朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
 
教皇選挙 2025.5エッセイ・リストback|next

コンクラーベの会場に入る枢機卿たち ※画像をクリックで拡大
 FrançoisフランシスコからLéon XIVレオ14世へ、ローマ教皇の代替わりはスムーズに行われたようだ。日本の某大臣は記者会見の席で新教皇誕生を祝うつもりで、「ルイ14世」と言ってしまったと聞く。当人の無知もさることながら、彼をとりまく環境がいかにキリスト教と無縁かがあらためて証明されたわけだ。そんな日本でも「コンクラーベ」(カトリック中央協議会の表記))は折りから上映中の映画のせいもあってかマスコミの話題になり、選挙の下馬評まで出る騒ぎになった。
 そこへ行くと、フランスはイタリアに次いで多数の教皇を出した国(といっても216人対16人という大差だが)だけあって、マスメディアの取り組み方もまるで違う。ここでは、フィガロ紙(5月7日付、すなわち選挙の結果待ちの段階))に載った記事をとりあげたい。
題してDu XIIIe au XXe siècle, les élections des papes ne se sont pas toujours déroulées sans heurts…ou sans quelques entorses audacieuses aux règles définies.「13世紀から20世紀にいたるまで、教皇選挙は必ずしも衝突なしに、もしくは規定の横着な歪曲なしに行われてきたわけではない」。歴史家Yves Chironの著書Les dix conclaves qui ont marqué l’histoire 『歴史に残る10大教皇選挙』とジャーナリストBernard Lecomteの著書Tous les secrets du Vatican 『教皇庁の秘密総ざらい』を参考に、歴史に残る衝撃的な逸話を七つ披露して、コンクラーベの重みを現代につなげようとしている。
 皮切りは最長のコンクラーベ(2年9か月と2日)として歴史に残るGrégoire Xグレゴリウス10世の選挙。1268年から1271年まで、中部イタリアのViterbeヴィテルボの教皇宮殿で開かれた。選挙戦の長さに怒った民衆は宮殿の屋根をはがして、枢機卿たちを雨ざらしにしたり、au pain sec et à l’eau「(何もつけない)パンと水だけの」兵糧責めにしたりした由。conclaveラテン語で「鍵をかけた部屋、密室」(古典ラテン語辞典によれば「便所」の場合もある)に籠って選挙を行う制度はこの後に制度化されたらしい。L’objectif était d’éviter les interférences avec les autorités temporelles et la population.「目的は世俗権力や住民の干渉を回避することだった」という。趣旨は分かるが、記事の見出しが示すように、世俗権力が規定を踏みにじる場面が、その後、少なくなかったことも想像に難くない。ここでは、記事を読んでいて、興味深いと思った例を二つあげよう。どれも二十世紀に入ってからの出来事であることに驚く。
 Le conclave de 1903 signe …la fin du «droit d’exclusive», prérogative donnée à des souverains de mettre leur veto à l’élection d’un cardinal comme pape de l’Église.
   「1903年のコンクラーベは、<独占権>すなわち枢機卿をローマ教会教皇に選出する選挙について諸君主に与えられた拒否権の終焉を示した」
 この記述は二重の意味を持つ。一つは257代Pie Xピウス10世の選挙にいたるまで、拒否権が実在したということであり、もう一つは20世紀初頭のこのコンクラーベでもなお拒否権が行使されたということである。
Avant sa mort à l’âge de 93 ans, Léon XIII, «pape très moderne et progressiste, a nommé la quasi-totalité des cardinaux», relate Bernard Lecomte.
 「<たいそうモダンで進歩的な教皇>レオ13世は、93歳で亡くなる前に枢機卿の大多数を任命していた、とベルナール・ルコントは書いている」.
それで、今のフランソワ教皇後と同様に、レオ13世はde sa sensibilité「思想が同傾向の」枢機卿を選んでいたようだから、選挙の結果は事前に決まったも同然だった。favori「本命」はレオ13世傘下の国務長官Rampolla del Tindaro枢機卿で、1回目の投票で29票を得た。


