朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
星の王子をめぐって 3
違いはどこから? Ⅱ- 英訳の影響
2005.12エッセイ・リストbacknext

フランスで出たLe Petit Princeのカバー
  cache-nezの訳語には、内藤訳(A)の「襟巻き」はやや古めかしいとしても、「マフラー」がいいのか、「スカーフ」がいいのか。英訳にも両派があり、決めてにならない。
前者をとったのが山崎訳(B)池澤訳(D)、後者は倉橋訳(C)であるから、訳者のジェンダーがこの差になったのかと思って、回りの意見をただすと、「スカーフ」説の支持者はたしかに女性に多いようだ。作者自身の残した「王子さま」の挿絵(前号参照)ではcache-nezは風になびいていて生地が薄手の感じを与えるから、そうなると、「スカーフ」とする方がふさわしいのかもしれない。
 他方、Cは英語の新訳(2000年刊)を拠りどころにしたということも考えられる。事実、その形跡はほかにもいくつか認められる。好例は7章、故障の修理がうまくいかぬのに苛立って、「私」が王子の質問につい上の空の返事をしてしまう場面に見つかる。
J’étais très soucieux car ma panne commençait de m’apparaître comme très grave...
A) ちょっとやそっとでは、パンクがなおりそうもないので、気が気ではありませんでした。
B) とても不安になっていました。故障はひどく重大なものに思われはじめていましたし、
C) 墜落事故はいよいよ極限状況に近づいていたし、
D) 飛行機の事故がとても始末の悪いものだとわかって、ぼくは焦っていた。
 Aの「パンク」は見当違いだから論外として、いちばん忠実な訳はB、逆に意訳に過ぎるのはCだ。とくに「極限状況」という訳語がどうして出てきたのか。この謎は英訳を見ると氷解する。
I was quite worried, for my plane crash was beginning to seem extremely serious, ...
 むろん英訳を参考にすること自体は推奨されても、非難されるには値いしない。たとえば、次の例(3章)などは英訳の助けがなければ、Aの誤訳をいつまでもひきずりかねなかったことを示していよう。J’entrevis aussitôt une lueur, dans le mystère de sa présence, et j’interrogeai brusquement.
That was when I had the first clue to the mystery of his presence, and I questioned him sharply.
A) そのとたん、王子さまの夢のような姿が、ぼうっと光ったような気がしました。ぼくは、息をはずませてききました。
B) とたんにわたしは、彼がこんなところにいる謎を解く糸口が見つかったように思いました。そこで、だしぬけにこうたずねました。
C) 王子さまの不思議な出現について最初の手がかりを得たのはこのときだった。私はすかさず訊き返しました。
D) その時、ぼくは彼がここにいるという謎に一すじの光が射したように思った。ぼくはまっすぐ聞いてみた...

lueurの効用:ジョルジュ・ド・ラトゥール「聖ヨセフの夢 」
   この部分でAをつまずかせたのは、lueurである。たとえば、スタンダード仏和辞典には「①弱い光、微光。②きらめき、閃光。③(目の)強い光、輝き。④(記憶などの)一瞬の現れ;(理性の)きらめき;(希望の)光。」とある。つまり、どこまでも「光」を軸に語義の輪がひろがっていることに注目しよう。それなればこそ、Aは「王子が光った」ように理解してしまった。
ところが、ここでは④の意味であり、比喩的な「光」、それも「王子が砂漠の只中にいるというミステリー」の中に一瞬さした「光」だったのである。上掲の英訳はそれをはっきり指摘しているが、該当箇所の旧訳と比較すれば、いっそう明瞭だろう。I caught a gleam of light in the impenetrable mystery of his presence...
その反面、Cが英訳に頼りすぎた気配も感じられる。その意味では、「光」にこだわったDの態度に私は好感をおぼえる。
 Cの文面から立ち上る不安の気配は、フランス語の基本的な構造をほんとうに掴んで訳しているのか、という疑惑を生む。同じ3章のつぎの例は実はフランス語学習の基礎事項にかかわっている。
Et le petit prince eut un très joli éclat de rire qui m’irrita beaucoup.
And the little prince broke into a lovely peal of laughter, which annoyed me a good deal.
A) 王子さまは、そういって、たいそうかわいらしい声で笑いました。笑われたぼくは、とても腹がたちました。
B) そして小さな王子さまはとてもかわいい笑い声を立てましたが、その笑い声はわたしには気に入りませんでした。
C) 王子さまはそういうと、頭にくるほど楽しそうに、大声で笑った。
D) そう言って王子さまがけらけらと笑ったので、ぼくは相当むっとした。
  英訳もふくめて、A,B,Dはどれも、①「王子が笑った」、②「それで私は腹を立てた」という二つの継起的な動作をその順に記述していることに注意しよう。フランス語の原文ではavoirとirriterの単純過去が用いられ、間にquiという関係代名詞がはさまっている。この形では、書いてある順に動作・行為が起こったことを訳文に反映させねばならない。その原則をCだけが守っていない。その点が仏語教師の私には気にかかる。この気がかりを元に、次回もうすこし話をつづけたい。
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