朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
コトバの世代交代 2013.3エッセイ・リストbacknext

渡辺一夫先生(1901-1975)
金井塚一男撮影
 今年度読売文学賞の研究・翻訳部門で、宮下志朗訳「ラブレー『ガルガンチュアとパンタグリュエル』」全5巻が受賞した。Rabelaisには恩師、渡辺一夫先生の名訳があるが、今の読者には歯がたたない。一例をあげれば、つぎのRondeau「ロンドー(マロが得意とした短詩形)」(第一の書、第13章)の訳である。原文はLa Pochothèque版による。

 En chiant l’autre hier senti
 La gabelle que à mon cul dois ;(gabelle「塩税、税金」ここでは「宿便」のたとえ?)
 L’odeur fut autre que cuidois : (cuidoisはcuider=penserの半過去形)
 J’en fus du tout empuanti.
 Ô si quelqu’un eût consenti
 M’amener une que j’attendois
 En chiant.

  「先日脱糞痛感 
  未払臀部借財
  同香而非同香
  濛気芬々充満
  希携行我佳人
  善哉善哉」

 ラブレーはscatologie「糞尿譚、糞尿趣味」の大家。それがおおいにふざけて書いているのだから、まともに訳しては原作者の意図にそむいてしまう。渡辺先生は漢詩風の訳で効果を出そうとなさった。厳めしい熟語を連ね、見かけとは逆の滑稽味をひき出すという策だ。しかし、漢字の力がガタ落ちの今、キーなしでは解けぬ暗号文に等しくなってしまった。そこに登場したのが宮下君だ。彼の訳を見てみよう。

  「先日、われ脱糞しつつ
  わが尻に残りし借財を感ず
  その香り、わが思いしものにあらずして
  われ、その臭さに撃沈さる
  嗚呼、だれか、
  われが脱糞しつつ、待つ貴女を、
  連れてきてくれぬものか。」

 先行訳に感服しつつ、読み下し文にして、現代の読者に近づけようと腐心している。
 同じ配慮はちょっとしたこと、たとえばterreur Panice(同書第44章、巨人Gargantuaの怪力に怯えて敵王Picrocholeの軍勢が退却する場面に出てくる)の処理にも窺える。渡辺訳では「彼らの心に宿ったパンの大神の故知らぬ恐怖」とあるところ、宮下訳は「彼らの心に宿った<パニック>」としている。「パニック」の語源が牧神パンの大音声に由来すること、また「恐怖」の意味でフランス語にとりいれたのはラブレーが最初であること、そんな註がついている点では両訳共通なのだが、前者の場合、なにぶん草稿の完成が1941年、刊行が1943年で、パニックというカタカナ日本語がまだ存在しなかったことが差になった。因みに、広辞苑第一版(1955年発行)には「パニック」という見出し語はあるものの、経済用語の「恐慌」という訳語があるのみだ。
 要するに、半世紀以上もたてば、どんな名訳でも訳文は古色を帯びてしまう。孫弟子にあたる宮下君が古色を払いのけ、見事にリニューアルを果たしたことになる。
 フランス語にしたって社会の変化にともない、新語がどんどん生まれている。フィガロ紙(1月14日付)は世論調査機関OpinionWayによる新語アンケートの結果を紹介した。18-24歳の年代層の一般的傾向としてélectro-techno「電子工学的」な新語がめだつという。すこし、拾いあげておくことにする。
ordinosaure:dinosaure「恐竜」とordinateur「パソコン」の合成語だろう。語義はun vieil ordinateur à envoyer au musée「博物館に入れたい旧式パソコン」と説明され、例としてle Macintosh de 5 kilos qui règne sur le grenier depuis des lustres「ずっと前から屋根裏に陣取っている重量5キロのマッキントッシュPC」があがっている。
phonard :conard「ばか」のもじりだろう。Insulte à une personne qui utilise mal son téléphone portable「携帯電話をうまく使えない人を指す侮蔑語」
photophoner :Envoyer sa tête par téléphone à ses vieux parents. Pour vérifier que tout va bien. Un compromis entre le SMS et la visite parentale obligatoire. 「年老いた両親にケイタイで顔写真を送る、の意。万事うまく行っていることを立証するため。メールのショートメッセージサービスと義務的な両親宅訪問との折衷」と説明されている。
 この背景にある親子関係は、電子機器のおかげで親密になったといえるのか。時短・簡略化を尊ぶ世界的現象に首をかしげるのは、年寄りの僻(ヒガ)みだろう。

マッキ ントシュの一体型
photo: wikipedia w:User:Grm wnr
 パソコンからは離れるが、bonjoirという挨拶が若者の間で流行しているのも同じ傾向の現れだろう。bonjourとbonsoirの合体というわけだ。これなら一日中つかえる。
humanicide :Un attentat aveugle contre des civils.「市民にたいする無差別殺人」<homicide 「殺人」ともgénocide「大虐殺」ともちがう。つい先日グアム島でおきた事件も真相はまだ不明だが、状況から考えてhumanicideのうちに入るのだろう。>
 アンケートに答えた若者の33パーセントが好んで使うという新語attachiantも不気味だ。attachant「魅力的な」ではない。説明はこうだ。On dit d’une personne qu’elle est attachiante quand celle-ci est difficile à supporter mais qu’on ne peut se passer d’elle pour autant.「ある人が我慢ならぬ人物なのに、そうかといってその人なしでは生きていけない時、その人はattachianteだという。」補足としてUne sorte de « boulet » addictif.「一種の腐れ縁」とある。察するところ、若者の間でそんな人間関係がふえている証拠なのだろう。
 
筆者プロフィールbacknext

【NET NIHON S.A.R.L.】
Copyright (c)NET NIHON.All Rights Reserved
info@mon-paris.info