朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
アイデンティティ 2013.2エッセイ・リストbacknext

レヴィ・ストロース
photo: UNESCO/Michel Ravassard
 carte d’identité[英]identity cardは「身分証明書」と訳される。この場合のidentitéは「姓名、出生地、親子関係など個人を特定するのに必要な事項」を意味するから、わたしたちにも通じるが、抽象化されて「自己同一性」と訳されるとピンとこない。その延長上にあるidentité socialeという心理学用語もそうだ。Petit Larousse辞典の説明ではsentiment ressenti par un individu d’appartenir à tel groupe social, et qui le porte à adopter certains comportements spécifiques「ある個人がある集団に属していると感じて、その結果その個人をある特定の行動パターンを採用するように導く感情」とある。これを見ると、適当な日本語が見つからず、やむなく「アイデンティティ」とカナ文字をあてるしかないことがわかる。その上で、わたしたちは「アイデンティティの確立」などと日常的に言い慣わしている。
 ところで、昨年末の総選挙で政権を握った安倍首相は、施政方針演説の最後で「我が国が直面する最大の危機は日本人が自信を失ってしまったことにあります。」と述べた。「自信の喪失」、フランス語に訳せばLes Japonais ont perdu la confiance en eux-mêmes.ということになろうか。その危機認識にはわたしも賛成だが、現状打開にはなにより景気回復だという主張には首を傾げたくなる。そんなことで日本は立ち直れるものなのか。
 この疑問にとらわれていたため、アジア通で知られるフランスの作家Olivier Germain-ThomasがLe Figaro紙(2012年12月24日付)に寄せたL’impératrice Michiko, le socle du Japon 「美智子皇后は日本の土台」という記事に興味をもった。筆者は昨年Malrauxの翻訳者竹本忠雄氏の仲介で皇后に面会し、意見交換する機会に恵まれた。それが記事の主体なのだが、今それを論じるつもりはない。わたしの目を惹いたのは、この作家が冒頭で選挙結果を紹介しているところである。
 Le Japon se cherche. Les récentes élections sont une nouvelle preuve des inquiétudes devant les menaces dont les plus périleuses sont celles venues de deux puissances atomiques : la Chine et la Corée du Nord. Dans leur recherche d’une identité menacée, beaucoup de Japonais voient dans l’institution impériale le moyen de retrouver leurs racines mises à mal par la période militariste et ses conséquences après-guerre : une excessive américanisation.
 「日本は己を見失い、それを求めている。最近の選挙は脅威の前で不安にさいなまれていることをあらためて示した。脅威のなかでも最も危険なのは二核大国、中国と北朝鮮に由来する脅威である。日本人の多くは、危機に瀕したアイデンティティを探し求めるなかで、天皇制の中に、自分たちのルーツを再発見する手段を見ている。彼らのルーツは軍国主義時代とその結果もたらされた戦後の過度のアメリカ化とで損なわれてしまったのだ。」
 このあと文章はこうつづく。
 Il s’agit de la plus ancienne monarchie encore sur un trône.
 「これは現在も王位についている最古の王政なのだ。」
 皇后会見記のまえおきだから当然の書き出しなのだが、ここで注目したいのは、安倍首相が「自信喪失」とみた日本人の現状を、アイデンティティの喪失ととらえている点である。そのアイデンティティを「天皇制」と短絡させる見方には違和感をおぼえるが、今の日本人がアイデンティティを失いつつあるというジェルマン=トマの指摘は認めざるをえない。不景気対策に躍起になる首相の考え方への不満もそこに原因があった。わたしたちは見失った自己を取りもどす必要に迫られているが、その必要が、景気が上向きデフレがインフレになることで満たされるものでないことは明らかだろう。
 では、自分たちのアイデンティティとは何か?むろん簡単に答えがみつかる問題ではないが、ここには同記事でジェルマン=トマが推奨するClaude Lévi-StraussのL’autre face de la lune, Ecrits sur le Japon 『月のむこう側、日本について』からヒントになりそうな箇所を引用するとしよう。因みに、原型は1988年、京都で日文研開所記念行事として、主に日本人聴衆を前に行われた講演である。
 レヴィ・ストロースは日本精神の特徴として、こういう。
 ...en premier lieu, une extrême application à répertorier et à distinguer tous les aspects du réel, sans en manquer aucun et en accordant à chacun une égale importance : comme on le voit dans vos objets manufacturés traditionnels, où l’artisan traite avec le même soin le dedans et le dehors, l’envers et l’endroit, les parties visibles et celles qui ne le sont pas.
 「第一に、現実にあるもののすべての相の一覧表をつくり、それを仕分けるのに極度に精神を集中することだ、その際、どの相も疎かにせず、どの相にも均等な重要さを与える、まさに日本の伝統工芸品に見られるように、そこでは職人は内も外も、裏も表も、見える部分も見えない部分も、同じ入念さで扱うのだ。」
 そんな職人芸の綿密さの伝統を指摘した上で、彼はつづける。


 J’y vois une des raisons du succès de votre petite électronique : vos calculatrices de poche, vos magnétophones, vos montres sont, dans un autre registre, des objets d’une facture aussi achevée, ils continuent d’être aussi séduisants pour le toucher et le regard que naguère vos tsuba, vos netsuke et vos inrô.
  「わたしの見るところ、そこにこそ、日本の小型電子工業成功の理由の一つがある。なにしろ、日本製のポケット計算機、テープレコーダー、時計、それらは領域こそ違え、伝統工芸同様の完璧な技法の製品であり、手触りも見かけも、往年の<鍔>や<根付け>や<印籠>と同じように魅力的でありつづけているのだから。」
 鍔や根付けや印籠は今や高価な骨董品だ。そのくらい日本人の日常生活の一部になっていた時代と現代とは隔たっている。しかし、それだけの時間を超えて、日本精神の独自性は、古今東西の文化に通じた文化人類学者の称賛をうけたことを重く受け止めよう。ここにこそ日本人のアイデンティティがある、そのことをわたしたち日本人がしっかりと見つめなおすこと、それが今求められているのではないか。
 
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