ナントの町から、フラメンコ舞踊家“銀翼のカモメさん”からのお国便り。



セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。

第二十五話
バナナは、Quai des Antilles (ケ・デ・ザンティーユ =アンティーユ河岸)で熟す
**中編**

2008.4
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(前編から続く)
アンティーユ河岸の後ろ側にある、サン・ドミンゴ通りから、島の反対側の河岸、Quai President WILSON(プレジデント・ウィルソン河岸、この河岸には、大型客船も接岸できる。第9話 参照)を繋ぐ通りには、植民地っぽい名前がついている。Rue de la Guyane(ギアナ通り), Rue du Tonkin(トンキン通り), Rue du Senegal(セネガル通り)。漠然と広く、ただ平らな川中島なのに、そういう所で、こんな名前にお目にかかると、ナントと、アフリカ東海岸、中南米の西海岸の密接な関係が、かえって具体的に迫ってくる。

ところで、〈トンキン通り〉というのを見た途端、「どこから来たの?」「トンキン!」という会話と、『Bali Hi(バリハーーーーイ)』という映画音楽が聞こえてきた。あれは、何だったっけ?確か、トンキン人とアメリカ人の出てくる古い映画・・・。タイトルは、そう、『South Pacific(南太平洋)』。トンキンという響きが面白かったので、覚えていたのである。洋画が大好きだった私は、小学生の頃、毎晩、テレビの洋画劇場を見ていた。あの頃は、毎日21時から、必ず、どこかのチャンネルで(衛星放送も、ケーブルテレビもない昔)、たっぷり2時間、洋画を見られたのである。映画解説も面白かったので、毎晩、すごく楽しみだった。今考えてみると、私の両親も、よく小学生に、夜遅くまで映画を見させてくれたものだと、感心するが、「こんなに映画ばっかり見て大丈夫かしらね?」と、母が心配していた学期の成績が、映画に溺れる前よりよかったので、そのままOKになった気がする。で、この『バリハーーーイ』と歌う、南太平洋の魅力たっぷりの映画にも、文字通り溺れるように、見入っていたのだろう。今、調べてみたら、1958年制作、往年のミュージカル映画、実は、第2次大戦中の島の物語だそうである。ただ、島に駐屯してくる連合軍の中尉さんと、フランス人植民者の、それぞれの恋物語だから、私は、戦時下の話だとは、全然知らなかった。で、そのケーブル中尉が恋におちるのが、美しきトンキン人の娘 = ライアットだった。トンキン人とは、今のベトナム人。Golf of Tonking(トンキン湾)は、ベトナムと、中国の海南島に挟まれた入り江で、歴史的には、1964年8月のトンキン湾事件が、ベトナム戦争の発端になっている。

で、勿論、トンキン通りを見に行ったら、この辺は、大きな倉庫ばかりが漠然と、だだっ広く土地を使っている、本当に何もないところだった。ここに比べたら、バナナの倉庫周辺でさえ、かなり、文化の香漂う感じである。さらに、何もないだけでなく、何かが壊された跡地も、壊されたまま放棄されている。コンクリートの巨大な破片が、ローマの遺跡さながらにゴロゴロしていて、しかも、その破片にもtag(タグ)と言われる落書きがあった。このタグは、街中、至る所(塀にも、工事現場にも)に溢れていて、すごい高所にも、侵入不可能そうな所にも、ちゃんと描いてあるから感心する。その、エネルギッシュな落書きに圧倒されながら、辺りを360度見回してみたら、何と、小さなカフェがひとつあった。その名も、Cafe de Tonkin(トンキン・カフェ)。残念ながら、閉まっている。あの、映画『南太平洋』の雰囲気とは、全くかけ離れたカフェなのだろうが、もし開いていたら、話の種に、恐る恐るでも入ってみたかった。こういう何もないところで、適当に造った道に、適当な名前をつけていく、植民地っぽい適当さ。そういうところに、地球の向こう側まで出かけて、占領・支配をしていった人達の、conquistadores(コンキスタドレース = 南米を植民地としたスペイン人征服者のこと)的メンタリティーを、垣間見る気もする。

そういえば、このボーリュー島だけでなく、ナントのあちらこちらに、海運都市の面影を偲ばせる名前の通りがある。Impasse des Armateurs(アンパス・デ・ザルマタール = 船主の袋小路), Avenue des Navigateurs(アヴニュー・デ・ナヴィガタール = 航海士の通り),Avenue de l'Equipage(アヴニュー・デ・レキパージュ = 乗組員の通り), Avenue du Sextant(アヴニュー・デュ・セクスタン = 六分儀 = ある地点から、たとえば、水平線と太陽のような、2つの物体を見て、自分とそれぞれの目標物との間に出来る、2つの直線の交わる部分の角度を計り、自分がいる地点を割り出す、航海に必要な器械。一定の時間に、何回か行い、その平均値を出すそうである。 = の通り)など。さらには、Avenue de l'Amazonie(アヴニュー・ド・ラマゾニー = アマゾン川流域地帯の通り),Impasse de Jangada(アンパス・ド・ジャンガダ = ジャンガダ = ブラジルで、筏に使われる軽い木 = の袋小路)など、ブラジル系の通りもある。かの大航海時代、フランスは、2度、ブラジルを植民地にしようとして、失敗に終わっているらしい。それに、1896年に、ナントの旧ドュビジョン造船所 (ナントの造船業のお話も、そのうち御紹介してみたい)で建造された、現存する最後の3本マストの帆船 = Belem(べレム)が、33回に及ぶ大西洋往復で、大量に輸送し続けたfeve de cacao(フェーヴ・ド・カカオ = カカオ豆)も、ブラジル産である。だから、この時代の人々にとっては、現在残るフランス領だけでなく、もっと広く南米、そして、フランス支配下にあったベトナムのトンキン湾までが、ずっと近距離で親しみのあるものだったのかも知れない。

