朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
 
シャルトル巡礼 2025.6エッセイ・リストback|next

シャルトル巡礼 ※画像をクリックで拡大
 今年のPentecôte「聖霊降臨の主日」(イエス復活の50日後、信徒たちの上に聖霊が降臨した)は6月8日。フランスでは翌月曜日は祝日となる。それを期に毎年Parisからla cathédrale de Chartresを目指して100キロの道を歩く、これがpèlerinage de Chartres「シャルトル巡礼」である。フィガロ紙(6月8日付)は伝えている。
 Ils sont partis à 500 en 1983. Ils seront 19 000 pèlerins en 2025 sur la même route de Chartres, depuis Paris, samedi matin. La 43e édition du Pèlerinage de chrétienté s’impose, année après année, comme un événement incontournable de cathoritisme français. Les pèlerins sont attendus ce lundi de la Pentecôte dans la prodieuse cathédrale chantée par Péguy.
「1983年には500人が出発した。2025年には1万9000人の巡礼者がシャルトルへの同じ道をパリから今週土曜日(6月14日)に出発するだろう。43回目を迎えるキリスト教巡礼は年々フランスカトリック教世界で避けて通れない行事として迎えられるようになった。巡礼者たちは聖霊降臨の主日後の月曜日にペギーに歌われた驚異の大聖堂のミサに参加する」
ここに出てきたCharles Péguy(1873-1914)が大聖堂を歌った詩篇については、別の機会に取りあげるとして、さしあたり巡礼との関係にふれておこう。それというのも、現在のような巡礼のキッカケとなったのは、息子の重病だったからだ。
 1912年夏、次男がジフテリアで死に瀕した。カトリックの信仰に打ち込んでいた彼は聖母マリアに祈った。翌年6月、全快した息子らをともなって(残念ながら、息子は途中まで)、彼は巡礼に出かけた。いってみれば「お礼詣り」だろう。
 J’ai fait un pèlerinage à Chartres. Je suis Beauceron. Chartres est ma cathédrale. Je n’avais aucun entraînement. J’ai fait 144 kilomètres en trois jours. Ah ! Mon vieux, les croisades, c’était facile ! Il est évident que nous autres, nous aurions été les premiers à partir pour Jérusalem et que nous serions morts sur la route. Mourir dans un fossé, ce n’est rien ; vraiment, j’ai senti que ce n’était rien. Nous faisons quelque chose de plus difficile. On voit le clocher de Chartres à 17 kilomètres sur la plaine. De temps en temps, il disparaît derrière une ondulation, une ligne de bois. Dès que je l’ai vu, ç’a été une extase. Je ne sentais plus rien, ni la fatigue, ni mes pieds. Toutes mes impuretés sont tombées d’un coup. J’étais un autre homme. …(Magazine Phylosophie, 2023年10月29日刊。ペギー特集)
 「私はシャルトルに巡礼に出かけた。私はボース(北はシャルトルから、南は彼の出身地Orléansの森までひろがる大平原。小麦の産地として知られる)の人間だ。シャルトルは私の大聖堂だ。私はなんのトレーニングも受けていなかったが、3日間で144キロを踏破した。やあ、君、<十字軍>は簡単だったよ!明らかに、私たちはエルサレムに向けて初めて出立する巡礼者のようなものであり、途中で命を落としてもおかしくなかった。墓の中で死ぬ、それは何事でもない。全くのところ、何事でもないことを私は実感した。私たちは何かもっと困難なことに挑戦しているのだ。平原の17キロ先に大聖堂の尖塔が見えた。それは、時々、大地の起伏や木立の線の後にかき消える。それがまた見えたとたん、陶酔状態だった。私はもう何も感じず、疲労も、両足も感じなかった。私の穢れは一気にすっかり晴れた。私は生まれかわっていた…」
 「お礼詣り」どころか、日本流にいえば「禊」(みそぎ)を済ませることになったわけだ。  それから1世紀以上たつ。その間、ペギーの志した「十字軍」は何度も試みられたが、その中でもっとも組織的な企画がカトリック教会とは独自に在俗の有志によって結成されたAssociation Notre-Dame de Chrétienneté「キリスト教ノートルダム協会」で、それが、この10年、毎年8パーセントの割合で参加者を増やしている、とフィガロ紙は続ける。その理由は何か?
Comment interpréter la moyenne d’âge –20 ans—de ces colonnes pérégrinant chapelet à la main? Comment…la question de la « royauté du Christ », au cœur de cette initiative, attire à ce point au début du troisième millénaire?
 「数珠を手にした巡礼者の隊列の平均年齢-20歳-をどう解釈したものか?この呼びかけの核心にある<キリストの王国>という問題がどうして3千年紀初頭の今、これほど人を惹きつけるのか?」
同紙の記者に23歳の障害児教員のLillouは次のように答えている。 « Cet engagement vient d’une aspiration profonde pour retrouver le sens du sacré, de l’engagemnet pour la beauté de la vie, du don de soi, » explique-t-elle. « Peu importe la culture ou la croyance, cette quête transcende les frontières et s’oppose à l’indivisualisme de notre époque ». Pour elle, « le pèlerinage de Chartres incarne cette recherche, cette opposition au repli sur soi et à la course aux plaisirs individuels ». Ces trois jours « offrent un espace où l’on se reconnecte à l’essentiel, à nos racines chrétiennes, ensemble »(ゴチックの指示は朝比奈)


シャルル・ペギー ※画像をクリックで拡大
 「こうした熱中の元は、聖なるもの・人生の美しさへのコミット・自己犠牲を再発見したいという心底からの憧れです」と彼女は説明する。「教養や信仰は無関係、この探求は国境を超え、現代の個人主義に反対するものです。」彼女にとって、「シャルトル巡礼が体現しているのは、この探求であって、自己への執着や個人的快楽追及への反対なのです」。この3日間は彼女に「空間を提供してくれる、そこでこそ人間が本質的なもの、自分たちのキリスト教的な根元に今一度結びつくのです」
 23歳の発言とは思えないほど高尚なコトバが出てくることに驚くが、問題の核心をついていることはまちがいない。とりわけ、retrouver「再発見する」、se reconnecter「再度結びつく」のような語が印象に残る。re-という接頭辞は「再び」の意を示す。いいかえれば、この23歳の女性は、この若さで、というか若いからこそ、現代につよい不満を感じている。人間本来の「生き方」から aliénée「疎外された」、déracinée「根扱ぎにされた」という意識をもち、その苦境から脱出しようとして、巡礼に参加したことになる。
 参加者の発言の紹介はほかにもいくつか出てくるが、さしあたりこれで十分だろう。
 思えば、ペギーは若い頃には反教権の社会主義者として、フランス社会党結成の立役者Jean Jaurèsに共鳴していたのに、後年カトリックに回心し、晩年(といっても40代初頭)は神秘主義的なまでに右翼的な愛国者に変身したのだった。巡礼の隆盛は、現代世界が第一次世界大戦前の危機に陥っていることを教えると同時に、100年の時をへだてて、共鳴するにせよ、反撥するにせよ、ペギーを読み返す必要を説いているのではないだろうか。


追記  200回を超える既往のコラムの一部を選んで、紙媒体の冊子を作りました。題して「ア・プロポ――ふらんす語教師のクロニクル」。Amazon, 楽天ブックス三省堂書店(WEB)などオンラインショップで販売中です。
 
 
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