ナントの町から、フラメンコ舞踊家“銀翼のカモメさん”からのお国便り。



セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
第十話
西のベニス(Venise de l’Ouest),奴隷貿易,
そしてトラムウェイ(Tramway)
**中編**
2006.07
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(前編から続く)
2005年の9月中頃に、《ヨーロッパ・ノー・カー・デイ》というような週間があり、市の中心地区(Circuit Coeur)から車を閉め出し、車社会にどっぷり浸かっているフランス人達(地方都市では、自分の車がなければ、夜も日も明けない状態である)の、公共交通機関に対する認識を変える目的(と思われる?)の催しがあった。その時、この1913年開通当時のトラムウェイがお目見えし、9月18日の日曜日1日だけ、ナントの街を走ることになった。「それは、是非、乗ってみたい!」と思ったが、どうも、前もって予約しないと乗れないらしい、という話を耳にしたのは、すでに前日だった。そこで、試しにトゥーリスト・オフィスに予約に行ってみたが、もういっぱい!ただ、当日、トラムウェイの運転手さんに直接交渉すれば、その時の混み具合によっては乗せてくれるかもしれない、という、案外、融通の効いた返事が返ってきた。つまり、劇場のチケットなどを買っても、必ず、当日、来ない人がいて空席が出るのと同じ原理なのだろう。「へえー、そういうものなのか!」と思って、半信半疑ながら、翌日、主人と2人で、出発地点の、臨海駅(Gare Maritime)という停留所に行って交渉してみたら、運転手さんは何となく車内を見回して、「それじゃ、あと4人くらいね。往復2ユーロだから、切符だけ買って来て!」と、いとも簡単にOKしてくれた。喜び勇んだ私達は、運良く財布に入っていた2ユーロ硬貨を握りしめて、大急ぎでホームに設置してある自動販売機まで走り、本当は満席の筈の1913年型トラムウェイに、首尾よく乗り込むことができた。

まるで、模型の電車のように、ほっそりとお洒落なトラムウェイの内部は、木製だった。そして、ニスを塗られた艶のある壁や天井に、真鍮で出来た小道具が、いろいろ付いている。例えば、つり革の根元に真鍮の穴があり、そこに革の紐が通してある。これが、運転席の天井にある真鍮のベルに繋がっている。次の停留所で降りる人は、これを引っ張ると、ベルが「チ―ン!」と鳴って、現在のバスの「つぎとまりますランプ」が点灯するのと、同じ状態になる。そして、緩やかなカーブを描いた真っ白い天井には、アール・ヌーヴォー(Art Nouveau)調のランプが付いている。葉を模(かたど)った真鍮の彫刻から、2本の茎が伸び、幾重にも花びらを重ねた、白い磨りガラスのランプシェードが開花している。換気口も真鍮で造られ、現在の乗り物では見ることの出来ない贅沢な仕様となっている。磨りガラス独特の乳白色のやさしさに、何故か心奪われ、しばらく眺めているうちに、東京駅の赤レンガ部分(丸の内のドーム屋根とか、東京ステーションホテルなど)を思い起こした。赤レンガの駅舎には、ナントのトラムウェイと、よく似た小道具が、そこここに配置されている。いつの時代にもお洒落に見える、あの赤レンガは、いつ頃建てられたのだろうか?何となく気になって調べてみたら、1914 年(大正3年)だった。当時の日本は、日露戦争に勝利を収めていたから、その国威の象徴として、東京駅を、諸外国に劣らない建築物にする必要があった。それを実現したのが、建築家、辰野金吾である。辰野は、自身のイギリス留学中に、現地で流行していた建築様式 (= 赤レンガに白い石を帯状に配置する)を採用し、華やかな建築意匠で東京駅を飾った(当初の駅舎は、今のドーム屋根よりも、もっと凝っている)。それは、ナントのトラムウェイと、全く、同じ時代である。同じ時代の、同じ美意識が、同じように現代を生きている。だから、それぞれの小道具から、同じ周波数の雰囲気が、存在感豊かに香りたつのかも知れない。