そんなことを想いながら、再びアンティーユ河岸のほうに戻ってみると、島のモダン化に伴い、City Art(シティー・アート)っぽく並べられた、大きな輪の連なりが目に入ってきた。25m位の間隔で18個、河岸に対して、ちょっと斜(はす)に置かれている。その輪を覗きながら歩いてみると、斜めだから、自分のいる場所によって、向こうの景色が、それぞれの輪の中に思い思いに切り取られていった。街の中心のほうを眺めると、Notre Dame de Bon Port(ノートル・ダム・ド・ボン・ポール)教会の丸屋根がすっぽり、はまっている。この教会は、オフィシャルには、Eglise Saint-Louis(サン・ルイ教会)という名前だが、ナントが海運業に大輪の花を咲かせている、1846年の建築だから、もっぱら《良き港のノートル・ダム》教会と呼ばれている。三角貿易で潤った船主達が建築した、華麗なバルコニーを擁するアパルトマンが並ぶQuai de la Fosse(フォッス河岸)から、ちょっと奥まった、Place du Sanitat(サニタ広場)に建っている。現在では、その名もChantier Naval(シャンティエ・ナヴァル = 造船所)という、トラムウェイの停留所が最寄りの駅。そこから見上げると、丸い広場を囲む回廊のような建物に、両サイドを切りとられた形で、ちょっと申し訳なさそうに建っている。が、広場まで登ってみると、なかなか立派。広角レンズがないと、どんどん後ずさりしながら、写真を撮るようになる。中に入ってみたら、ドーム屋根の部分が、爽やかなブルーで印象的だった。良き港に似合う、いいブルーだった。

さて、話を元に戻して、もう1度、アンティーユ河岸に並ぶ輪を覗いてみよう。河岸に対して、斜めの円の中に、ちょうど船が通過していることもある。対岸を見てみると、白亜の館、Musee de Jules VERNE(ジュール・ヴェルヌ博物館 = ジュール・ベルヌは、ナント生まれだった)が、絵画のように収まっていた。そして、下流のほうに目をやると、1896年に、Ancien Chantier de DUBIGEON(アンシアン・シャンティエ・ドゥ・デュビジョン = 旧デュビジョン造船所)が、華麗なる帆船べレムを建造し、送り出した時のまま、今にも崩れそうな、心もとないクレーンとともに建っていた。西に傾き始めた陽の中で、大きな輪っかは眩しそうに輝き、その瞬(まばた)きの中で、旧い造船所は無言で、影絵のように黒かった。それぞれの輪の中に、それぞれのオブジェが、丸くカットされ、展覧会の絵のように、アンティーユ河岸を飾っていた。時々、ナントとトロントムーを繋ぐNavibus(ナヴィビュス = 水上バス)が、往来している。それを、輪の中に捕らえてみた。すると、現代を航行している筈のナヴィビュスさえも、歴史の1コマのように、川の景観を飾ってしまった。そして、それぞれの歴史と、それぞれの過去が、10月半ばの入り陽を受けて、シャープな光輪となり、21世紀のオブジェに昇華されていた。

その数々の絵画を従えるように、長い長いバナナの倉庫が、やわらかく磨り減った引込み線と並んで横たわっていた。毎日のように訪れる人間達を、18世紀の、海運都市ナントの賑いに、引っ張り込んでしまうような銀色の線路と並んで、コンクリートの貯蔵庫は、今、自分の中に溢れる、沢山の個性の乱舞を、嬉しそうに、そして、頼もしく抱えていた。個性と個性のぶつかる、様々なカフェの林立を、おおらかに抱え込んで尚、充分に余りあるほどの大きな個性を、このバナナの倉庫は、持っているのだろう。大西洋を渡っては、無数のバナナを運んでくる定温輸送船を、毎週毎週迎え入れた、頼り甲斐のある倉庫なのだから。こうして、ついこの間まで、随分殺風景だった倉庫は、きらきらと嬉しそうに、心ゆくまで、存分に、今を生きていた。

(mars 2008)
(後編に続く)


