朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
大リーガーのドーピング 2008.1エッセイ・リストbacknext
 Le Monde紙(2007年12月29日付け)のBase-ball américain sous dopage「ドーピング蔓延下のアメリカ野球」という解説記事に魅かれた。アメリカ大リーグのドーピング事件は承知ずみだし、フランスから目新しい情報が入るはずもないが、野球とは縁薄のフランス紙がこの件にわざわざ踏み込んだのは何故か、その謎を解きたいと思ったのだ。

モンロー、ディマジオ夫妻
 断っておくが、縁薄といっても、フランス語にも野球用語が存在し、pitcherがlanceur、 catcherがreceveur、batterがbatteurくらいまでは仏和辞典にも採録されている。元阪神タイガースの吉田監督の指導でフランスに野球チームが誕生したこともあった。しかし結局は定着せず、アテネ・オリンピックの予選リーグにも参加できなかった。同じ米国産の団体スポーツでも、「バスケット・ボール」basket-ball(basket)や「バレー・ボール」volley-ball(volley)の方はそれなりに人気を集め、Petit Larousse程度の辞書でさえ図解入りでルール解説を載せている。それに比べると、同辞典のbase-ballの項にはSport dérivé du cricket, très populaire aux Etats-Unis 「クリケットから派生したスポーツで、合衆国でとても人気が高い」という説明があるばかり。いかにも素っ気ないが、フランス国民の間ではこの程度の扱いで十分なのだろう。
 それを心得た筆者(同紙アメリカ特派員)は、ニューヨークの大衆紙Daily Newsの12月16日付け一面トップにHonte à vous ! Shame on you!「恥を知れ!」という大見出しが踊った、罵られた相手はニューヨーク市民いや米国人の自慢の種、Yankeesヤンキースの選手達だという風に切り出したあと、野球の重みを印象づけようとして、二つの証拠をあげた。
 第一:ヤンキーズがスター選手を輩出し、26回も全米選手権を奪った名門チームであること、しかも、その選手権試合はWorld Seriesと呼ばれることに注意を促した。その際、
 World Series…Le “championnat du monde”. Peu importe que le base-ball soit le premier sport au Japon, à Cuba et au Mexique. Le base-ball, comme Hollywood, c’est l’“Amérique-monde”.「ワールドシリーズ...つまり世界選手権だ。野球が日本、キューバ、メキシコでトップ・スポーツであることなど何処吹く風。野球はハリウッドと同様に、アメリカ即世界なのである」と書き添えることを忘れなかった。
 第二:1999年末にある絵入り雑誌がcouple du siècle「今世紀を代表するカップル」としてMarilyn Monroe=Joe DiMaggio夫妻を選んで特集した、その故事を拾いあげたところまではいいが、それに添えたコメントが振るっている。


ウエッブサイトで販売されている
HGH製剤

 Le socialisme, disait Lénine, c’est les soviets et l’électricité. Le rêve américain, c’est Marilyne et Joe, Hollywood et le base-ball. 「レーニンは言った、社会主義とは、すなわちソビエト[労働者・兵士からなる評議会]と電力である、と。[同じ伝でいえば]アメリカン・ドリームとは、すなわちマリリンとジョー、ハリウッドと野球である」
 こうした前置きのあと、例のGeorge Mitchel元上院議員の調査報告書の概要が紹介されている。筋肉増強剤使用を否認する選手、否認できない選手、リストから洩れた選手の噂など、既知のネタが多いが、かならずしもそれだけではない。30球団中ヤンキースの選手が最多である一方、Red Soxs(ママ)の選手は一人しかいないことが強調され、当のミッチェル氏がレッドソックス球団の重役であるのはune coïncidance... fâcheuse「偶然だとしても具合のわるい巡り合せ」と皮肉っている。わたしの見落としかもしれぬが、日本の報道ではついぞ触れられなかった話ではないか?
 しかし、驚くのはまだ早い。というのも、この記事の狙いはむしろこの先にあるからだ。記者は、このスキャンダルを非難するマスコミや球界関係者の不快感や心配をよそに、アメリカの世論は動揺せず、ファンの足は球場から遠のいていない、という事実認識に立ち、そこから問題をほりさげていく。
 Comme si chacun savait bien. Comme si tout cela ressortait d’une certaine “ normalité ”. 「まるで誰もが百も承知だったといわんばかりに。こうした一切のことがもともと一種の<正常な行い>に属しているかのように」
 さて、<正常>の背景は何か?les produits qui “améliorent”ces performances –masse musculaire,fatigue,mémoire,respiration,sexualité, rajeunissement, on en passe 「肉体諸機能――筋肉量・疲労・記憶力・肺活量・精力・若返りなど、など―を<増進・回復>する製品」の販売がReagan大統領時代に自由化されて以後、製造・販売業者と消費者がアメリカ社会では増加しつづけているという事実に尽きる。好例としてThe Vitamin Shoppeという販売チエ―ンがあり、1977年に開業したこの企業は、ニューヨークだけで55店を数える繁昌ぶりだという。
 Les vitamines sont à la plupart des produits qu’elle vend ce que le chocolat est aux barres ”chocolatées” , il suffit d’en mettre 3 %. Beaucoup se présentent comme des “compléments alimentaires ”et incluent, en quantité variable, de la créatine, illégale en Europe, mais non aux Etats-Unis.「ビタミンとこの店の販売品との関係は、カカオと棒チョコとの関係に等しい。それを3%入れるだけで十分なのだ[ビタミンとか、チョコレートとか名乗れる]。多くの製品[薬品]は<補助食品[サプリメント]>と表示されているが、量はいろいろであるにせよクレアチンを含んでいる。これはヨーロッパでは違法だが、アメリカでは合法な薬品だ」
 ところで、このクレアチンは筋肉増強を助け、とりわけ、その他の含有物の吸収を隠蔽するのだ。
 記者は店まで探訪に出かけていく。店頭でのやりとりは以下のとおり。
 “Avez-vous des stéroïdes ? ---Oui, monsieur, mais seulement des stéroïdes naturels.--- Et des hormones de croissance ? --- Sur la rangée de droite、monsieur.” 「ステロイドありますか?」「ありますが、天然ステロイドだけです」「成長ホルモンは?」「棚の右手の列です」
 むろん<真の>ステロイドではないし、Clemens選手らが用いたHGH(humain growth hormoneの略)、hormones de croissance humains 「ヒト成長ホルモン」でもなかったが、記者の手にした箱には紛らわしいHGH Dopa 400という名が記されていた...
 後は端折るが、要するにこれらの薬剤の使用がアメリカでは<正常>化しているのであり、ある店員の言を借りれば、スポーツ選手だけに禁じるのはC’est bizarre.「変だよ」というわけなのだ。
 だからといって、ドーピングを容認する意図は毛頭ない。ただ、日本のマスコミが慨嘆するばかりで、事件を生んだ米国社会の根底的な歪みにまで踏み込む意欲を欠いたことが悔やまれてならない。
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