朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
 
ドッペルゲンガー 2024.6エッセイ・リストbacknext
 Doppelgängerはドイツ語で「生霊;分身;代役、替え玉」(現代独和辞典)を意味するが、カタカナで「ドッペルゲンガー」と表記した場合、わたしは商売柄、すぐにAlfred de Musset(1810-1857)の詩篇 LA NUIT DE DECEMBRE 「12月の夜」を連想する。31節の長さにわたって 詩人が自身の生涯をふり返る過程で、何度も自分の「分身」に出会うのだ。たとえば、こんな風に。

Du temps que j’étais écolier,
Je restais un soir à veiller
Dans notre salle solitaire
Devant ma table vint s’asseoir
Un pauvre enfant vêtu de noir,
Qui me ressemblait comme un frère.

Son visage était triste et beau:
A la lueur de mon flambeau,
Dans mon livre ouvert il vint lire.
Il pencha son front sur sa main,
Et resta jusqu’au lendemain,
Pensif, avec un doux sourire.
「 小学生だったころ、
ある晩、夜なべをして
人気のない教室にいると、
わたしの机の前に坐りに来た
哀れな黒服の子供がひとり、
まるで弟のようにそっくりなのが」

「顔立ちは悲しげだが麗しかった。
わたしの燭台の明かりを受けつつ、
わたしの前に開かれた本を読もうとした。
額を片手で支えたまま
翌朝までそこにいた
考え深げに、やさしい笑顔で」


Alfred Musset ※画像をクリックで拡大
年上の女流作家George Sandに捨てられた哀しみから来た一種の幻覚かと察せられるが、深追いは控える。というのも、話題を現代に、それもインターネット世界のドッペルゲンガーに転じる必要があるからだ。
 Domani(小学館)のサイトは、SNSの世界を惑わせるドッペルゲンガー・ドメインに言及している。「正規の企業やサービスなどのウエッブサイト・ドメインと、わずかに綴りが異なるものを指す」というのだ。おそろしいのは、著名な企業・団体、各種サービスには、高い確率でドッペルゲンガー・ドメインが存在すること。あげく、この偽サイトに誘導して、フィッシング詐欺に利用する輩が暗躍することになる。わたし自身、最近、あやうく金を巻き上げられそうになった。
 ところが、「平和な」日本だからその程度ですむのであって、ウクライナ戦争の戦場に近いヨーロッパではこのドメインはfake newsに恰好の舞台になるほかない。
 フィガロ紙(6月7日付)は次の見出しの記事を載せた。
Qui se cache derrière « Doppelgänger ». ce groupe russe qui répand des fakes news sur les JO 2024 ?
 「ドッペルゲンガー、2024五輪大会についてフェイク・ニュースをまき散らすこのロシア人グループの背後に誰が隠れているのか?」
 記事はこう始まる。
 En novembre 2023, un nouveau tag a fleuri dans les rues parisiennes
「2023年11月、パリの方々の街路に真新しい落書きが増えた」
ただし、それはSNSで拡散した画像の上だけの話。どんな落書きか?
 On y voit deux mains s’échanger une mitraillette peintes sur plusieurs murs de la capitale. Sous le dessin est représenté le logo des Jeux olympiques de Munich 1972, théâtre d’un attentat qui fera 17 morts, et le logo de Paris 2024.」
 「それを見ると、マシンガンを手渡す二本の手がパリの通りの壁に描かれている。下には、17人の犠牲者を出すことになる1972年のミュンヘン大会のロゴと、2024年パリ大会のロゴが書いてある」
むろん、そんな落書きなど現実のパリにはいっさい見つかっていないのに。
  Toutes les photos diffusées sur les réseaux sociaux sont des photomontages commandés par la Russie, comme le rappelle Microsoft dans un récent rapport sur les tentatives d’ingérences de Moscou sur les JO de Paris.
  「SNSで拡散された画像はどれもロシア製の合成写真であると、モスクワ政府のパリ五輪大会妨害工作に関するマイクロソフトの報告書は指摘する」
 被害はフランスやオリンピック大会にとどまるものではない。Netflix勤務と称するOdetta名のアカウントが2022年の春、ドイツで多数発信をつづけたのだ。
Sur leur compte, les Odetta martèlent en boucle le même message :si l’Allemagne laissait simplement Vladimir Poutine faire la guerre en Ukraine, tout irait mieux. Pour appuyer leurs discours, les troublantes internautes partagent des articles du quotidien allemand Spiegel, du Daily Mail ou de média français. On peut y lire que ce sont les dirigeants ukrainiens qui empêchent les exportations de céréales par peur de perdre leur pot-de-vin. « Si tel est le cas, nous devons comprendre pourquoi tant de dirigeants mondiaux y ont cru(ou en ont été complices », concluent les articles.  

ミュンヘンのテロ事件 ※画像をクリックで拡大
「オデッタはいくつものアカウントをリンクして、メッセージを流した:<ドイツがウラジーミル・プーチンにあっさり戦争を続けさせれば、万事うまくいく>。その証拠として、騒動の種をまくインフルエンサー(つまりオデッタ)はドイツの新聞シュピーゲル、英国のデイリー・メール、あるいはフランスのメディアの記事を援用する。それを見ると、リベートを失うのを恐れて穀物の輸出を妨げているのは、ウクライナの指導者たちだと読める。<そうだとすると、あれほど多くの世界中の指導者たちがなぜ信じたか(あるいは、ウクライナの共犯者になったか)、納得できるはずだ」という結論になる」
 驚くべきことに、引用された西側諸国のマスメディアのサイトはどれもドッペルゲンガー・ドメインになっている。
En examinant les pages internet, on remarque qu‘elles ne correspondent pas exactement à ceux des journaux d’origine. 20minutes.fr est par exemple devenu 20minuts.com, le site de l’agence italienne Ansa.it a son double Ansa,ltd
「インターネットのページをよく調べて見ると、元の新聞のアドレスとぴったり一致するわけではないことが分かる。たとえば、20minutes.fr(フランスの情報サイト)は20minuts.comになり、イタリアの情報サイトAnsa.itはAnsa,ltdになっている」
Meta(Facebookの母体)は2022年末にフェイク・ニュースを流すグループに帰属する1600以上のアカウント、700のFacebookページを削除した由だが、パリ五輪大会の開催が迫って来たいま、ドッペルゲンガーの活躍はこれまでになく活発だ、として記事は終わっている。
 かえりみれば、ロマン派詩人の幻覚に心を揺すぶられた世界から、わたしたちはどれほど引き離されてしまったことか。それも発端は、ロシアの独裁者の気紛れな開戦命令にすぎなかった。この先も、わたしたち人類の命運は彼の判断一つにかかることになるのだろうか。


追記  200回を超える既往のコラムの一部を選んで、紙媒体の冊子を作りました。題して「ア・プロポ――ふらんす語教師のクロニクル」。Amazon, 楽天ブックス三省堂書店(WEB)などオンラインショップで販売中です。
 


 
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