朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
ハイチ地震(1) 2010.2エッセイ・リストbacknext

ハイチ。(平凡社「国民百科事典」による)

 前回、COP15の不調に触れた。それから1カ月、EUが目標値30%を掲げ、いわばCO2削減への不退転の決意を表明した。腰の重い米国や中国などを間接的にせき立てた格好だが、異常気象の方は待ってくれそうもない。ペルーの観光名所Machu Picchuの豪雨、冬季オリンピックの会場Vancouverの雪不足など状況悪化を思わせるニュースがあとを絶たず、人類の将来への不安は募る一方だ。
 Un malheur n'arrive jamais seul. (→不幸はけっして一回ではおわらない)
[英] It never rains but it pours. (→雨が降れば、土砂降りになる)
 どちらも諺で、「弱り目に祟り目」とか「泣き面に蜂」あたりに相当するとみていい。被災者には無情な言い方だが、1月12日のハイチ地震séisme en Haïtiはまさにこの諺にピッタリの出来事だろう。世界が不景気のまま越年して、気分もあらたに再出発しようとひと息ついた、その瞬間をねらったみたい。その意味ではこれ以上のタイミングはなかったように思える。
 むろん地震は天災calamité naturelleであり、温暖化問題と同日に論じるわけにはいかない。それに、地震そのものがけっして珍しい出来事ではない。今回のマグニチュード7magnitude 7 (sur l'échelle de Richter「リヒター・スケールによる」)クラス、及びそれ以上の地震にかぎっても過去20年間に10回ほどにもなる。なかでもスマトラ地震(2004年12月)の場合は津波tsunamiをともないマグニチュード9の域を超えたことはまだ記憶に新しい。ル・モンド紙(1月16日付)によると、マグニチュード6程度の地震(potentiellement destructeur「潜在的な破壊力をもつ」)が地表のどこかで毎年150回以上おこっていると、専門家は指摘している由。ところが、今度の地震ばかりはマグニチュードの数値では表わしきれない特別なショックを与えたようだ。特にフランス語圏francophonieの事件だけにフランスのマスコミは敏感で、ほとんど第一報から犠牲者10万超と推測していた。そして、1月15日付ル・モンド紙の見出しには大きくLa malédiction「呪い;(宿命的な)不運」の文字が躍った。

地震で崩壊した大統領府 (photo: Creative Commons/Michelle Walz Eriksson)

 これに比べると、日本のマスコミは当初、高をくくっていたのではないか。むろん地震そのものの震源地・震度をいち早く伝えはしたが、死者の数を1万から精々数万と見込んでいた。このギャップの背景は何だろう。被害の規模がだんだんに膨れ上がり、それにつれ、救援に向けた日本政府の対応の鈍さが批判されるようになった。地球のほとんど裏側の出来事であり、しかも国内事情、とりわけ鳩山・小沢献金問題に気をとられて取組みが遅れたという見方もあるようだが、それ以前の心構えに問題はないのか。政府もマスコミも、いやそもそも日本人全体が阪神や新潟など地震体験を重ね、その都度自力で乗り越え復興させた過去をもつことを頼みにして、当の被災地であるハイチがかかえる特殊事情について不案内なまま、踏み込んだ情報収集を怠ったのではなかったか。
 宗教に縁遠いはずのル・モンドのような新聞までがmalédictionというコトバをもちだしたことに注目しよう。同紙によれば、地震を機にアメリカのtélévangéliste(テレビを媒体とする福音伝道者)たちがこの語をしきりに口にしているそうだ。むろん地震が創造主の「呪い」の現れだというように解釈し、人々に悔い改めを促そうとするのだろう。それに、もともとハイチではブードゥー教vaudouが盛んだとは聞いていたが、同紙(1月23日付)はこれに着眼して、地震の予言を聞いたという僧侶prêtre(=hougan)とのインタビュー記事を載せている。
 « Nous étions avertis depuis le mois de novembre. »
 「わたしたち(ブードゥー僧)は11月から予告を受けていました」
 「予告ですって?」という記者の質問に答えて、彼は続ける。
 « Disons que les esprits nous prévenaient par signes, par songes, par paraboles. Mais il y a tant de problèmes dans ce pays qu'on ne savait qu'attendre. Un énième soubresaut politique ? Un choc économique ? Quel tort de ne pas prendre plus au sérieux nos songes! »
 「はっきり言って、霊はわたしたちに前兆や夢やたとえ話で予告していたのです。ところが、この国にはあまり多くの問題が山積しているので、待つことしかできませんでした。何度目かの政変やら、経済危機やら。それにしても、なんたるミスでしょう、折角の予兆夢を真に受けなかったなんて!」

 この記事には、帽子をかぶせた十字架の前で祭具を手に儀式を執行中の僧侶の写真が添えられ、そもそもブードゥー教の内実がカトリック教と呪術の混淆であることを裏付けている。それはともかく、ル・モンド紙がここまで深入りしているのはなぜか?この答は、僧侶がsoubresaut(元来は「馬が急に跳ね上がること」)と名ざす部分とも関係する。本稿では駆け足の説明にとどめるしかないが、とにかくハイチの歴史を回顧せねばならない。
 かつてPerle des Antilles「アンチル諸島の真珠」と謳われたこの島を発見(というのはあくまでもヨーロッパ人の立場からの話だが)したのはコロンブスChristophe Colomb、スペインに因んでヒスパニオラ島Hispaniolaと命名した。スペインが植民地としたが、西半分は17世紀なかば、フランスに割譲され、サトウ黍とコーヒーの栽培で栄えた。3万の白人入植者に50万の黒人奴隷が支配されたという。この繁栄を支えたのはblancs / mulâtres(両者の混血児,ムラート)/ noirsという社会構造だが、3者間の格差・摩擦は激化するほかなかった。そして、フランス大革命に触発された平等意識の高揚から黒人奴隷の反乱が起こり、1804年にはついに世界初の黒人国家が誕生するにいたった。国名のHaïtiは16世紀末にスペイン人に滅ぼされた原住民TaïnosのコトバAyiti(la terre des hautes montagnes「高い山並みの大地」)に由来するが、とにかく歴史的な一歩を踏み出したものといえる。
 ただし、ル・モンド紙(1月15日付)にあるように、実態は「植民地社会を逆様にした世界」un monde inversé de la société colonialeが出来ただけのこと。フランス人を排除したものの、ムラートあるいは黒人の独裁者がつぎつぎ暴力支配と下剋上を繰りかえす結果に終わった。その後はスペインによる島東半分の再征服、ドミニカ共和国としての独立(公用語はスペイン語)、西側に残されたハイチ(同じく、フランス語とクレオール語)の経済危機、救い主アメリカによる占領支配(1915~1934)とつづく。そのアメリカ支配を脱し、民主憲法を制定したものの、またも政情不安に陥った。建国200年を祝うべき2004年にはデモにより大統領が国外退去を余儀なくされ、国連ハイチ安定化ミッションMission des Nations unies pour la stabilisation en Haïti(MINUSTAH)(名を変えた多国籍軍)が介入してようやく治安を保った。折悪しく、強大なジーン・ハリケーンle cyclone Jeanneが豪雨をもたらし、森林伐採déforestationの代償を1800名の死者が払う悲劇となった。要するに、アメリカ大陸最貧国l'Etat le plus pauvre du continent américainという不名誉な現実だけが残った。今回の地震は選りによってこの国を襲ったのである。とすると、ル・モンド紙のいうmalédictionは「(宿命的な)不運」のニュアンスで受けとめるべきなのだろうか。その詮索は次回にゆずる。
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