朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
安倍首相と『風立ちぬ』 2014.2エッセイ・リストbacknext

靖国神社 ※画像をクリックで拡大
 安倍首相の靖国神社参拝は国の内外に波紋をなげた。Le Monde紙はどう扱うか、期待をもったが、参拝直後の記事(12月29・30日付)では、La Chine ne décolère pas la visite de Shinzo Abe au sanctuaire Yasukuni「中国、安倍晋三の靖国神社参拝に怒りがおさまらず」という見出しで、日本や中国の新聞の論調を紹介するだけにとどまった。アメリカは駐日大使をはじめ、有力新聞が日本の首相の外交姿勢を批判して、旗幟を鮮明にしたから、それにくらべると日和見的に見えた。日米間と日仏間の距離(地理的にも政治的にも)の差が影響しているのかも知れぬが、正直なところすこし失望した。
 ところが、年明け1月10日付の「分析」analyse(François Bougon編集長の署名記事)が失望を払いのけた。その結果、この新聞への信頼が回復され、深まった。それはLes risques d’isolement diplomatique du Japon「日本の外交的孤立の危険」と題され、参拝のもつ意味を筆者がどう読みとったかを鮮やかに説き明かしている。
 感心したのは、日本の現状を的確に示す対立軸の選び方だ。こう書きだされている。
 Ce sont deux figures du Japon d’aujourd’hui, qui évoquent le Japon colonialiste et impérialiste d’hier. Chacun, à sa manière et dans un registre opposé, nous parle de ce « passé qui ne passe pas » dans l‘Archipel.
 「いみじくも二人の現代日本のスターが、つい昨日までの植民地主義的・帝国主義的な日本を想起している。どちらも、それぞれ自分なりに、正反対の音域に立って、日本の<過ぎ去らぬ過去>について語っている」
 いうまでもなく、一方の極は安倍首相だ。筆者は首相の立場をこう要約している。
 le premier ministre, qui veut en finir avec « la diplomatie des excuses », joue un jeu dangereux en donnant l’impression de vouloir réhabiliter en partie ce militarisme dont l’ambition était d’imposer sa loi dans une grande partie de l’Asie et qui a laissé dans son sillage morts, destructions et pillages.
 「<謝罪外交>にけりをつけたいと考える首相は、軍国主義を部分的に復権させたいと望んでいるという印象を与えて、危険な賭けに出た。ところが、この軍国主義の野心は、アジアの大部分を支配下におくことで、行く先々に死者や破壊や略奪の跡を残したのだった」
 目をひいたのは、対極が映画監督の宮崎駿であること。その立場はつぎの通りだ。
 ...incarne un courant pacifiste, désireux de reconnaître les crimes et erreurs du passé.
 「(彼は)平和主義的で、過去の罪や誤りを認めたいと願う潮流を体現している」
 限られた紙面で、東アジアにおける日本の状況をフランス人に理解させるには、二項対立を用いるのが有効だが、それにしても安倍対宮崎という組み合わせを考えるあたり、文化を重んじるフランス・ジャーナリストらしいではないか。むろん、世界的なアニメ作家で役者に不足はない。むしろ安倍首相を凌駕する大物といっていいが、何より、彼の最新作『風立ちぬ』のフランス公開がこの記事の半月後に迫ったことが大きい。しかもこの作品のフランス名はLe vent se lève。この記事の筆者も指摘するようにPaul Valéryの詩句と来ているから、ますますアピールする力が強い。

『風立ちぬ』"Le vent se lève"
 因みに、「風立ちぬ」と和訳し、作品名にとりいれたのは作家堀辰雄である。愛読者の宮崎監督は憧れの堀を援用するしかなかったのだから致し方ないが、原詩に忠実なら、se leverの直説法現在を訳すのに完了の助動詞「ぬ」はおかしい。『フランス名詩選』(岩波文庫)の訳では「風が立つ!」とある。和訳としてはこの方が正しいことを付言しておく。
 本題にもどる。この映画は周知のとおり帝国海軍の花形戦闘機「ゼロ戦」の設計者concepteur du Zéro、堀越二郎をモデルにしているが、宮崎監督の意図はdépeindre le sentiment commun qu’avaient tous les jeunes à l’époque, qui voyaient leur pays se diriger tout droit vers la destruction「自国がまっしぐらに破壊に向かっていくのを見ていた当時の若者全員が持っていた共通感情を描くこと」にあった。その意味では、明白な反戦映画だから、日本の愛国主義者たちからはtraître「裏切り者」扱いされた、と監督はTélérama(週刊のTV・映画情報誌)のインタビューで語ったそうだ。要するに、ゼロ戦を扱いながら、軍国主義を呪うことはあっても、今日本で評判の『永遠の0』(百田尚樹原作の戦争映画)のように賛美することはない。それが宮崎流というものなのだ。
 対する首相は、口では、英霊の前に額づいて、平和の誓いを新たにしたというが、「御英霊」には国民を戦場に駆りだした指導者の霊も含まれていることには目をつぶっている。  Le 26 décembre 2013, il s’est rendu au temple shintoïste de Yasukuni, où sont honorés les soldats morts pour le Japon, dont les quatorze criminels de la seconde guerre mondiale condamnés par les Alliés.
「2013年12月26日、彼は靖国神社に参拝した。そこには日本のために死んだ兵士の霊が祀られているが、その中には連合軍により第二次大戦の戦争犯罪人とされた14名も含まれている」
 首相は、二度と戦禍を招くまいと祈願したというが、それで、天皇のために死んだ人たちの霊は浮かばれるのか。そもそも1975年以降、当の昭和天皇が靖国神社には足を運ばなかったこと、その跡を継いで即位した現天皇が一度も参拝していないことをどう説明するのか。さらに、神社の境内にある遊就館には復元された「ゼロ戦」を筆頭に往年の軍事兵器の数々が誇らしげに展示してあるが、それと安倍的「平和」はどう関係するのか。
 問題の「分析」は中国・韓国で高まる非難の嵐、アメリカが示した失望感を紹介したうえで、つぎのような一文で結ばれている。
 Il peut bien en appeler à la « compréhension » et dénoncer l’instrumentalisation du Yasukuni, il ne pourra que renforcer son isolement avec des décisions qui s’apparentent à des provocations.
 「彼が<(世界の)理解>に訴えたり、靖国の政争の道具化を非難したりする、それはそれで構わない。でも、挑発に類するもろもろの決定を重ねていたのでは、ますます自らの孤立を深めることしかできないだろう」
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