朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
インフルエンザの教訓 2009.7エッセイ・リストbacknext

自己防衛に懸命。

 A型インフルエンザla grippe Aがとうとう「フェーズ6」un stade(niveau d’alerte) 6つまり「大流行pandémie」の段階に達したことを世界保健機構O.M.S.(Organisation Mondiale de la Santé)WHOが宣言した。当然、世界中で蔓延を防ぐ努力が必要になるが、その努力の仕方が往々にして国民性に左右されがちなことを痛感する。
 それを端的に教えてくれたのは6月8日付のル・モンド紙に載った写真モザイクmosaïque de photosだ。記事そのものはCréons une force de réflexion rapide「迅速な熟慮のできる能力を創造しよう」と題され、Les plans face à une pandémie peuvent être une nouvelle ligne de Maginot: être prêts, mais pas là où il le faut.「大流行対策はあらたなマジノ線になりかねない。つまり準備をするのはいいが、肝心な場所を外すおそれがある」と説く。すなわち、巨費を投じてフランスが築いた要塞「マジノ線」(20世紀の万里の長城)が結局無用の長物に終わった故事を例にして、インフルエンザへの対策は臨機応変に講じられるべきであり、集会禁止とかスポーツ大会中止とかいう制限措置des mesures très contraignantesの愚を戒めているのだ。力みすぎて無駄の多い行政当局の対策を牽制する意味で貴重な意見だと思うが、それ以上に雄弁にわたしたちに反省を促すのは写真の方だろう。このモザイクはAFP通信社が12カ国で集めた映像の寄せ集めだそうだが、国によってマチマチなことがわかる。呆れるのは、マスクをシャレの材料に使っているケースが目立つこと。マスク一つをとっても、わたしたち日本人はとかく真面目腐って杓子定規に事にあたる傾向がつよい。その日本人からすると、こんな光景など考えも及ばないのではあるまいか。しかし、当初の衝撃がずいぶん沈静化した今から考えれば、豚インフルエンザ・ウイルスの害を恐れるあまり、何のことはない、わたしたち自身ウイルスに弄ばれて、生活そのものを必要以上に窮屈なものにしてしまっていたことに気づく。


漱石の描いた猫
(掛け軸の一部)
 それに関連して、夏目漱石の『吾輩は猫である』を思いだした。彼は英国に学んだだけあって、冗談が通じない日本人が多いことを苦々しく思っていたにちがいない。作品全体が冗談の精神に満たされているといっていいが、なかでも真面目腐った苦沙彌先生の対極にいる悪戯好きの迷亭(むろん酩酊のもじりだが、共に作者の分身だろう)先生の冗談に注目したい。以下の引用(旧仮名のまま。漢字は原作では総ルビだが、ここでは省いてある)のあとに、仏訳Je suis un chat(Gallimard/Unesco)の訳文を添える。訳者のJean Cholley氏は名古屋大学で長年フランス語講師を勤めた日本語の達人である。

 迷亭に誘われて西洋料理店に行った時の話を若い越智東風が苦沙彌先生に報告するくだりである。月並みな料理ではつまらぬというので、迷亭は妙な注文をしたのだった。

 「ボイにおいトチメンボーを二人前持って来いといふと、ボイがメンチボーですかと聞き直しましたが、先生は益々真面目な顔でメンチボーぢやないトチメンボーだと訂正されました」「なある。其トチメンボーといふ料理は一体あるんですか」「さあ私も少し可笑しいとは思ひましたが如何にも先生が沈着であるし、其上あの通りの西洋通で入らつしやるし、ことに其時は洋行なすつたものと信じ切つて居たものですから、私も口を添へてトチメンボーだトチメンボーだとボイに教へてやりました」
  --- Il a commandé deux parts de tochimembô au garçon ; celui-ci a compris memchibo,
et M.Meitei l'a corrigé, l'air de plus en plus sérieux : « Non, pas de memchibô, du tochimembô! »
---Je vois. Ce plat de tochimembô existe-t-il réellement ?
---Eh bien, j'ai trouvé cela bizarre, mais M.Meitei avait l'air très sûr de lui, il connaît beaucoup d'usages occidentaux et surtout je croyais fermement qu'il avait fait un voyage à l'étranger. Je l'ai donc approuvé et j'ai dit au garçon que nous voulions du tochimembô.

  できないとして謝絶するボーイに迷亭は銀貨を握らせ、無理にせがむ。相手はもう一度料理人に掛け合いに行く。
  「するとボイが又出て来て、近頃はトチメンボーの材料が払底で亀屋へ行つても横浜の十五番へ行つても買はれませんから当分の間は御生憎様でと気の毒さうに云ふ<...>其内材料が参りましたら、どうか願ひますつてんでせう。先生が材料は何を使ふかねと問はれるとボイはへヽヽヽと笑つて返事をしないんです。材料は日本派の俳人だらうと先生が押し返して聞くとボイはへえ左様で、それだものだから近頃は横浜へ行つても買はれませんので、まことに御気の毒様と云ひましたよ」
 ---Le garçon a fait une nouvelle apparition pour nous dire, l'air très désolé, que les ingrédients du tochimembô étaient devenus difficiles à trouver, qu'on ne pouvait même plus les acheter à Kameya ou au Magasin Numéro Quinze de Yokohama, et que ce plat ne pouvait donc être servi pendant quelque temps. <...>il a ajouté qu'il espérait nous revoir si on pouvait trouver les ingrédients. M.Meitei lui a demandé quels ingrédients on utilisait, mais le garçon n'a pu que glousser pour toute réponse. M.Meitei a insisté en demandant si on utilisait des haijin de l'Ecole japonaise, à quoi le garçon a répondu que c'était exactement cela, et que pour cette raison, on n'en trouvait plus à Yokohama,veuillez nous excuser,etc.

 トチメンボーは日本派俳人の橡面坊(本名、安藤錬三郎)の名を元に西洋料理らしく加工したものにすぎない。西洋料理を賛美するあまり、訳のわからぬ名称を有難がる風潮を茶化したわけで、料理屋側はいい面の皮だが、「亀屋」も「横浜の十五番」も実在で、西洋食料品・酒・タバコなど直輸入品を扱っていたというから念がいっている。しかも「日本派の俳人だから、横浜では買えない」というあたり、漱石一流の皮肉な落ちが冴える。ただ、その笑いの陰で軽視できないのは、この小説が雑誌「ホトトギス」に発表された当時、日本は日露戦争の最中だったことだ。戦争の推移に国民が一喜一憂していることを承知でこの冗談を披露した漱石の肝の据わり方というか、日本人の心底を見通した眼力の鋭さにあらためて感心させられるではないか。

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