朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
コトバは生き物だ 2012.6エッセイ・リストbacknext

トロイカ

 19世紀末、ウィーン市民が滅亡の接近をよそに遊興に明け暮れていた時代。ある貴族令嬢の日常を描こうとして、作家Paul Morandはすべてを動詞に語らせようとした。
 Elle dansait, flirtait, courait, chassait, cavalait, mangeait...
 時代背景を考えると、danserは「ワルツを踊る」、flirterは「若い男たちの間を渡り歩く」といったところだろうし、courirは「ジョギング」、chasserは「狩猟」、mangerは「美食」を意味するにちがいない。そうしてみると、cavalerも「乗馬」と受けとるしかないが、用心したいのは多くの仏和辞典が<話し言葉><俗語>のレベルに限定して「走る、逃げる」という訳語しかあげていないことだ。これでは上の文にあてはまらない。たしかに用法としては古いのだが、上の文脈に関するかぎり、cavalerie「騎兵隊」やcavalier「馬に乗る人、騎手」と同系列の動詞とみなさなくてはならない。
 妙な書き出しになったが、コトバは生き物で、時代とともに語義に変化がおこること、しかし時に古い語義にも目を配る必要があることを指摘したかったのだ。同種の例は今日もつぎつぎ生み出されている。今回は最近の経済ニュースから2例をあげたい。
 一つ目はtroïka。もとはロシア語だが、「トロイカ」とカタカナにしても「3頭立ての馬車」の意味ですぐに通じる。そこまではいいのだが、問題はその先だ。これが転用されて、「三頭支配」「トロイカ体制」を意味する場合が生じたのである。ソビエト連邦の時代、Lenineの発病(1922年5月)からStalinの独裁開始(1925年)にいたる期間、Kamenev、Zinovievとスターリンの三者が政権を担ったことにはじまる。その後、スターリンの死(1953年3月)の後、Khrouchtchevの登場(同年6月)までをつないだBeria, Malenkov, Molotovの「トロイカ」、フルシチョフ退陣(1964年10月)からBrejnevの権力掌握(1977年6月)まで10年以上もつづいた彼とKosygin, Podgornyの「トロイカ」、この国の歴史には都合三つのtroïkaが存在した。要するに、時代によって「トロイカ」の中身が異なっていたことになる。
 その変化は今もつづいている。Petit Larousse(2004年版)にはTroïka européenneが載っていて、EU閣僚理事会Conseil des ministres de l’Union européenneの議長国の代表(2007年に締結されたリスボン条約以前は6か月ごとに交代する「持ち回り議長制」présidence tournanteだった)、前期議長国代表、次期議長国代表の三者で構成されるグループを指すとある。ところが、今や常任議長président stable(permanent)が存在する以上、この意味の「トロイカ」は解消したわけである。
  ただし、いまも「トロイカ」は存在する。その中身は何か?つぎの記事を見てみよう。アイルランドが6,7年前に金融危機で世界を揺るがせたことは記憶にあたらしいが、記事冒頭のcelaは緊縮政策の結果、同国において財政赤字が目にみえて減ったことを指す。
 Cela vaut à l’Irlande l’approbation trimestrielle de la « troïka » de ses bailleurs de fonds (Commission européenne, Banque centrale européenne, Fonds monétaire international). ( 5月4日付Le Monde)
 「そのお蔭で、アイルランドは出資者たる<トロイカ>(ヨーロッパ委員会、ヨーロッパ中央銀行、国際通貨基金)から3カ月ごとの承認を得ることができるまでになった。」
 この中身の変動は、今の国際情勢の中で経済が占める比重が大きいこと、また経済の世界化が進んで抜きさしならぬことを示すものといえるだろう。
 二つ目はaustérité。この単語も近頃の新聞で幅をきかせている。手っ取り早い例は、上にひいた記事の見出しである。
 Le bon élève irlandais se fatigue de l'austérité.
 「優等生アイルランド、緊縮政策にげんなり」
 4月28日付のLe Monde紙は英国をふくめたEU諸国の財政赤字(2012年度と2013年度の見込み高の比較)を棒線グラフで示し、それに次のような見出しをつけた。
 Austérité en Europe : trop fort, trop vite?
 「ヨーロッパの緊縮は度が過ぎたか?急ぎ過ぎか?」
 今度のフランス大統領選挙でも、争点はaustérité「緊縮」対croissance「経済成長」で、国民は後者を支持したことになる。
 こうした用例の頻出を指摘した上でいうのだが、この語はもともと形容詞austère「(人・態度・生活などが)峻厳な、禁欲的な;(表情などが)いかめしい;(建物などが)冷やかで近寄り難い、味気ない:[英]austere, stern, severe, forbidding, dry」に対応する名詞であって、経済学とは無縁だった。その用例を2例紹介しよう。(太字は朝比奈)

ローマ皇帝チチュス
 (1)Son austérité puritaine, son accent héroïque, s'opposent rudement aux rigueurs efféminées de l'art léonardesque. (R.Rolland : Michel-Ange)
 ロマン=ロランはミケランジェロに肩入れするあまり、ダ・ヴィンチに批判的だった。上文の所有形容詞sonはミケランジェロを指す。
 「彼の清教徒的な峻厳さ、彼の雄々しい力強さはレオナルド・ダヴィンチ芸術の女々しい厳しさとはするどく対立する。」
 (2)Je sais qu'en vous quittant le malheureux Titus
Passe l'austérité de toutes leurs vertus ; (Racine : Bérénice, Acte IV, Scène V)
 名高いラシーヌの韻文悲劇『ベレニス』の愁嘆場。チチュスはパレスチナの女王ベレニスに恋をしたが、みずから皇帝の位についた途端、異国人との結婚を禁ずるローマの掟にしたがって、泣く泣くその恋を断念する。1行目のvousはベレニス、2行目のleursは国法に殉じて悲運に甘んじた歴代の君主を指す。なお2行目のpasse ,vertusはともに17世紀的な使い方で、現代語ならsurpasse、courageというところである。
 「わたしには分かっています。あなたと別れることによって、不運なチチュスが経験するものは先祖たちの勇敢な行いの過酷さのすべてを超えるということが...」
 以上2例を引いただけで、情け容赦なく国民に節約を迫る緊縮策との共通性がほの見えてきた気がする。経済学と無縁な単語と言いきれないことが露わになった。

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