朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
世界化の波紋――命名の自由 2015.02エッセイ・リストbacknext

ヴァランシエンヌ ※画像をクリックで拡大
 インターネットで世界化が加速、わたしたちはとかく世界は一つになり、どこへ行っても同じ考えが通じると思いがちだ。ところが「世界化」はそんなに生易しくはない。プチ・ラルースでglobaliserをひいてみると、Réunir en un tout, présenter d’une manière globale des éléments dispersés「ばらばらな要素を一つの全体にまとめる、包括的に示す」とある。こう定義されてあらためて気づくのは「一つの全体」と「ばらばらな要素」の間には対立があるということだ。世界化はその対立の解消を意図するが、しばしば摩擦を生む。その証拠に、わたしたちはさまざまなレベルで問題に突き当たっているではないか。
 たまたまA君がメールで教えてくれた情報とそれに対するA君の反応とが、わたしに反省の機会をくれた。発端は、ベルギーに近いノール県を拠点とする有力紙La Voix du Nord「ノール県の声」の記事(1月26日付け。筆者はCatherine Bouteille)である。
 Les goûts et les couleurs, ça ne se discute pas, a-t-on coutume de dire. Ainsi en va-t-il du choix d’un prénom, puisqu’en France, les parents sont libres de le choisir. C’est ainsi qu’un couple qui a donné naissance à un enfant, le 24 septembre à Valenciennes, a décidé d’appeler son bébé « Nutella ». Un choix qui a heurté l’officier de l’état civil. Estimant que « le prénom de l’enfant n’est pas conforme à son intérêt », l’officier a ainsi avisé sans délai le procureur de Valenciennes. Lequel a saisi à son tour un juge des affaires familiales « pour qu’il en soit ordonné la suppression sur les registres de l’état civil ».
 「味と色、これらは議論してもはじまらない、と普通は言われている。だから、名前の選択についても同様だ、何分フランスでは、親は自由に名前を選べるのだから。そんなわけで、ヴァランシエンヌで9月24日に一子をもうけた夫婦は赤子を<ヌテラ>と命名することに決めた。ところが、この命名が戸籍係を怒らせてしまった。係は<この子の名前は本人のためにならない>と判断し、直ちにヴァランシエンヌの検事に通報した。検事もまた<戸籍簿からこの名を削除する旨命令するように>家族事件裁判官に申し立てた。」
 Une audience, à laquelle les parents n’ont pas assisté, s’est tenue fin novembre. En l’absence des parents, le juge a choisi de renommer l’enfant « Ella ». « En l’espèce, argumente la notification du jugement, le prénom « Nutella » donné à l’enfant correspond au nom commercial d’une pâte à tartiner. Et il est contraire à l’intérêt de l’enfant d’être affublé d’un tel prénom qui ne peut qu’entraîner des moqueries ou des réflexions désobligeantes. »
 「法廷に両親は出廷しなかったが、11月末に結審した。裁判官は両親不在のまま、子どもを<エラ>と再命名する道を選んだ。判決文は送達している<この場合、子どもに与えられた『ヌテラ』という名はチョコ風味スプレッドの商品名と重なっている。そして、こうした、揶揄や不快な論評を招きよせることにしかなりえない名を子どもにつけることは本人の利益に反する>と。」

ヌテラ
 記者は別の例もあげている。そこではun prénom original non usité「使われたことのない独創的な名」をつけようと考え、娘にFraise「イチゴ」という名をつけようとした親が同様に裁判の憂き目にあった。裁判官はle prénom de Fraise [...] sera nécessairement à l’origine de moquerie notamment l’utilisation de l’expression ramène ta fraise, ce qui ne peut qu’avoir des répercussions néfastes sur l’enfant「イチゴという名は必ずや揶揄の原因、特に『何にでも口を出す、でしゃばる』という成句を引き合いに出されることになるだろう。そうなれば本人に有害な影響を及ぼすことにしかなりえない」として、戸籍への登録を却下した。両親は代案としてFraisine(Fraise +ine[縮小・軽蔑を意味する接尾辞])を考えた。これなら19世紀に用例が見られるのだから、現代でも子どもの不利益には当たるまいという。これも通らないのなら上訴する覚悟だと、記事は結んでいる。
 さて、A君はこれを「AFP-時事」の配信をうけた日本の新聞で読み、元教員のわたしに疑問を投げつけてきた。「悪魔」が日本の役所で拒否されたことを記憶するし、それはそれで納得しないものでもないが、チョコ・スプレッドの名や「イチゴ」(ボクは大好きです!)を名にしてはならぬという措置はどうにも解せない。ましてやフランスはあんなテロ事件に会ってもなお自由を尊重しようとする国ではないのか、というわけだ。
 わたしは面食らったが、とりあえず以下のように答えた。
 命名は慣行にしたがう行為だから、民族的・文化的な伝統の違いを色濃く残す。日本では『寿限無』という落語が代表するように、名付け親は子の名に呪術的な願いを託す場合が多い。それに対し、フランスのような西欧諸国ではキリスト教の典礼暦に出てくる聖人名、古代史に出てくる著名人の名から拾ってくるのが通例だ。新スタンダード仏和辞典(わたしも共著者の一人だが)が付録に「フランス人の名」として500ばかりのprénomをリスト・アップしたのは、命名にともなう日仏のギャップを示す意味もあったからだ。
 A君への答えはここまで。しかし、事はこれではすまない。上記の記事はフランスでも「使われたことのない独創的な名」をつける親が出てきたことを示しているからだ。いわば命名の面で世界化が進んだわけだ。そういう新状況の中で、A君にどう答えたものか。
 ここで注目したいのは、裁判官がしつこく強調するようにprénom「名」は親の意図とは無関係に社会的な意味をもつことだ。となれば、そこには否応なしに各国語に固有の象徴性がかかわってくる。問題の「イチゴ」についていえば、A君には大好きな果実以外を意味しないようだが、フランス語のfraiseは判決文にあったとおり隠語的に「頭」をさすことがあり、その結果、Fraiseという名の娘はいちいち「余計なことに首をつっこむ、出しゃばりだ」という言い回しを連想させ、いじめの対象になりかねない。因みにOxford-Hachetteフランス語辞典は同じ成句をto stick one’s nose inと説明する。つまり、問題のいじめが起こるとしても、それはあくまでもフランス語圏特有の現象にとどまるということになる。
 子に名をつける、そんな一事をとっても「世界化」は容易ではない。裏を返せば、自分の判断を他国に、他文化に押しつけることの怖さを忘れてはならぬということだろう。
 
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