際しては見事な弔辞を残しました。わが国はこうした、歴代大統領の神秘をつたえ、わたしたちを超えて後世につながる継承・伝達行為を通じて形成されているのです」
 10月22日、日本では伝統的に大嘗祭と呼ばれる「皇位継承」succession au trôneの儀式が行われた。「天皇制」régime impérialの国では当然のことだが、フランスのような共和国でも、とりわけ大統領の権限がつよいla Cinquième République 「第五共和政」においては、大統領から大統領への権力の継承が重要視されることが見てとれる。
 さて、過去とのつながりと並んで、マクロン演説で注目されるのは、故大統領の業績として国民同士の結合・連携に尽力した点を強調していることだ
 Le président Chirac incarna une certaine idée de la France. Une France dont il a constamment veillé à l’unité et la cohésion et qu’il a protégé courageusement contre les extrêmes et la haine.
 「シラク大統領はあるフランス像を体現していました。国が一体性と緊密なまとまりを保つように彼がたえず注意を怠らなかったフランスであり、極端な考え方や憎しみから彼が勇敢に守ったフランスです」
 l’unité et la cohésionと類語をあえて重ねていることが目をひく。なぜなのか?
 察するに、この背景には、民主主義国をリードするはずのアメリカ大統領の統治姿勢があるのだろう。その手法を極言すれば、自国民の中に意図的に対立をもちこみ、国論を分断させ、そこに生じる緊張を自らの権力を支えるエネルギーに変える、そんなことになる。ところが、フランス大統領のシラクはそれと正反対の道を目指し、それを貫こうとした。マクロン演説は故人の功績を称える形をとりながら、それが自分自身の政治信条でもあることを訴えているのにちがいない。

マリーヌ・ル・ペン ※画像をクリックで拡大
 les extrêmesというのは、第一義的には、フランス社会を脅かす極右勢力であり、シラク候補と大統領選を争ったJean-Marie Le Penの率いるFront National「国民戦線」を指すと見るべきだろう。シラクはル・ペンに大勝した。しかし戦いはそれで終わらなかった。彼の娘Marine Le Penを党首とするRassemblement National「国民連合」はその後移民への憎しみ、Eu「ヨーロッパ連合」への憎しみを掻き立て、欧州議会での国内第一党にまで勢力を伸ばした。そしてその勢いを駆って、2017年の大統領選挙では決選投票に進み、マクロンと対抗するまでに至った。勝ったのはマクロンだったとはいえ、極右勢力への支持者を無視できなくなったのが現状だ。その意味では、今回の弔辞は、我こそは故人の後継者であることを主張する絶好の機会になったことになる。
 しかし、les extrêmesやla haineについては、国内を離れて現代世界を見渡す必要がある。悲しいことに、Chiracの対極に聳え立つTrumpがすぐに目に浮かぶ。彼は、「極端な考え方」「憎しみ」を民主主義の敵と見て、それから国を守るどころではない。あろうことか、逆にそれを煽り立て、政権維持の道具にして恥じない。彼はともすればracisme「人種差別主義」を容認し、migrant「移民、出稼ぎ労働者」排斥をしきりに説いて、ついには国費を投じて、時代錯誤もはなはだしいla Grande Muraille「壁;万里の長城」を築いてしまった。
 弔辞の別の箇所で、シラク大統領はune France indépendante et fière「独自性がつよく誇り高いフランス」を体現したとされ、une intervention militaire injustifiée lorsqu’il refusa en 2003 l’invasion de l’Irak sans mandat des Nations unies「国連の委任なくして行われるイラク侵攻を2003年に拒否した時、正当性のない軍事介入」に反対の立場を貫いた事例があげられている。Bin Ladin一派による同時多発テロ事件への報復攻撃に夢中のBush大統領に対し、Blair英首相は追随したのに、フランスは反対姿勢を崩さなかったことは記憶に新しい。「誇り高い独自性」はド・ゴール大統領以来の伝統で、とりわけシラク大統領はgaullisme「ド・ゴール主義」の信奉者だったから、その真骨頂が発揮された場面だろう。 しかし、忘れてならないのは、この態度は現在のトランプ大統領に対するフランスにも引き継がれていることだ。
 演説はさらにつづき、シラクが体現したフランス像を列挙していく
 Une France qui regarde son Histoire en face, dont il sut reconnaître, lors du discours du Vel’ d’Hiv, les responsabilités dans les heures les plus sombres de la Seconde Guerre mondiale.
 「自国の歴史を直視するフランスです。ヴェル・ディヴ演説の際には、彼は第二次世界大戦中の最も陰惨な時代における事件について自国の責任を認めることができました」
 謎めいた文章だが、紙面が尽きたので、この解説は次回にゆずる。

 
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