さて、トラムウェイの内装を、もうちょっと見物してみよう。ソフトな曲線ラインを描く白い天井と、ニス独特の艶で化粧された木の組み合わせは、そのまま、かつての豪華客船のインテリアを彷彿とさせる。しかも、座席は籐で編んである。背もたれは、前後に動かせるようになっていて、進行方向に向かって座りたい人は、終点で背もたれを移動すればいいし、向かい合わせの2人掛け、4人掛けの席を作ることも出来る。日本の、長距離列車では、椅子を180度回転させることが出来るが、ちょうど、そんな発想である。現在のトラムウェイでも、TGVを初めとする長距離列車でも、フランスでは、座席というものは固定されていて、好きなように向かい合わせの席を作ることは出来ないから、1913年にお目見えしたこのシステムは、画期的な試みだったのだろう。それに、この籐がまた、お洒落なのだ。薄いアイボリーの、細かく編みこまれた籐の手触りは、ヴォリュームがあるのに軽くて、沢山入りそうなのに意外にそうでもなく、要するに、《夏》という季節を持ち歩くためだけに存在していたような、バスケットによく似ている。そんなバスケットには、幅広のきれいなリボンの付いた、つばの広い麦藁帽子と、背中で、やはり大きなリボンを結ぶようなワンピースが、よく似合っている。つまり、〈夏のお出かけ〉という概念を、心ゆくまで着飾った時代のイメージである。そこには、20世紀初頭の贅沢が確実に存在し、その中で育まれた、繊細な美的空間が広がっていた。ちょっと触ってみるだけでも、指先から、製作者の満足感が、惜しみなく伝わってくる。それは、ある種の美の存在を信じ、その美を追求し、そして実現した人間のみが感得することの出来る充足感である。その、充分に満ち足りた思い故に、この空間は、自らの姿を信頼して、生きてきたのだろう。やがて、100年にもなろうというのに、その空間はすべての小道具をそのままに、たっぷりと、自らの持ち続ける美を生きていた。そこには、おそらく、開通当時と同じ空気が流れているにちがいない。

さて、2ユーロの切符を買った私達が乗り込むと間もなく、この美しきトラムウェイは発車した。久し振りにお客さんを乗せて、いそいそと出発するトラムウェイは、何だか嬉しそうだった。その、はちきれんばかりに沸きあがる嬉しさを、さりげなく隠して、とりすました顔をしながら走っている、そんな感じの道行きだった。そして、次の停留所は、造船所(Chantier Naval)。大規模な河岸として、一世を風靡した当時そのままの、停留所名が続いている。このトラムウェイも、かつての、豪奢なナントを思い起こしながら走っているのだろうか?レールと車体が一緒に歌う、規則的な鉄の音さえも、ちょっとわくわくしている感じで、それを聞いている私達も、特別貸し切りの電車でどこかに出かける小学生のように、単純に嬉しくなってきた。しかも、「私、綺麗でしょう?」という面持ちで、ナントの街を走っているトラムウェイに揺られているうちに、だんだん、昭和40年代中頃まで、東京の、あらゆる大通りを走り抜けていた都電の、シンプルで一生懸命な音が思い出されてきたのである。私が、幼稚園に通っていた頃は、東京の重要な交通網は都電だった。その頃の東京を、ちょっと思い出してみたくなってきた。  (juin 2006) (後編に続く)

追憶を 花弁の襞(ひだ)に たたみ込み
乳白色の ガラスが燈る
カモメ 詠

アクセス
- パリ、モンパルナス(Paris Monparnasse) 駅から、 フランスの新幹線TGV (Le Croisic) 方面に乗って、約2時間
- (Nantes) で下車。
- 北口から、(Tramway) の1番線 (Francois MITTERAND) 行きに乗る。
- 右手に、ブルターニュ大公(Duc de Bretagne)の城を見ながら、3つ目の コメルス広場(Place du Commerce) で降りると、バス、トラムウェイのターミナルになっている。
- トラムウェイの2番、3番線にも、ここで乗り換えられる
- スミタン(SEMITAN)という、ナントの交通機関の切符発売所なども近くにあり、バス、トラムウェイの時刻表、路線地図も手に入る。
- ロワール河岸に行くには、そのまま1番線に乗り続け、コメルス広場から5-6分、造船所(Chantier Naval)、あるいは、臨海駅(Gare Maritime)で降りる。
- コメルス広場から、21番のバスで、シャントネ(Chantenay)、ペレ(Perray)方面に乗り、ギャレンヌ(Garennes)で下車すると、ジュール・ヴェルヌ(Jules VERNE)博物館があり、そのあたりはサント・アンヌ(Ste.Anne)という丘になっているので、ロワール河岸がよく見える。

1913年型トラムウェイ開通当時のコマース広場
(Place de Commerce)の様子。



2005年9月に、コマース広場を走る1913年型トラムウェイ。


18世紀の建造物が、今も建ち並ぶ、河岸に近いこの一角の風景と、1913年型の車体はよく似合っている。


1913年型トラムウェイの内装



真鍮のベル



つり革、ランプ、換気口。



アール・ヌーボー風のランプの詳細



籐で編んだ座席の背もたれ。この写真は、背もたれを中央に持ってきたところでどちら側にも、倒せるようになっている。



籐で編んだ、2人掛けの座席を、4人掛けにしたところ。

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