朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
女性の輝く日本 2014.11エッセイ・リストbacknext

「エセー」 ※画像をクリックで拡大
 列国議会同盟l’Union Inter-Parlementaire,[英]the Inter-Parliamentary Union(加盟187国)によると、日本の女性国会議員の割合は約8%、世界平均を下回り、先進国中では最低の127位に甘んじている。これは女性の社会進出劣勢の象徴だ。打開のため、安倍首相は「女性が輝く日本」という標語をかかげ、選りすぐりの女性5人を改造内閣の閣僚に登用した。しかし、ふた月ともたずに2人が辞任に追いこまれたことは周知のとおり。
 そのうち松島法務大臣ministre de la Justiceの場合は、選挙運動の際に団扇éventail (フランス人に説明するにはen papierを添える必要があろう)を選挙民に配った行為が違法だという抗議がきっかけだった。団扇ごときで辞任とは、大臣の重みもずいぶん軽くなったものだなあ、と情けなさを冗談に紛らせていたら、とんでもない。元来とっぴな考え方の人で、法務大臣はおろか政治家としても早々にお引取り願いたい女性のようなのだ。というのも、事情通の知人から彼女の前歴を教えられて、あきれはてたからだ。ほんの1例しかあげないが、就任に先立つこと9年、2005(平成17)年3月30日衆議院法務委員会の記録に、つぎのような発言を残していた。因みに、ここでは外国人受刑者の扱いが論議されていた。
 「私、府中刑務所を見たときに思った感想としましては、例えば、イラン人は宗教上の理由で豚肉なしのメニューをわざわざつくるですとか、あるいはパン食したかったら希望をとるとか、逆差別でずるいんじゃないかと。」(下線は朝比奈)
 彼女はイスラム教がキリスト教につづく大宗教で信徒数は世界総人口の23%にのぼることを知らぬわけではあるまいが、「宗教上の理由で」といってハラールhalal(イスラム法で合法とれるもの)に言及している。そのくせ、豚肉を食べる食べないは好き嫌いの問題とする日本人一般の常識から一歩も踏み出そうとしない。その上で「逆差別でずるい」と相手を非難するのだが、これでは、自分にとって自明なことが、頭ごなしにそのままどの国の人にも、自明なことでありつづけると考えているとしか思えない。いやしくも衆議院法務委員会のメンバーとしては、あまりに粗雑で幼稚すぎる立論ではないか。任命責任という議論があるが、まさにこんな人物を法務大臣に登用した首相の責任は重大だし、団扇で辞任をせまりながらもこの暴言を見逃したとすれば、野党の迂闊さも目にあまる。多様な人種と文化が隣り合い、せめぎあう欧米諸国の議会の場では、こんなレベルの発言がまかり通る余地はない。日本ではいまだに鎖国がつづいているということなのか。
 フランス語の話に戻るとして、思い起こすのはMontaigneとMontesquieuのことだ。いうまでもなく前者は16世紀、後者は18世紀の思想家だが、どちらも上の松島発言を見越したかのように、人間が陥りやすい落とし穴に気づき、時空を超えて通じる形で、たくみに描出している。
 まずモンテーニュのEssais『エセー』の第1巻第31章(版によっては30章)Des cannibales「人食い人種について」から。この名高いモラリストの随想録の豊かさ・滋味深さについては、説明する必要もあるまいが、この章は著者自身が南極フランス(今のブラジル)出身の人物を長らく使用人としていた経験から生まれたもの。南米大陸の「人食い人種」がけっして野蛮人ではないことを冷静かつ柔軟に説いている。
 Or, je trouve…qu’il n’y a rien de barbare et de sauvage en cette nation, à ce qu’on m’en a rapporté, sinon que chacun appelle barbarie ce qui n’est pas de son usage ; comme de vrai, il semble que nous n’avons autre mire de la vérité et de la raison que l’exemple et l’idée des opinions et usances* du pays où nous sommes. Là est toujours la parfaite religion, la parfaite police**, parfait et accompli usage de toutes choses.

モンテスキュー ※画像をクリックで拡大
 「さて、<...>自分の習慣にはないものを、野蛮と呼ぶならば別だけれど、わたしが聞いたところでは、新大陸の住民たちには、野蛮で、未開なところはなにもないように思う。どうも本当のところ、われわれは、自分たちが住んでいる国での、考え方や習慣をめぐる実例とか観念以外には、真理や理念の基準を持ちあわせていないらしい。あちらの土地にも、完全な宗教があり、完全な政治があり、あらゆることがらについての、完璧で申し分のない習慣が存在するのだ。」(宮下志朗訳)*usance =Habitude **police=Organisation d’une société ;législation, institutions politiques
 もう一つはモンテスキューのLettres persanes『ペルシア人の手紙』第49便から。ルイ14世の治世末期から摂政時代のフランス、特にパリを訪れたペルシア人の見聞を故郷に伝える手紙を集めた形の小説。これが当時のフランスの政治・社会の批判の意味をもち、大革命の原動力になったことはもちろんだが、他方で、比較文化という視点をひらいて、後のDe l’esprit des lois『法の精神』を予告した点が興味をひく。
Il me semble... que nous ne jugeons jamais des choses que par un retour secret que nous faisons sur nous-mêmes. Je ne suis pas surpris que les nègres peignent le diable d’une blancheur éblouissante et leurs dieux noirs comme du charbon ; que la Vénus de certains peuples ait des mamelles qui lui pendent jusques aux cuisses ; et qu’enfin tous les idolâtres aient représenté leurs dieux avec une figure humaine et leur aient fait part de toutes leurs inclinations. On a dit fort bien que, si les triangels faisaient un dieu, ils lui donneraient trois côtés.
 「われわれが物事を判断するときは、必ず、ひそかにわが身を顧みているように思われる。だから、黒人が悪魔をまばゆい白光に塗りたてる一方、神を炭のように黒塗りにしたり、ある民族のヴィーナスの乳房が太腿まで垂れていたり、挙げ句の果て、偶像教の信者がみなそろって人面の神像をつくり、すべて自分の好みに合わせて拵えあげたりする、そんなことにわたしはいっこう驚かないのだ。世間ではうまいことをいう、<三角形どもが神像を作ったら、三面の像になるだろう>と。」
断っておくが、わたしは日本にも輝く女性がたくさんいることを知っているし、女性議員が前法務大臣のようにQue sais-je?「わたしは何を知っているというのか?」という謙虚さの対極にいる女性ばかりではないと信じてもいる。ただ、最低限の要求として、男女を問わず、政治家であろうとなかろうと、上の両思想家の指摘には真剣に耳を傾けてほしいと願うばかりだ。

 
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