朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
クロワッサンで朝食を 2013.11エッセイ・リストbacknext

ジャンヌ・モロー
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 こんな題名のフランス映画(正確にはフランス・ベルギー・エストニア合作)が日本でヒットした。評判に釣られて見て、原題がUne Estonienne à Parisであることに気づいた。なるほど直訳の『パリのエストニア女性』では日本の映画ファンを惹きつけそうにない。そこで、配給会社としては、Jeanne Moreau演じる独居老女Fridaが朝食の盆にのせられた一見うまそうなクロワッサンを床に捨ててしまうシーン、これを生かそうと策したのだろう。エストニアから介護役として出稼ぎにきたAnneは初日の朝、フランス人好みの食品を当然のことと思ってスーパーで購入したのだった。それをいきなり床に払い落としたのは、なぜ?暴虐非道な行動であり、これまで家政婦が定着しなかったのも無理はないことをを示しているが、当人に道理がないわけではない。彼女に言わせれば、Un vrai croissant s’achète chez une boulangerie, mais pas en supermarché.「本物のクロワッサンはパン屋で買うもので、スーパーには売ってない」のである。いかにも金持ちの老女らしい言い分だし、大量生産方式が横行する現代文明批判の意味もある。興行者側はここに目をつけた。その上で、アメリカの作家Truman Capoteの小説『テイファニーで朝食を』Breakfast at Tiffany’s (Audry Hepburn主演の映画も名高い)の盛名に便乗しようとしたものと思われるが、公開後ながく上映がつづいているのだから、狙いは的中したとみてよさそうだ。ただ、映画を見たあとで思いついたことがある。
 一つは、映画、特に輸入映画の場合、興行収入recetteがすべてに優先するだろうから、表題にしたって徒やおろそかにできない、それをあらためて教えられたことである。むろん、つねに改題が効果をあげるとは限らない。それどころか、La Grande Illusion『大いなる幻影』(1937)やGone with the wind『風と共に去りぬ』(1939。フランス語ではAutant en emporte le vent)のような場合は原題に即する以外のことは考えられなかっただろう。しかし、La Part de l’Ombre(Jean Delannoy監督)やLes Grandes Manœvres(René Clair監督)のような場合はどうだろうか。『影の部分』や『大演習』と直訳したのではピンとこない。思い切って、『しのび泣き』や『夜の騎士道』と改めた方が客の興味をそそり、映画館への吸引力が増すという判断に傾いたのも無理はない。
 そんな中で特筆すべきは『望郷』(1936)だろう。このJean Duvivier監督作品の原題はPépé le Mokoであった。これはJean Gabinが演じたパリのギャングでお尋ね者の綽名だが、念のためにいえば、pépéは「おじいちゃん」、mokoは「南仏Toulon出身の船乗り」を意味する。そのまま訳すわけにいかなかったことは容易に察しがつくが、それにしても「望郷」というネーミングは絶妙だった。主人公のパリへの強いノスタルジアを言い当てていることはもちろんだが、そればかりでなく、戦前の日本人観客は「ふらんすへ行きたしと思へども、ふらんすはあまりに遠し」と萩原朔太郎が慨歎したように、パリの遠さと遠いがゆえに強まる憧れとに打ちひしがれていたから、余計にアピールしたのだろう。戦後、名画座でこの映画をくりかえし見た私自身にしても、ジャン・ギャバンを捉えた望郷の念が他人事ではないように考えたものだった。

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 もう一つは、エストニアという国についての無知に気づかされたことである。英語の題名もA Lady in Paris。してみると、エストニアに馴染みがないのは日本人だけではないのかもしれないが、Wikipédiaをのぞいただけで、人口128万7000弱(2013年1月現在)のこの小国が身にあまる大問題をたくさんかかえていることがわかる。地理的に北はFinlande、西はSuède、南はLettonie(ラトビア)、東はRussieに接していると知るなり、緊迫感がただよう。歴史的にも問題だらけだ。スウエーデン・ドイツ・ロシアのような強国の圧力に押しまくられた中世以来の歴史はさしおくとしても、現代史にかかわるつぎの短い説明を一読するだけで、市民の苦悩の深さが行間からほとばしり出てくる。
 A la veille de la Seconde Guerre mondiale, les clauses secrètes du Pacte germano-soviétique, signé en 1939 par l’Allemagne nazie et l’Union soviétique, permettent à cette dernière d’occuper l’Estonie. Le pays est ravagé par son occupant. Les élites germanophones quittent en masse le pays pour répondre à l’appel des autorités nazies. Lorsque l’Allemagne déclare la guerre à l’union soviétique, l’Estonie est envahie rapidement par les Allemands, puis reconquise par l’Armée rouge en 1944. Une partie de la population fuit alors par crainte de représailles et quitte définitivement le pays.
 「第二次世界大戦の前夜、1939年にナチス・ドイツとソ連邦が調印した独ソ条約の秘密条項のお蔭で、ソ連邦はエストニアを占領できた。国土は占領軍に荒らされた。ドイツ語を話すエリートたちは大量に国を捨て、ナチス当局の呼びかけに応えた。ドイツがソ連邦に宣戦布告すると、エストニアはみるみるドイツ軍に侵入され、そして1944年には赤軍に再占領された。そこで一部国民は復讐を恐れて逃亡し、さらには決定的に国を捨てた。」
 最近のエストニア関連の情報をたどると、2004年5月にEUに加盟、2011年1月からユーロ圏zone euroにも参加し、政府の債務残高はEU加盟28カ国中最低(指標に使われる対GDP比では、1位日本238.03%、2位ギリシア156.86%は別格としても、エストニアは9.73%で世界167位)という点でみる限り好調を思わせるが、一人当たりの名目GDP(米ドル換算)ランキングでみると44位で、16,720.16ドルにとどまり(因みに、日本は12位、46,706.72ドル)、失業率も11.7%でけっして低くはない。
 これだけの俄か勉強でも、問題の映画の中でフリーダがアンヌをimmigrée(「移民」とも「出稼ぎ」とも訳せる)呼ばわりしていたことが胸に刺さってくる。当のフリーダもまたエストニア出身であることを知ったアンヌは、パリ在住の同胞に呼びかけてフリーダとの交際復活を図る。ところが、パリ人になりきったつもりでいたフリーダにしてみれば、傷口に触れられた思いがしたのだろう。怒声を発してアンヌを追いだしてしまう。彼女は帰国の覚悟で空港に向かうが、メトロのホームのベンチで眠りこける。ホームを追われて早朝の街頭に立ったアンヌが空を見やると、tour Eiffel の向うを飛行機が飛んでいく。このシーンは妙に切なく、アンヌの心象を反映しているのだろう。この瞬間、祖国を捨ててパリに留まる腹がきまった。このあと彼女はフリーダと和解し、元の鞘に戻る。見終わって、この映画の表題は「クロワッサンで朝食を」ではなく、やはり「パリのエストニア女性」でなければならぬと腑に落ちたのだった。
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