朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
空恐ろしい単語: Bête
2006.10エッセイ・リストbacknext
 ルポライター早坂隆氏の『世界の日本人ジョーク集』(中公新書ラクレ)が面白い。歴史の古さの面でも浸透の深さの面でもユダヤ人には遠くおよばないにしても、日本人は日本人なりに世界の各地に独特の強烈な印象を残したことはあらそえない。ジョークはその証拠と考えてよかろう。一読をすすめるが、さしあたりわたしの目をひいたのは「アリとキリギリス」の項。言わずと知れたイソップ寓話のパロディである。ヴァイオリンの腕前が認められて大当たりしたキリギリスが大富豪になったというアメリカ版、キリギリスを助けたアリが結局は食糧不足で共倒れに終わったという旧ソ連版のあとで、いわば決め手になるはずの日本版を見て驚いた。なんと「アリもキリギリスもカロウシする」とあったからだ!冷静に考えれば、まんざら見当外れではない。しかし、過労死が「カロウシ」と表記されている点が見逃せない。つまりこのジョークの裏にはkarousiがいまやkamikazéやkaraokéなどとならんで国際語になっているという事実が潜んでおり、実際、グーグル検索の結果がそれを裏付けてくれるのである。日本人の勤勉さはもともと有名だが、それが利潤追求の執念のはてに、そんな地獄にまで人間を追い落とした、という風に世界から見られているのか!とすれば、由々しい事態ではないか。
 とはいえ、本稿の性格上、驚いてばかりいるわけにはいかない。早速、もう一つ別の事実に話題をうつす。寓話Fablesがベースになっているが、寓話といえばフランスでは当然のようにラ・フォンテーヌLa Fontaineを思い浮かべる。ところで、別に新事実ではないが、彼の作品では「アリとキリギリス」ではなくて、「セミとアリ」La Cigale et la Fourmiだということに読者の注意をうながしたいのである。ついでにいうと、岩波文庫版の『イソップ寓話集』(中務哲郎訳)を見るかぎり、ラ・フォンテーヌの方が正しい。どこからセミがキリギリスにすり変ったのか、昆虫の大家奥本大三郎君あたりに尋ねたいところだが、さしあたりは新スタンダード仏和辞典(大修館)の記述が手がかりになる。すなわち、cigaleはむろん日本語の「セミ」にあたるのだが、「北フランスでは、誤って、キリギリス・コオロギの類を指すことがある」というのである。この場合もその一つだとすると、セミがキリギリスに変身した理由は誤用に帰せられることになる。しかし、同じ夏の虫であるにせよ、わたしたちの知るセミとキリギリスとは大違いであり、それを取り違えるのは、いくらなんでも「誤用」がすぎるのではあるまいか。念のために、ラルース・フランス語大辞典のcigaleの項を見てみよう。
 Gros insecte, abondant dans les régions méditerranéennes, se nourrissant de la sève des arbres, et dont le mâle fait entendre un bruit strident et monotone.
「大型の昆虫、地中海地方に多く、木の樹液を吸って生き、雄は甲高く単調な音で鳴く」
 この辞書は文学作品を読むには有益なのだが、この説明は厳密性を欠いていて、これだけからセミを思い浮かべるのは無理という気がする。しかし、考えてみれば、虫を見ると何でもかでもbête(=petite bête)ですませてしまうフランス人の一般常識を代弁しているのかもしれない。まして、ラ・フォンテーヌはセミの住む南仏を訪ねたことが生涯一度もなかったのだから、自作の登場人物がセミかキリギリスかを弁別していたとはとうてい考えられない。他方、1668年に出た初版の挿絵は当時売れっ子の画家ショーヴォChauveauが手がけたらしいが、コピーで見るかぎり、虫についてはいかにも稚拙で自信なげな筆致であり、セミよりはむしろキリギリスに近いと思える虫がやけに大型のアリと大木の根方で向かい合う図柄になっている。形状の正確さはどうあれ、挿絵としては、とりあえず二匹が描き分けてさえあれば十分という考え方なのだろう。要するに、作者・イラストレーターはもとより、そもそもフランス語使用者すべてが、日本人からすれば大ざっぱとしか思えない昆虫観に立っていると結論してもいいのではないか。ずいぶん回り道をしたが、そのbêteが今回のテーマである。
 この語には形容詞の用法もある。
 Tu es bête ! /You are stupid !「ばかだな、君は」 
 Ce n’est pas bête ce que tu dis. /It’s not a bad idea what you say.
 「ばかげてはいないよ、君のいうことは」
 これはこれでよく使われるが、ここでは名詞の場合をとりあげることにしよう。
 さきほどは虫なら何でもbêteで間に合うと書いたが、それどころかこの語がカバーする範囲はさらに広くて、日常語としてほとんどanimalすべてを指すことができる。
▸La Belle et la Bête / Beauty and the beast
 『美女と野獣』(ルプランス・ド・ボーモン夫人作の童話)
▸bêtes domestiques(sauvages) / domestic(wild) animals 「家畜(野獣)」
 Il a une centaine de bêtes. / He has around 100 head of cattle.
 「彼は百頭ほどの牛を飼っている」
▸lit infesté de bêtes / bug-ridden bed 「しらみや南京虫だらけのベッド」
 bête à bon Dieu / ladybird(英)、ladybug(米)「テントウムシ」(この虫を人差し指の先にとまらせて、飛びたつまでの間に願をかければそれがかなう、という俗信から、「神の虫」の名がある)
▸regarder qn comme une bête curieuse/ to look at sb as if he(she) were a freak
 「(珍獣でも見るように)人をじろじろ見る」
 animalばかりでなく、元来は対立するはずの人間までが包みこまれる場合もある。
▸Bête humaine / Human beast 『獣人』(ゾラ作の小説)
 Le Président Bush est la bête noire de Monsieur Chavez.
 The President Bush is the bête noire(英) (pet hate 米) of Mr. Chavez.

Hugo Rafael Chávez Frías
ベネズエラ 第53代大統領
  「ブッシュ大統領はチャベス氏が蛇蝎のごとく嫌う人物だ」
 L’homme n’est ni ange ni bête, et le malheur veut que qui veut faire l’ange fait la bête. (Pascal :Pensées)
 Man is neither angel nor beast, and it is unfortunately the case that anyone trying to act the angel acts the beast. (A.J.Krailsheimer 訳)
 「人間は、天使でも、獣でもない。そして、不幸なことには、天使のまねをしようとおもうと、獣になってしまう」(前田陽一訳)
  この延長上にあるのが、つぎの場合である。
▸bête de scène /brilliant actor 「舞台の鬼、図抜けた名俳優」
 bête à concours/ examen fiend 「勉強の虫」
 bête de travail /workaholic 「仕事の虫」
 常に悪い意味とはかぎらぬことが分るが、話を元にもどせば、karousiの中にbêteが棲んでいることは間違いなかろう。
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