朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
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 incontournableという単語がある。軸はcontournerという動詞で、La rivière contourne la colline.「川は丘を迂回して流れている」。さらに抽象的に、contourner une difficulté「困難を回避する」のように使われる。これを語幹として、たとえば<contester「異議を唱える」→contestable「異議を申し立てることのできる、異議のある」→incontestable「議論の余地のない」>のようにdériver「派生させる」と、incontournable「避けて通れない、無視できない」という語ができる。inévitable「避けることができない」と同義だが、イメージに富んでいるせいか、近頃よく目にする。
 ところで、この単語がLe Monde紙(1月17日付)の見出しに登場した。
 Wikipédia est devenue incontournable.「ウィキペディアは無視できぬものになった」  どういうことか、つづくリードはこう説明する。
 L'encyclopédie en ligne à but non lucratif, cinquième site le plus visité du Web, cherche à multiplier les contributeurs.
「インターネット上の非営利目的の百科事典は、今やアクセス数が第5位のウエッブサイトであるが、<貢献者>の増加に努めている」
 encyclopédie en ligne à but non lucratifとはウィキペディアの定義にほかならないが、それはともかく、かりに「貢献者」と訳した語の中身は何か?「非営利目的の」という表現とあわせて、つぎの文を読めばはっきりする。
 Un projet fou: concevoir une encyclopédie en ligne, gratuite, rédigée par des internautes, à laquelle tous pourraient contribuer, en créant, complétant ou corrigeant les articles grâce à un outil inspiré des logiciels libres, le « wiki ».
 「狂気の計画だった。つまり、インターネット上に、無料で、インターネット利用者が執筆する百科事典の構想であり、この事典にはフリー・ソフトのツール<ウィキ>を使って誰でも参画できる、項目を起こすなり、補足するなり、修正するなりして」
 10年前、2001年1月15日に、この「狂気の計画」を思いつき実行に移したのはJimmy WalesとLarry Sangerという二人のアメリカ人だったが、これがうまく当たった。Pew Internet Researchのアンケートによると、アメリカでは2人に1人以上がウィキペディアを利用し、項目数は1700万を超え、言語数は270にたっする。
 ただし、話はこれで終わるわけではない。実は、この百科事典の特長そのものが弱点に変わるリスクを秘めている、という方向に論点が移る。
 Pourtant, l'encyclopédie reste un ovni. C'est le seul service Web de cette importance qui n’a pas « monétisé » son audience par la publicité. Elle est à but non lucratif et compte toujours sur l'enthousiasme de centaines de milliers de bénévoles pour croître.
 「しかし、この百科事典はいまでも<未確認飛行物体>である。それはこれほど大規模のウエッブサービスでありながら、唯一、広告により利用者を<金銭化>したことのない機関である。それは非営利目的であり、規模を拡大するためにもあいかわらず何百万もの無料奉仕者の情熱を当てにするのである」
 この訳文には注釈がいる。一つは<未確認飛行物体>について。ovniはもともと「空飛ぶ円盤」のことだったが、転じて、「特徴がなく、分類しようのない人物」または「けた外れで、既成の尺度では測れない現象」を指す。ここでは「ウィキペディア」が他のサイトとはかけ離れたサービスをしていることを強調したいのだろう。もう一つは<金銭化>について。この動詞、元来はmonétiser de l'or「金を貨幣に鋳造する」のように使うが、ここは比喩的な用法だ。フランスもブログが大流行りで、それを背景に生まれたのが自分のブログの利用者から利益を得ようとする傾向だ。ネットにはComment monétiser l'audience de son blog?「ブログの利用者から如何にして料金をとるか」という誘いがいくつものる。上の引用では、ウィキペディアにかぎっては、項目に広告を併載して、その料金を執筆者に回すような措置は取ったことがない、といいたいのだろう。
 その結果、事典は執筆者の「情熱、熱意」に依存することになるが、利用者は記述の正しさをどこまで信用していいものか、という問題が生じる。関係者はこう言う。
 On veut être accueillants avec les contributeurs quelles que soient leurs opinions.
 「寄稿者の意見がどうあれ、当方は快く受け入れたいと思っています」
 しかし、事実はそれほど単純ではない。
 Wikipédia a encore ses failles : les erreurs, les articles très peu objetifs, ceux qui annoncent la mort de personnalités par erreur.
 「ウィキペディアにはまだ欠陥が残っている。間違いや、客観性を欠いた項目や、人物の死亡をあやまって記してしまう項目など」
 わたし自身、前回のサンタクロースの記事でもそうだが、ウィキペディアを利用することが多い。その点では大いに感謝しているが、時につまらぬ間違いに気づくこともある。先日、アカデミー・フランセーズの歴代会員の一覧というのを見ていたら、十七世紀の詩人Jean Ogier de Gombauldのカナ表記が「ジャン・オジエ・ド・ゴンボール」になっている。ゴンボーだろう。読み方にかかわるミスはまだ罪が軽い。始末がわるいのは、身分・職業にかかわる誤りだ。

ラ・ブリュイエール

 英語版は日本人が参照することが多いと思われるが、Jean Racineの説明がなんとplaywright, mathematician, physicist and philosopherとなっている。日本版はさすがに「劇作家」となっているが、Jean de La Bruyèreが「随筆家、道学者」とあるのは気になる。英語のessayist and moralistを和訳したつもりかもしれないが、「随筆家」は仕方がないとして、後者は「モラリスト」とすべきだろう。証拠というわけではないが、彼の代表作Les caractères『人さまざま』の一節をひいておく。
 Un homme qui serait en peine de connaître s'il change, s'il commence à vieillir, peut consulter les yeux d'une jeune femme qu'il aborde, et le ton dont elle lui parle ; il apprendra ce qu'il craint de savoir. Rude école.
 「自分は変わってきたか、老けかけてきているか、知りたいと悩む男は、女に近寄って目の色をうかがえばよかろう。彼女がこちらに話しかける、その口調に耳をすませばよかろう。知るのを恐れている事を教えてくれる。厳しい学校だ」
 人間観察の粋だが、どう考えても「道学者」の説教とは思えない。
 ウィキペディアについては、まだ言い残したことがあるが、それは次回に回そう。
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