Bali Hiの 歌蘇る 船着場 
トンキン通りに 銀幕重ねる
カモメ詠

輪の中に収まった、旧ドュビジョン造船所。ロワールの川幅半分は、半円の中で西陽を乱反射し、光と戯れる水滴が、きらきらという眩しい音をたてて、西へ西へと流れていく。

対岸の、ジュール・ベルヌ博物館が、輪の額縁で、油絵のような質感を見せている。ちょうど足元に置かれた自転車が、面白いアクセントになっている。いろいろな街角を、思いつくままにカメラの画面で切り取ってみると、自転車というのは、二輪車というメカニスムが持つ特殊なオブジェ効果で、それぞれの瞬間を演出してくれていることがよくある。


ナヴィバスも、輪の中を航行していく。やっぱりナントは、海運都市、水運都市であり続けるべきだったのだと思う。ロワールが、悠々と横切って流れていくこの街に、車社会は、あまりにも不条理で、不釣合いなのである。



プレジデント・ウィルソン河岸には、大型客船も接岸できる。後方に、灰色のタイタンのクレーンが見える。その右手が、アンティーユ河岸で、バナナの倉庫が寝そべっている。


このあたりの、漠然と広い地域のに、点々と付けられた、植民地っぽい道の名前 。
 
 

今日はお休みの、トンキン・カフェ。




トンキン通りの空き地の塀に描かれた、派手な落書き。



トンキン通りの空き地に転がっている、コンクリートの塊にも、周到にtag(落書き)はし尽くされている。


海運都市ナントの面影を偲ばせる、通りの名前の 数々。
 
 

ジュール・ベルヌ博物館のある、サン・タンヌの丘から、ボーリュー島を見下ろす場所(ジュール・ベルヌらしい、少年水夫の像の隣)に立っている、航海士らしい銅像。この人物が、覗き込んでいる器械が、sextant (六分儀)である。こうやって、自分のいる位置を計算する道具らしい。

ナントで造船された、 現存する、最後の3本マストの帆船 = Belem。この写真は、べレムが、2003年6月20日の夜半に、ボーリュー島の向かい側に位置する、フォッス河岸に寄港しているところに、幸運にも、偶然、遭遇して撮ったもの。


べレムが運び続けたカカオも、こんな麻袋に入って陸揚げされたのだろうか?


べレムも、袋小路の名前になっている。


ボーリュー島から、フォッス河岸を眺めた遠景。18世紀に、栄耀を極めた船主たちのアパルトマンが建ち並ぶ河岸に、トラムウェイが走り、その奥の、サニタ広場に君臨する、ノートル・ダム・ド・ボン・ポールの丸屋根が見える。


トラムウェイの停留所 = シャンティエ・ナヴァルと、そこから眺めた、ノートル・ダム・ド・ボン・ポール。




サニタ広場を囲む建物の間から、撮った写真。これ以上近づくと、広角レンズが必要になる。


円形のサニタ広場に沿って建つ、円形の建物。道に面した1階部分は、円形の回廊になっている。今では、回廊の部分も利用して、テナントが入っている。

ノートル・ダム・ド・ボン・ポールの丸天井。吸い込まれるようなコバルト・ブルーを見上げていると、何となく、プラネタリウムにいるような錯覚に陥る。で、星を見ながら精密な航海をする、ポリネシアの人達のことを、ちょっと考えた。


教会内部。いいお天気の日だったので、窓から差し込む光が、その温度感で、壁画を包んでいた。


アクセス
- Paris - Monparnasse (パリ・モンパルナス)駅から、TGV Atlantique のLe Croisic (ル・クロワジック) 方面行きに乗り、Nantes (ナント)下車。(約2時間)
- ナント駅北口で、トラムウェイ1番線 Francois MITTERAND (フランソワ・ミッテラン) 方面に乗り、Chantier Naval (シャンティエ・ナヴァル) 下車。ナント駅から、5つ目の停留所。
- 停留所から、ロワール川を隔てて、向こう側が、もう、L’Ile Beaulieu (ボーリュー島) = 現在では、L’Ile de Nantes (ナント島)。Pont Anne de Bretagne (アンヌ・ド・ブルターニュ橋)を渡れば、島に入れる。が、Hangar a Bananes (バナナの倉庫)のあるQuai des Antilles (アンティーユ河岸)までは、かなり歩く。バスは、滅多に来ないので、頑張って、下流を目指し、西へ西へと、新大陸に向かって歩いてください。
- Quai de la Fosse (フォッス河岸)と、Trentemoult (トロントムー) を繋ぐNavibus (ナヴィバス = 水上バス)に乗るなら、トラムウェイで、ひとつ先の、Gare Maritime (ギャール・マリティム) で降りれば、目の前が、乗船所になっている。
- Musee de Jule VERNE (ジュール・ヴェルヌ・ミュージアム)に行くには、トラムウェイで、駅から3つめの Place du Commerce (コマース広場)で降り、21番の市バス Gare de Chantenay (シャントネー駅)方面に乗る。La Butte Ste Anne (聖アンヌの丘)で下車。
- ボーリュー島の中は、漠然と広いので、歩くのは大変!市営のパーキングに貸し自転車があるので、それも1案。コマース広場に隣接したフェイドー島地区に、トゥーリストオフィスがあるので、まず、そこに行ってみるのがお勧め。

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