朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
nouveauの話 2007.12エッセイ・リストbacknext
  すでに古い話になるが、11月の日本はひさしぶりにフランス人気で沸いた。

ボジョレ・ヌーボー
 一つは15日に世界でいちばん早く解禁になったbeaujolais nouveauのお蔭だ。ボジョレー(という表記が今は一般化したようだ)というと思い出すのは、一昔前のこと。正月お屠蘇気分のころ、年始の挨拶に行く前にデパートに立寄り、酒を買った。レジの行列の前で、妙齢の女性が「ボージョレー・ヌーボーを下さい」と懇願している。「時期が過ぎまして、ヌーボーはもうございません。今でしたらボージョレー・ビラージュがよろしいかと存じます」という店員に、彼女は「何だかわからないけれど、頼まれてきたのはヌーボー*なんだから、ヌーボーを下さい」と食い下がる。取り込み中とはいえ店員の説明が足りないこともある。しかし、要するところbeaujolaisがまだまだ馴染みうすだったということに尽きるのだろう。ところが、今や晩夏のころからコンビニまでが予約受付のポスターを貼りだし、「11月9日10時までにご注文いただければ、解禁前日14日中に配達いたします」というモテかた。昨今の円安もどこ吹く風という気配なのである。
 もう一つは22日に発売になったGuide Michelin Tokyoの爆発的人気。買った人が皆高級料亭に繰り出すとはとうてい思えないが、英語版だか日本語版だかの初版はたちまち売り切れになったとか。東京のrestaurants150軒が選抜され、獲得したétoileの総数は191に達し、パリの97、ニューヨークの54を軽く凌駕したという。発行記念パーティの模様を報じたLe Figaro紙(11月23日付け)はTokyo, nouveau centre du monde de la gastronomie「東京、美食の新しい世界的中心」という見出しを掲げる始末。筆者によれば、Paris, on le sait,n’est plus la capitale mondiale de la gastronomie depuis une décennie.「周知のとおり、パリはもう十年も前から美食の世界的中心ではなくなっている」のだそうだ。同紙を信ずれば、パリのレストランの数は12,500、それに対し東京には138,000軒あるというから、少なくとも量的には東京の圧倒的優位は動かない。質の面でも(さすがに寿司屋をはじめとする日本料理屋が多いようだが)、東京のレベルの高さには誇り高いミシュランも脱帽せざるをえなかったものと見える。
 ところで、私とてワインや料理に関心がないはずはないが、いま問題にしたいのは、純粋に語学的なこと、つまりnouveauという形容詞の使い方だ。もう一度、字面を見てほしいのだが、beaujolais nouveau であり、nouveau centre du mondeである。つまり同じ形容詞nouveauが一方は名詞の後、他方は前に置かれている。むろん基本的にnew「新しい」という語義には変わりないが、前置か後置か、の差異にどんな仕掛けが隠されているのだろうか。これについて、一応の説明を試みたいと思う。
 前者はde la saison「今季とれたての」の意。だから、「今年のボジョレ地方産ぶどうを醸造した新酒」ということ。時にラベルにprimeurという語が添えられていることもあるが、これは「新鮮さ;初物」を意味する名詞、特にワインの場合は「(その年のブドウで作った)新酒」を指す。上記のデパートでは売り切れだったようだが、売れ残ったとしても、「新酒」であるからには、解禁日から二月近くもたってnouveauを名乗るのは差しさわりがあろう。いつまでも「新米」が新米で通用しないのと同じだ。
 もっと一般的な語義はQui apparaît pour la première fois; qui vient d’apparaître「初めての、最新の、最近出現したての」と説明される。用例としてはmot nouveau; new word 「新語」、ville nouvelle; new town「新興都市」、modèle nouveau; new model「新型」などがある。art nouveau「アールヌーヴォー」も元来はこの用法の延長線上にあったはずだが、周知のように、1890年代パリを中心に流行した美術様式を指すことになった。

<ミシュランガイド東京篇>
刊行を報じる朝日新聞
 他方、nouveau centreの場合はnew といっても、Qui apparaît après un autre qu’il remplace; qui a succédé, s’est substitué à un autre「取って代わる、別の、新しいタイプの」というニュアンスが強い。上の例に即していえば、パリがancien centre du monde de la gastronomie「美食界の元世界の中心」だったことが背景にあるのだろう。類例としてはma nouvelle adresse;my another(new) address「私の新しい住所」があるが、これも「旧住所」mon ancienne adresseとの対比によって生じた用法である。くどいようだが、vin nouveau 「新酒」を引き合いに出そう。当然のことながらnouveau vinという用法もあるが、これは「今までのとは別の酒」の意。goûter un nouveau vin 「別のワインを飲む」。またvoiture nouvelleは「新型車」だが、nouvelle voiture は「新しく買い換えた車」である。よく熟した用例をあげれば、Nouveau Testament「新約聖書」、Nouveau Monde「新世界(=アメリカ大陸)、Nouvel  An; New Year「新年」、nouvelle cuisine「ヌーヴェルキュイジーヌ」(1970年代に始まる、今までとは異なる仏料理の新傾向)。
 因みにles nouveaux mariés ;the newlyweds「新婚夫婦」、les nouveaux élus;the newly-elected members「新規の選出者」、les nouveaux venus; the newcomers「新参者」 のようなケースは語順とは無関係とみるべきだろう。
 最後に一言。「新しい」の場合、英語はnew一本槍ですむが、厄介なことにフランス語にはnouveauとは別にneufがある。これは必ず名詞の後でつかわれるという点では問題ないが、「新しい」とはいってもqui vient d’être fait et n’a pas encore servi「出来たてで、まだ使われたことのない」の意味だ。maison neuve 「新築の家」、livre neuf「新本」(「古本」はlivre d’occasion)のように使われる。だから、Ma nouvelle voiture n’est pas neuve.
「私が今度買った車は新品ではない」ということもあり得るわけだ。その上にややこしいのは、voiture neuve 「(買いたての)新車」が常にvoiture nouvelle「(開発されたばかりの)新型車」であるとはかぎらないことだ。

 *今や使われることが稀だが、「ヌーボー」は立派な日本語であり、国語辞典によると「(態度・人柄などが)つかみどころのないさま」と説明されている。さしずめ最近逮捕された元防衛次官は「ヌーボーとした男」の典型だろう。

[追記]
前々回、中国のエコロジストWu Lihong氏(9月号の記事参照)の漢字表記は「呉立紀」であると報告したが、その後、別の読者から「呉立紅」が正しいという指摘を受けた。ご好意に感謝しつつ、訂正する。
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