朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
つよい女性とPACS[paks]
2007.07エッセイ・リストbacknext

Mme Ségolène Royal

 Mme Ségolène Royalのことは名詞の性に関連して去年の11月にとりあげた。当時は大統領選挙を数ヶ月後にひかえ、彼女はいわば人気の坂を登りかけた矢先だった。あれからわずか半年強にしかならないのに、いったん絶頂に立ったあと、二度にわたる選挙での敗北にはじまり、これまで夫婦の関係にあった同じ社会党員のM.François Hollandeと離別するという今回の報道にいたるまで、いわば運命の坂を転げ落ちることになってしまった。比喩として、ジェットコースターという語を持ち出そうとして、これが和製英語にすぎないことに気づいた。
 わき道に逸れるが、本物の英語ではroller coaster、フランス語ではmontagnes russes(すこし前はscenic railwayという英語からの借用語も用いられた)という。Wikipediaによると、その起原は意外に古く、18世紀末にロシアのサンクトペテルスブルクにあった雪の斜面を橇で滑り降りる遊びまで遡る。つまり、元来は冬季オリンピックでおなじみのリュージュlugeと同根だったことになる。それが19世紀になって、les Montagnes Russes à Bellevilleという企業がパリのベルヴィル丘陵の起伏を利用して、車輪つきの橇を滑らせた(1812年開業)のが当たって、ついには新奇な物は苦手なはずのGoncourt兄弟の日記にまで登場するようになった。軽佻浮薄なジェットコースターなるものはてっきりアメリカ人の発明だとばかり考えていたが、どうやらフランス人のほうが先陣を切ったものらしい。むろん、今日のような大掛かりな技術・施設を開拓し、遊園地のドル箱にまで発展させたのはアメリカ人、それも20世紀のアメリカ人であったことはいうまでもない。
 さて、脱線したついでにつけ加えるが、「人生の有為転変」を表わすのに、わたしたちはとかく「人生、山あり谷あり」などという言い方をしがちで、その延長線上で「ジェットコースターのように」という表現が使えそうに早合点したのだが、大きな辞書を見てもフランス語にはmontagnes russesをそこまで比喩的に使った例はなく、あるのはせいぜいつぎのような場合にとどまる。
 Le bateau s’enfonça, c’était les montagnes russes .... Ça montait doucement, doucement, à la dérobée et ça descendait de même<...>  (Sartre)
 「船体は沈みこんだ。まるでジェットコースターだった。ゆっくりゆっくり、気づかれぬように上っていったかと思うと、コースターなみに滑り落ちたのだった」
 そこで「人生の有為転変」と言いたければ、つぎのような表現が普通らしい。
 Elle a connu beaucoup de vicissitudes.「彼女は数々の有為転変を経験した」
 vicissitude(複数が普通のようだ)は英語にもあるが、平行して
 She has had ups and downs in life.という表現も使われるから、その意味ではフランス語より英語の方が日本語に近いのかもしれない。
さて、話題をMme Royalに戻す。女史は選挙戦を通じて身をもって証明したように強い女性だから、まかりまちがっても、つぎのような泣き言を口にはしない。
 Hélas ! qui peut savoir le destin qui m’amène ?
 「何を言う。わたしを導く運命など、誰に分かる。」(渡辺守章訳)
 これは17世紀の劇作家Racineの初期の名作Andromaque『アンドロマック』開幕してまもなくの台詞だ。台詞の主はOresteオレスト(古代ギリシア、アルゴスの王アガメムノンの息子)。Hermione エルミオーヌ(ゼウスの娘ヘレネーの娘)に恋して、冷たい彼女を追って、今しもエーペイロスにやってきたところ。周知のとおり、相手に邪険にあしらわれ、運命に絶望し、悲劇の幕切れには狂乱状態で倒れる。まさに、運命に弄ばれる人間の典型だ。
 このオレストとは正反対に、Mme Royalは、別れ話の噂の真相を問いただす記者たちに、臆することなくこう発言した。
 C’est vrai que j’ai proposé à François Hollande de vivre sa vie de son côté et qu’il l’a accepté. Nous ne sommes plus au même domicile, et ça correspond à la réalité de notre relation.
 「たしかに、わたしはフランソワ・オランドにあなたはあなたで勝手に暮らしてと提案しましたし、彼もそれを承知しました。わたしたちはもう同じ家には住んでいませんし、それが二人の現実のあり方に合致しています」
 実に明快な答えで、その堂々たる話し方には圧倒されるほかないが、この態度を支えているのは、情愛の問題以外に、制度の問題であることに気づいてわたしは息を呑んだのだった。その制度とは何か、つぎの記事(6月19日付けLe Monde紙)を読もう。
 Ainsi prend fin, au vu de tous, l’histoire d’un couple pacsé mais non marié qui s’est rencontré sur les bancs de l’ENA, il y a trente ans, et qui a fini par se trouver en situation de concurrence.
 「こうして、衆人環視の中で、契約しているが結婚してはいないカップルの歴史が終わった。二人は30年前、国立行政学院の教室で出合い、最後は競争相手となってしまったのだ」


M.François Hollande
要点は、二人が高級官僚、ひいては政治家の登竜門になっているEcole Nationale de l’Administrationで知合ったエリート同士であること、今や共同生活者ではなく、共に社会党リーダーの地位を争うライヴァルであることに尽きるが、ここでわたしが注目したいのはse pacser(引用の太字部分。過去分詞の形)という動詞である。
 調べてみると、pacte civil de solidarité「パートナー契約」(略してpacs)を結ぶことをse pacserというとある。では、1999年の法律で(いわば20世紀の到達点だ!)規定されたその契約とは何か。性を問わず(同性愛も可ということになる)、三親等以上の独身者が二人で共同生活une vie communeを送ろうとする場合に結ぶ契約で、他に家族関係un lien de familleがあれば契約は結べない。管轄の裁判所に以下の書類を提出すれば成立する。
 協約書2通;身分証明書;出生に関する戸籍抄本;他の家族関係がないことを証明する誓約書;出生地の管区裁判所が発行する、他にパートナー契約を結んでいない旨の証明書;届出地の裁判所管轄内に共同生活の住所があることを示す申請書。
 手続きは簡単だが、パートナーpartenaireに対する義務(扶養・租税負担・遺産など)をともなうことに注意せよ、とある。要するに、単なる野合ではなく、結婚と同じ「法律的な制度」なのだ。
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