朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
民衆の判断につきまとう危うさ 2016.09エッセイ・リストbacknext

アレッポの惨状 ※画像をクリックで拡大
 中部アフリカのガボンで8月27日に行われた大統領選挙の結果が明らかになった。
 …le ministre intérieur gabonais a annoncé, mercredi 31 août,que le président sortant, Ali Bongo Ondimba, avait remporté l’élection présidentielle. Selon des résultats officiels provisoires, M.Bongo a obtenu 49,80% des voix contre 48,23% à son adversaire, Jean Ping, lors de l’unique tour du scrutin.(8月31日付Le Monde)
 「ガボンの内相は8月31日水曜日に、アリ・ボンゴ・オンディンバ現職大統領が大統領選挙で勝利した、と発表した。暫定的な公式開票結果によれば、ボンゴ氏が1回限りの投票で、対立候補ジャン・ピンの48.23%に対し、49.80%を獲得した。」
 きわどい差で、対立候補が承服するわけがない。さっそく集計の見直しを要求した。さらに、デモ隊がその晩議事堂に放火した。すると、治安部隊が犯人探しの名目で野党側の選挙本部を襲撃しというから、この先の見通しは不透明。今はなにも言えない。
 ただ、僅差という意味では、Brexitをめぐる英国の国民投票を想起させる。あれで離脱がきまったのであり、新しい首相(元来は残留派だった?)は「英国民は離脱を選んだ」と事あるごとに強調している。むろん英国とガボンとでは民主政治の厚みに格段の開きがあるから、単純な比較は無理としても、「過半数」が一国の運命を左右する仕組みに変わりはない。これは他人事ではなく、日本でも過半数で決まる「憲法改正」が現実味を増している以上、自分が投じる一票の重みを私たちはあらためてかみ締めるべきだろう。
 他方、暴言・失言の多いTrumpのようなpopulisteを大統領候補に選んでしまった国のことも気にかかる。識者の中にはマスメディアを買い占めたBerlusconi流を輸入したまでだと見る人もいるようだが、それにしても、他の政治家を押しのけ、民主主義の母国ともいうべき国の民衆から支持をかち取ったことはまぎれもないし、まもなくホワイトハウスの主になる可能性さえ秘めているとなれば、不安にならないほうがおかしい。
 それにつけて思いおこすのは、Philippe Claudelの小説Le Rapport de Brodeck『ブロデックの報告書』(みすず書房から高橋啓訳が出ている)だ。2007年のPrix Goncourt des lycéens「高校生ゴンクール賞」受賞作だが、若者たちに戦争の悲惨さを訴えるにはうってつけの作品といえる。舞台はヨーロッパの山間に隔絶された架空の農村、そして時代は第2次世界大戦前後に設定されている。Je m’appelle Brodeck et je n’y suis pour rien.「ぼくの名はブロデックだが、この話とはなんの関わりもない」と書き出される。
 彼は孤児、ロマを思わせる老女に拾われ、一緒に問題の村に流れ着く。知力を見こまれ、いずれ地元の教員・医師などになる約束で村の奨学金を受け、都の大学に留学させられる。だが、ナチを思わせる革命運動に連座、卒業前に村に戻らざるをえなくなる。都で知り合った女性と結婚、老女の家に落ち着くのだが、ユダヤ人狩り的な騒動がおこる。彼はユダヤ人ではないはずだが、いわば村の人身御供として収容所に送られる。戦後、心身ともボロボロの状態で村に帰るが、村は村で某国に占領され、占領軍にすり寄る者と犠牲になる者(後者にはブロデックの妻もいて、彼女は今もせん妄状態だ)に二分され、すさんだ形で戦後を迎えていた。そこへ国境を越えてAnderer(本名不明、ドイツ語ander「他の、別の」由来の名で呼ばれる。訳者は「アンデラー」と表記)がやってくる。村が気に入り、宿屋に逗留し、散策してはスケッチやメモに励む。猜疑心に駆られた村人はこの「余所者」の追い出しにかかるが不成功。ついに村長以下数名が結託して宿屋に集結、殺害してしまう。これをブロデックはEreigniësと呼ぶ。方言ではla chose qui s’est passé「起こったこと」ほどの意味。彼はこの<出来事>にはむろん無縁、つまりje n’y suis pour rienなのだが、「報告書」を書くように強要される。「お前には学があるし、タイプライターもあるじゃないか」といわれては拒めない。報告書執筆に苦闘する過程で、自身の思いを綴る、そのノートがそのままこの小説になる。
 筋書きの紹介が長くなったが、要は彼が長期にわたって集団的な「いじめ」を受けた、ということ。問題にしたいのは、殺人を犯しながら、その報告書の作成を他人に押しつけて恥じない「群衆」を彼が告発する部分だ(XXIV章)。
 Depuis longtemps, je fuis les foules. Je les évite. Je sais que tout ou presque est venu d’elles. Je veux dire le mauvais, la guerre et tous les Kazerskwirs *que celle-ci a ouverts dans les cerveaux de beaucoup d’hommes. Moi, je les ai vus les hommes à l’œuvre, lorsqu’ils savent qu’ils ne sont pas les seuls, lorsqu’ils savent qu’ils peuvent se noyer, se dissoudre dans une masse qui les englove et les dépasse, une masse faite de milliers de visages taillés à leur image. (*別の箇所でcratèreの意と説明あり)
 「前から、ぼくは群衆から逃げている。群衆を避けている。ぼくにはわかっている、すべて、あるいは、ほとんどすべては群衆が原因なのだ、と。つまり、禍々しいことも戦争も、戦争が多くの人間の脳の中に穿ったすべての<噴火口>*も、という意味だ。ぼくは殺人に精出す人たちを見てしまった、その際、彼らは承知の上なのだ、自分たちはひとりではないことを。承知の上なのだ-----集団の中に溺れ、消えはてるかもしれぬが、その集団は自分たちを包みこみ、のさばりかえる、各自の姿に合わせた多数の顔をもっているのだ、と。」(*彼は眠れぬ晩、自分の意識の中でこの<噴火口>の縁をめぐり歩く)

Philippe Claudel:Le Rapport de Brodeck(Le Livre de poche) ※画像をクリックで拡大
 On peut toujours se dire que la faute incombe à celui qui les entraîne, les exhorte, les fait danser comme un orvet autour d’un bâton, et que les foules sont inconscientes de leurs gestes, de leur avenir, et de leur trajet. Cela est faux. La vérité, c’est que la foule est elle-même un monstre. Elle s’enfante, corps énorme composé de milliers d’autres corps conscients.
 「こう考える人がいるかもしれない、責任があるのは彼らを扇動し煽りたて、棒に絡みつくアシナシトカゲみたいに躍らせる人物だし、群衆は自らの行動や未来や過去には無自覚である、と。それは間違いだ。真実は、群衆こそが化け物である、ということだ。群衆は自分で自分を生み出す、己を知る多数の他の肉体を合成した一個の巨大な肉体として。」
 ここには意識に染みついた「群衆」像に対するブロデックの憎悪が溢れだしている。俗に言う「赤信号、みんなで渡ればこわくない」の延長上にあるのは、集団に属する個人が無名性を頼りに、自分独りではできないこと(ここでは「殺人」)をやらかすその怖さであり、あくまで自分の所業に無自覚な怖さだろう。「投票」の話から逸れすぎただろうか。


 
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