朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
アズナブールとアルメニア (1) 2018.10エッセイ・リストback|next

アズナブール ※画像をクリックで拡大
 Charles Aznavourがなくなった。ル・モンド紙(10月3日付け)は、普通なら1ページで終わる追悼記事に、倍の2ページを捧げた。こう書き出されている。
 Charles Aznavour, c’était la France. Pas celle d’Edith Piaf ---le réalisme, les faubourgs, les mômes de rien* ---, ni celle de Maurice Chevalier ou de Charles Trenet. Aznavour, c’était la France , internationaliste, terre d’accueil, qui sait enseigner aux enfants de la République les valeurs fondamentales, mais aussi le charme, le romantisme sexy, et une sorte de légèreté en équilibre constant entre le Nord introverti et le Sud extravagant.
 「シャルル・アズナヴール、彼はフランスだった。エディット・ピアフ(リアリズム、場末、ズベ公)のフランスでもなければ、モーリス・シュヴァリエ、あるいはシャルル・トレネのフランスでもない。アズナヴールは、国際主義的で、外国人を歓迎する国としてのフランスだった。共和国の子供たちに、基本的な諸価値と同様に、魅力や、セクシーなロマンチシズムや、内向的な北仏とハチャメチャな南仏、二つの気質が常にバランスを保つ、一種の軽みを教えることのできるフランスだった。」(*代表作の一つJe ne regrette de rien「わたしは決して後悔しない」訳名「水に流して」にひっかけたものか?)
 引き合いに出された3人は、なるほど、いかにもフランス的だ。でも、わたしが若い頃は彼の地が遠かったせいか、3人の真髄は生粋のフランス人にしかつかめない、ある意味で内向きな、そんなフランスを象徴するように思えたものだ。それだけに、日本人がフランス文学を学ぶことに悲壮な覚悟を固めたような気がする。対照的に、アズナヴールの歌の世界はもっと開かれた感じがする。外国人も労せず、居ながらにして溶け込める。要するに、彼は新しいシャンソン世代の先駆者だった、ということになる。
 ただ、その上でいうのだが、記事の射程はそこにとどまらぬだろう。今の世界情勢に照らして、トランプ大統領がメキシコとの国境にもうけた壁、あれに代表されるようなアメリカの鎖国主義化を問題視しているのではないか。そもそもあの国は典型的なterre d’accueilだったはずなのに、どうしてしまったのか。それにひきかえ、フランスは外国人を常に受け入れている。その象徴がアズナヴールだ、そう言っているのではないか。
 俳優としてスタートした彼の最初のヒット曲Sur ma vie「生命にかけて」は1955年だから、歌手としての売り出しは早くはない。しかし、François Truffautの映画Tirez sur le pianiste「ピアニストを撃て」(1960)に主演、La Mama「ラ・マンマ」(1963)で当て、1960年代にはいって、人気はうなぎのぼり。そして、1963年には、とうとう、New YorkのCarnegie Hallで大成功をおさめるのだが、その前にこう言ったそうだ。
 Numéro un à Paris, oui. Mais si je ne suis que le dixième ou le vingtième à New York, ce n’est plus du tout intéressant. Même si mon étoile brille de Lille à Bordeaux ou à Bayonne, moi, ce que je veux, c’est toute la planète.
 「パリでナンバー・ワン、その通り。でも、ニューヨークで10番目とか20番目にすぎないとしたら、ぜんぜん面白くない。たとえ、わたしの人気がリールからボルドーあるいはバイヨンヌまで(註:「北は北海道から、南は沖縄まで」にあたる)高いとしても、わたしの場合は、望みは地球全体にひろがることなのだ。」
 野望の大きさがフランス国の枠を越えていることがよく分かるが、もとを質せば、アルメニア出身といわれるのが常だ。これについて、記事はこう記している。

映画「ピアニストを撃て」のポスター ※画像をクリックで拡大

 Varenagh Aznavourian était né le 22 mai 1924 à Paris, à la Clinique Tarnier, dans le 6e arrondissement…
 「ヴァレナー・アズナヴーリアンは1924年 5 月22日に、パリ6区のタルニエ病院で生まれた…」
 父MischaはGeorgien, 母KnarはTurque。夫婦はなぜパリに来たのか。
 Les Aznavourian ont fui à cause du génocide perpétré par la Turquie contre les Arméniens en 1915-1916. Si Mischa, Georgien, n’a pas été inquiété, Knar, venue de Turquie, a échappé par miracle aux bourreaux. Avec sa grand-mère, elle sera la seule rescapée de sa famille.
 「アズナヴーリアン一家は、トルコが1915-1916年にアルメニア人に対しておこなった大虐殺が原因で、逃げてきた。ミシャはジョージア人だから心配せずにすんだが、クナルはトルコ出身なので、殺し屋たちの手から逃れたのは奇跡だった。祖母と彼女だけが、一族の生き残りになるだろう。」
 ここで注釈をはさむ。génocideという語は1944年にポーランド系アメリカ人Lemkinがギリシア語から作り出したもので、元来はナチスと彼らの言うsolution finale du problème juif「ユダヤ人問題の最終的解決」を指した。その後、1970年代になって、語義が拡大し、短期間にあるグループの人間を絶滅させる行為一般を指すようになった。言いかえると、この語ができる以前の出来事にも遡って使われるようになった。
 ところで、トルコが今やKurde人を目の敵にしていることは周知のとおり。上記の1915-1916年の大虐殺の指令を出したのはオスマン帝国だが、それを引き継いだのが今のトルコであることを思うと、指導層の体質に変わりがないことがわかって暗然とする。ここで、話をアズナヴールに戻すまえに、事件の要点に触れておくとしよう。
 (génocide arméniens) au cours duquel deux tiers des Arméniens qui vivent alors sur le territoire actuel de la Turquie périssent du fait de déportation, famines et massacres de grande ampleur. Il est planifié et exécuté par le parti au pouvoir à l’époque, le Comité Union et Progrès (CUP), plus connu sous le nom de « Jeunes Turcs », composé en particulier du triumvirat d’officiers Talaat, Enver Pacha et Djemal Pacha, qui dirige l’Empire ottoman alors engagé dans la Première Guerre mondiale aux côtés des Empires centraux. Il coûte la vie à environ un million deux cent mille Arméniens d’Anatolie et d’Arménie occidentale. (Wikipédia)
 「(アルメニア大虐殺)の間に、現在のトルコ領の中に当時暮らしていたアルメニア人の3 分の2が、大規模な国外追放・飢餓・虐殺のために、落命した。これを立案し実行したのは、当時の与党、統一・進歩委員会(CUP)、通称「トルコ青年」で、これを構成していたのは、特にタラアト、エンヴェル・パシャ、ジェマル・パシャ3将校の三頭政治で、当時第一次世界大戦に中央同盟国側で参戦していたオスマン帝国を支配していた。大虐殺の結果、アナトリアと西アルメニアのアルメニア人120万人が死んだ。」
 アズナヴールはフランスで生まれ、フランスで育った。その意味ではフランス人として第二次世界大戦とその戦後を生きたわけだが、母親の実家がまきこまれたアルメニア人の悲劇とはたして無縁でいられたのだろうか。(つづく)

 
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