朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
桜のイメージ 2008.6エッセイ・リストbacknext

ロンサール(1524-1585)
 「花の命は短くて」という。単に「花」とあるが、わたしたち日本人が思い浮かべるのはサクラに決まっている。「桜はわずか七日」という言いかたがあるように、長持ちせずに散って、いかにも「はかない」印象がつよい花なのだ。
 フランスではどうだろう。「花のはかなさ」を歌った詩として名高いロンサールPierre de Ronsardの作品を以下に引くが、ここでは桜ではなくて、バラが登場する。なお、このOde à Cassandre「カッサンドルへのオード」は16世紀のフランス語で綴られているので、現代語の綴りを下に記す。訳詩は安藤元雄・入沢康夫・渋沢孝輔訳(岩波文庫『フランス名詩選』所収)によるが、「統辞法の許すかぎり、訳文の詩行を原詩と対応させるよう心がけた」とあることを付記しておく。

Mignonne, allez voir si la rose 恋人よ、行って見よう、あの薔薇が、
Qui ce matin avoit desclose (1) 今朝、陽をうけて
Sa robe de pourpre au soleil, 紅(くれない)の衣を解いた、あの花が、
A point (2)perdu ceste vesprée (3) その紅の衣のひだも、
Les plis de sa robe pourprée 君に似た色艶も、この夕べ
Et son teint au vostre pareil(4). すこしでも失くしてはいないか、どうか。
Las! voyez comme en peu d'espace, ああ!ごらん、こんなに短いうちに、
Mignonne, elle a dessus la place 恋人よ、薔薇はその美しい花を
Las! las ses beautez(5) laissé cheoir(6)! ああ!地に散らしてしまっている!
Ô vrayment(7) marastre(8) Nature, おお なんと無情な「自然」。
Puis qu'(9) une telle fleur ne dure こうも美しい花の命でさえも
Que du matin jusques au soir ! 朝から夕方までだなどとは!

 (1)avait déclos (2)..voir si la rose [n'] a point perdu 省かれたneと連動して「薔薇が...すこしでも失くしていないか、どうかを見きわめる」となる。 (3)ces vêpres (4) au vôtre (=votre teint) 韻の関係でこの順になっているが、son teint pareil au vôtre というのが本来の語順。 (5)beautés (6)choir ; 前後のつながりを示せばelle a laissé choir ses beautés sur la place となる。 (7)vraiment (8)marâtre (9)puisqu'
 花の命のはかなさを嘆くように見える。だが、第3節になると調子が一変し、薔薇の花のように青春は短くはかないのだから、今のうちに恋に専心せよ、と忠告して終わる。
 桜にもどる。フランス人にとって、サクラはどのように受け取られているのだろうか。有名な「桜んぼの実る頃」Le temps des cerisesというシャンソンを例にあげよう。そもそもcerisierではなくceriseとあることに注目する必要があるが、最近わたしの友人の歌手、仲代圭吾が日本語の訳詩で歌うのを聴いていて、わたしたち日本人のサクラ観との違いを思わずにはいられなくなった。
 原詩の作者は民衆詩人クレマンJean –Baptiste Clément。1866年に恋の歌として3番まで作り、ルナールAntoine Renardが曲をつけた。上にならい、対訳を示す。

Quand nous chanterons le temps des cerises 桜んぼの実る頃を歌うとき
Et gai rossignol et merle moqueur 陽気なナイチンゲールも
からかい好きのマネシツグミも
Seront tous en fête みんな浮かれ出すだろう
Les belles auront la folie en tête 美人たちは頭に血がのぼり
Et les amoureux du soleil au coeur 恋人たちは心を燃やすだろう。
Quand nous chanterons le temps des cerises 桜んぼの実る頃を歌うとき
Sifflera bien mieux le merle moqueur ツグミの囀りはさらに冴えるだろう。
Mais il est bien court le temps des cerises でも、桜んぼの実る時期は短い、
Où l'on s'en va deux cueillir en rêvant 二人連れだち、夢見ごこちで
Des pendants d'oreille 耳飾りを摘みにいく時期は。
Cerises d'amour aux robes pareilles こうも美しい花の命でさえも
Tombant sous la feuille en gouttes de sang 血の雫みたいに葉の下に垂れている。
Mais il est bien court le temps des cerises でも、桜んぼの実る時期は短い
Pendants de corail qu'on cueille en rêvant 夢見ごこちで赤い耳飾りを摘む時期は。

 こんな調子で3番まで書かれた詩では、桜んぼはたわわに稔った果実であり、若者の心を掻き立てる恋の象徴にとどまっていた。
  ところが、クレマンはそもそも先鋭な社会主義者で、1871年のパリ・コミューヌにも積極的に加担し、ヴェルサイユから鎮圧にやってきた圧倒的な政府軍とバリケードに立てこもるコミューヌ軍との凄絶な戦い(5月21日から28日まで続いた虐殺のせいで<血の週間>la semaine sanglanteと呼ばれる)にも参戦した。その間に空しく流された血の記憶が桜んぼのイメージと重なり、4番が付け足されることになった。

J'aimerai toujours le temps des cerises ずっと愛し続けよう、桜んぼの実る頃を
C'est de ce temps-là que je garde au coeur まさにあの時から、わが心には
Une plaie ouverte 傷口が開いたままだ。
Et Dame Fortune, en m’étant offerte 幸運の女神がわたしに身を捧げても
Ne saura jamais calmer ma douleur この苦しみを鎮めることは決してできまい
J'aimerai toujours le temps des cerises ずっと愛し続けよう、桜んぼの実る頃を
Et le souvenir que je garde au coeur そして今も心に残るあの思い出を。


桜んぼ
 こうなれば、はかなく消えるどころの話ではない。赤い桜んぼは弾圧の過程で血まみれで倒れていった仲間を想起させ、社会革命の挫折で胸にあいた傷口からいつまでも生々しい血をしたたらせるだろう。


※文中の詩・歌詞は「Ode à Cassandre(カッサンドルへのオード)」、
Le temps des cerises(桜んぼの実る頃)」 より引用

筆者プロフィールbacknext

【NET NIHON S.A.R.L.】
Copyright (c)NET NIHON.All Rights Reserved
info@mon-paris.info