新教皇レオ14世 ※画像をクリックで拡大
 Au second tour du scrutin, le cardinal de Cracovie, Puzyna, se lève pour annoncer le veto de l’Empereur François-Joseph, opposé à l’élection du cardinal Rampolla, jugé trop progressiste et proche de la France. «Dans la panique générale, on finit par pousser la candidature du cardinal Sarto, patriarche de Venise, élu avec 50 voix après sept tours de scrutins… »
 「2回目の投票にあたって、クラクフの枢機卿プズナが立ち上がって、オーストリア皇帝フランツ=ヨゼフ1世の拒否権行使を告げた。あまりに進歩的でフランス寄りだとして、皇帝はランポーラ枢機 卿の選出に反対した。<会場全体がパニックになる中で、7回投票を繰り返した後、最後は50票を得て、ヴェネチア総大司教、サルト枢機卿を推すことになった>」
 こうして«Pie X, le pape le plus réactionnaire du 20e siècle» 「20世紀でもっとも反動的な教皇ピウス10世」が誕生した、というわけだ。拒否権はどうにか機能したことになる。
 もう一つは1939年のコンクラーベ。
 Les cardinaux électeurs ont beau être plus nombreux - 62 - une large majorité est atteinte très rapidement. En deux jours et après seulement trois scrutins, le cardinal secrétaire d’État de Pie XI, Eugenio Pacelli, est élu pape et prend le nom de Pie XII. Cette fois, il s’agissait d’un favori. «Pie XI l’avait désigné comme son successeur. Il l’avait fait beaucoup voyager à l’étranger ; son nom était connu sur plusieurs continents», souligne Yves Chiron. Par ailleurs, Pacelli avait été nonce en Allemagne, «au moment où les chars allemands grondent en Italie», souligne pour sa part Bernard Lecomte...
 「選挙にあたる枢機卿は---62---に増えていたが、そんなことはお構いなく過半数の獲得はあっさり達成された。2日間、わずか3回の投票で、ピウス11世の国務長官エウジェニオ・パチェッリが選出され、ピウス12世を名乗ることとなった。今度こそ、本命が鍵を握っていた。<ピウス11世は彼を後継者に指名していた。彼をたびたび海外に派遣していた。彼の名は数大陸にわたって知れわたっていた>とイヴ・シロンは強調する。それに、パチェッリは教皇派遣大使としてドイツにいた。<その頃、ドイツの戦車がイタリアで轟音を立てていた>とベルナール・ルコントの方は強調する...」
 日独伊3国同盟の時代、ヒトラー、ムソリーニ、スターリンら独裁者が国際緊張を高めつつあった時代、6か月後に第二次大戦勃発をひかえた時期に開かれたコンクラーベだったのだ。それが選挙に影響しなかったはずがない。ピウス12世はやがてナチスとの関係を疑われ、ユダヤ人虐殺に目をつぶったとして批判をあびることになる。その批判がどこまで正しいのか、フランシスコが公開に踏み切ったヴァチカンの秘密文書から何が出てくるのか。いずれにせよ、14億とも言われる信徒を率いる立場の重さをあらためて痛感する。
 新教皇は本命ではなかったが、わずか2日間で選出された。現在の世界情勢に対する枢機卿たちの危機意識が早期の決着をつよく促したのだろう。就任のイタリア語メセージでレオ14世が連呼したpace<平和>(フランス語ならpaix)の一日も早い到来を願うばかりだ。


追記  200回を超える既往のコラムの一部を選んで、紙媒体の冊子を作りました。題して「ア・プロポ――ふらんす語教師のクロニクル」。Amazon, 楽天ブックス三省堂書店(WEB)などオンラインショップで販売中です。
 
 
筆者プロフィールback|next

【NET NIHON S.A.R.L.】
Copyright (c)NET NIHON.All Rights Reserved
info@mon-paris.info