朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
同格辞の処理 2014.4エッセイ・リストbacknext

プーチン大統領
 ①Si vous allez dans ce restaurant, je vous conseille les tartes maison, elles sont excellentes.「あのレストランに行くんだったら、おすすめは特製タルトね、おいしいわ」
 ②Moi, les enfants modèles, ça m’ennuie.「ぼくは、模範的ないい子なんてつまらないと思う」
 上に引いたのはどちらも白水社ラルース仏和辞典の例文だが、イタリック体の語に注目してほしい。maisonもmodèleも名詞のはずだが、同書は区別している。①は名詞だが、形容詞的に使われ、無変化のまま「自家製の」の意とある。他方、②は純然たる形容詞(だからenfantsにあわせて複数形になっている)で、「モデル・模範になる」の意と説明されている。
ややこしいのは、新フランス文法事典が指摘するように、辞書によって扱いがまちまちなことだ。Petit Robert辞典は①②とも名詞の扱い、Dictionnaire du français contemporainは 逆に両方とも形容詞の扱いをしている。
 その上でいうのだが、①のように考えれば、[名詞+名詞]という形になり、これを「同格」と呼ぶ。②のように考えれば、[名詞+形容詞]という形で、これを「付加」と呼ぶ。上の例は、いいかえれば、同格と付加の区別が辞書の編纂者を戸惑わせるほどあいまいなことを示している。
 文法上はあいまいでも仕方がないが、和訳の場合は「あいまい」ではすまされない。実例で考えてみよう。下線部が問題の箇所である。
Chapeau, moustaches et favoris, Mike Gilbert est le conseiller municiapal conservateur chargé du logement.(1月31日付けLe Monde)
 chapeau,moustaches et favorisが主語のMike Gilbertの前にあるが、これらの名詞は同格におかれて主語の身なりを説明し、「帽子をかぶり、口髭、長い顎鬚をはやした」の意味である。
 「帽子・口髭・顎鬚すがたのマイク・ギルバート(これは英国の古い町Bostonの話だ)は住宅問題担当の保守党市会議員である。」
 Absent des écrans russes, Vladimir Poutine est pourtant omniprésent sur le front médiatique ukrainien.(3月4日付けLe Monde)
 Absentという付加形容詞が主語Poutineと同格におかれて、彼の様態を説明している。 ここで注意したいのはイタリック体のpourtantで、これが同格語と主文とのあいだに対立があることを示している。
 「ウラジミル・プーチンはロシアのテレビ画面に出ることはないが、ウクライナのテレビには常に顔をだしている。」
 問題は、pourtantのような指示がない場合、同格辞と主文とをどのように結びつけるかということである。というのも、小説家は一般に無駄を省くことに心血をそそいでいるから、読者が順接か逆接かを判断しなければならぬことが多いからである。
 Balzacの名作La Peau de chagrin『あら皮』から引いたつぎの例を見ていただきたい。
 「ぼく」はパリに出てきた文学青年。金がないくせにパリの社交界に憧れ、もんもんとしている。ここでも同格部分に下線をひいておく。参考のために、中山眞彦訳(筑摩書房「世界文学全集17」)を添える。

ロダン作のバルザック像
 Amant efféminé de la paresse orientale, amoureux de mes rêves, sensuel, j’ai toujours travaillé, me refusant à goûter les jouissances de la vie parisienne.
 「もともと東洋的な安逸を好む柔弱な性質で、夢想を愛し、官能の刺激にもろかったぼくだが、パリ生活の快楽を追うことをみずから拒否して、勉強を続けたのだった。」
 太字にした「だが」に注目していただきたい。訳者は下線部と主文との間に対立があることを、つまり裏にpourtantが潜んでいると解したからこそ上のような訳になった。
 Gourmand, j’ai été sobre ; aimant et la marche et les voyages maritimes, désirant visiter plusieurs pays, trouvant encore du plaisir à faire, comme un enfant, ricocher les cailloux sur l’eau, je suis resté constamment assis, une plume à la main; bavard, j’allais écouter en silence les professeurs aux cours publics de la Bibliothèque et du Muséum ; j’ai dormi sur mon grabat solitaire comme un religieux de l’ordre de Saint-Benoît, et la femme était cependant ma seule chimère, une chimère que je caressais et qui me fuyait toujours ! Enfin ma vie a été une cruelle antithèse, un perpétuel mensonge. (La femme sans cœur)
 太字にしたcependant, antithèse「しかし」「正反対のもの」の2語が延々とつづく告白 文の終わりに出てくるが、これこそ、長い引用の底を貫く逆接の論理構造を一気に表に出すキーワードになっている。
 「[元来]食いしんぼうだったのに、飲食を節し、旅行や船旅が好きで、外国をいくつも訪ねたいと思ったり、また、小石で水切りをして喜ぶといった子供みたいなところがあったのに、いつもペンを手に机に坐っているのだった。[かつては]おしゃべりだったのが、国立図書館や博物館の公開講座に出席して、教授の講演に静かに耳を傾けた。まるで聖ブノワ会の修道士のように、粗末なベッドの上にひとりで寝ていた。だがぼくの空想の中にあるのは、やはり女だけだった。とらえようとすればいつも逃げていく女の幻を抱き続けるのだった!要するにぼくの生活は、一つの残酷な矛盾であり、つねにみずからを偽るものであった。」(つれなき女)
 対立構造をしめすための配慮が太字部分から察しられる。その上で、訳者はその対立が同時並行するはずがないことを考えて、枠で示したように、過去の自分と現在の自分との対立であることを強調しようとした。さりげないように見えるが、フランス語原文の真意を和訳に十分に反映させるには欠かせない補足だったように思える。和訳の難しさと同時に、和訳の楽しさをうかがわせる素材であるといわなくてはならない。
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