朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
誰でもよかった 2008.4エッセイ・リストbacknext
 「誰でもいいから殺したかった」
 Je voulais tuer n’importe qui(le premier venu). I wanted to kill anybody.
というコトバに象徴される事件は気味が悪い。怖さの原因はすくなくとも二つ。
 一つは殺人の対象が特定されていないこと。「無差別」sans discrimination、indiscriminate といえば「無差別爆撃」や「無差別テロ」が思い浮かぶ。むろん規模からいえば比較のしようがないほど違うが、いつ何時、わが身にふりかかるかもしれぬという不安に関しては変わりがなかろう。
 もう一つは、動機が不明なこと。ヴェトナムへの空爆やニューヨークでの自爆テロの場合は、明らかに意図があった。だからこそ、反戦運動が高まり、ブッシュ大統領が激高した。ところが、今度の事件の場合、動機らしいものが見あたらないと報道されている。

アンドレ・ジッド
 そこでふと思い起こすのは、今から100年近く前に話題になったAndré Gideの小説 Les Caves du Vatican『法王庁の抜け穴』のことだ。この小説はなかなか手が込んでいる。ローマ法王がヴァチカンの地下牢に幽閉されてしまった。一大事だ!法王救出のための募金と称して富裕な信者から大金を詐取しようとする一味の暗躍が表向きのストーリーで、そこから表題が生まれているのだが、筆者は作中でこんなことを書いている。
 Il y a le roman, et il y a l’histoire. D’avisés critiques ont considéré le roman comme de l’histoire qui aurai pu être, l’histoire comme un roman qui avait eu lieu.
   「小説と歴史は別物である。しかし思慮深い批評家たちはこう考えた、小説はこういう風に展開しえたかもしれぬ歴史の一こまであり、歴史は現実に起こった一篇の小説である、と」
 要するに、小説だからといって、頭ごなしに絵空事とみなしてはならぬ、と言うことだろう。この作品に当てはめれば、ローマ法王が偽者で、本物は地下に捕らえられているなど、フィクションにすぎないように見えるが、事実かもしれない、ということだ。すくなくともこの作品の中では、それを真にうけて詐欺にあう人物が出てくる(例の「振り込め詐欺」を思わせるではないか!)。
 ところで、上にこの詐欺事件は「表向きのストーリー」と書いたが、ジッドの策略は一筋縄ではなく、主筋とは無関係のようにして、貧窮に苦しむ私生児Lafcadioを登場させている点にも目を向けねばならない。というのも、この青年が、父にあたる貴族から高額の遺産を受けとったところから、小説の主人公として躍り出るからだ。彼は貴族の息子(アカデミー会員になろうと腐心する作家)をはじめ、上流人士の実態に触れると同時に、その退廃ぶりに愛想をつかし、古いヨーロッパを捨てて、アジアに新天地を求めようとする。その矢先、列車のなかで出会った男(実は法王救出のためローマに向う途中だった)を意味もなく車外に突き落とし殺してしまう。つまり、「動機のない犯罪」un crime immotivéである。たまたま、小説家も新作の構想にそれを取り込もうとしていた。彼は目の前にいる青年が現実にそんな犯行を冒したとはつゆ知らず、つぎのように自説を展開する。
 Je ne veux pas de motif au crime ; il me suffit de motiver le criminel. Oui ; je prétends l’amener à commettre gratuitement le crime ; à désirer commettre un crime parfaitement immotivé.
   「犯罪に動機はいりません。わたしとしては犯罪者に引き金を与えるだけでいいのです。そう、彼にはっきりした理由もなく罪を犯すように仕向けたい、まるっきり動機を欠いた罪を犯したいという願望を持たせたいのです」。
 これ以上、小説の中身に立ちいるのは控える。しかし、その上でいうのだが、ジッドが事実と虚構との境目をアイマイにしたかったのは、むしろ「法王幽閉」ではなく、「動機のない犯罪」というテーマの方だったかもしれない。彼が用心深くならざるをえないほど、「無動機の行為」un acte gratuitはこの時代には突拍子もない発想だったということにもなる。
 ところが、この小説が世に出て100年にならない今、この犯罪が現実のものになってしまった。これをどう受け止めたものか。

ゲランド
 それを考えているうちに、19世紀の作家Balzacの文章に行き当たった。彼はブルターニュの、大西洋に臨む丘の上に位置する古い町Guérandeを好んでいた。特にこの町並みの古色に魅せられたようだが、それだけに、文化遺産として残しておきたい建物がつぎつぎ失われていく現状を嘆いた。その理由として、バルザックは、現代の住人がまるで宿屋に泊まったようなつもりで暮らしている事実を指摘する。ところが昔の人は住家を建てるにあたって、一生懸命に丹精した、「未来永劫つづく家族のために」pour une famille éternelle丹精した、と彼はいう。
 De là, la beauté des hôtels. La foi en soi faisait des prodiges autant que la foi en Dieu. 「そこから、邸宅の美しさが生まれた。自らへの信頼、それが神への信仰と同じく、かずかずの奇蹟をもたらしていたのだった」
 バルザックの「人間喜劇」la Comédie humaineを形成するのは約90篇の小説(引用の出典Béatrixもそのうちの1作)だが、その一つ一つが、前世からの文化的伝統を後世の人間に語り伝えたいという彼の壮大な願望の結晶である。上の文を見るにつけ、その願望を根底で支えていたのは「自らへの信頼」la foi en soiであり、それが終生揺るがなかったことに思い至る。
 さて、「誰でもいいから殺したかった」という話題に戻る。犯行におよんだ青年にはla foi en Dieuはもちろんのこと、la foi en soiも欠落していることを認めざるをえない。空恐ろしいことだ。当人にかぎらず、周辺の社会全体にla foi en soiが欠けている、そのことを今度の事件は私たちに警告しているのではあるまいか。
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