朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
長いスカート 2015.05エッセイ・リストbacknext

Arthur Rimbaud ※画像をクリックで拡大
 Charleville-Mézièresと聞けば、傑作Le Bateau îvre『酔いどれ舟』の作者Arthur Rimbaudの名を思い浮かべる人が多いのではないか。詩人の生家を訪ねて、ベルギー国境ちかくのこの小都市まで足を運んだ日本人は数知れまい。ここがある事件をきっかけに、全国に名を轟かせることになった。4月29日付けのLe Monde紙はつぎのように報じた。
 Sarah, 15 ans, élève de 3e au collège Léo-Lagrange de Charleville-Mézières, dans les Ardennes, s’est vue refuser à deux reprises l’entrée de son établissement au motif que la jupe qu’elle portait était...trop longue. D’une longueur qui, aux yeux de la principale du collège, Maryse Dubois, en faisait un « signe ostentatoire d’appartenance religieuse », comme elle l’a écrit le 24 avril aux parents de cette jeune fille musulmane.
 「サラ(15歳)はアルデンヌ県シャルルヴィル=メジエールのレオ=ラグランジュ中学の第3学年(中等教育の4年次)の生徒だが、2度までも校内への立ち入りを拒まれてしまった。理由は彼女のはいたスカートが...長すぎたことだ。その長さが校長マリーズ・デュボワの目には、4月24日にイスラム教徒の娘の両親に宛てて書いた文面にあるとおり、<宗教的な帰属をこれ見よがしに示す標章>に当たると見えたのだった」
 日本で広告とともにニュースを流しているサイトOVOはさっそくこれを取り上げ、「スカートが短すぎる、というのが問題になりがちな日本の女子中高生。だが、いまフランスでは、スカートが長すぎることが問題になっている」という書き出しで事件を紹介した。
 むろんル・モンド紙の記事がニュース源なのだが、イラストとして日本の女高生たちが制服を着て立った後姿の写真が掲げられているところから見ても、スカート丈を取り締まる側にせよ、それに抗議する側にせよ、日本人の関心が性本能に集中しがちなことは争えない。そんな視点からすれば、スカートが長すぎるからという理由で登校禁止にする学校があるという事実そのものが不可解なばかりか、そんな決定をくだす校長の専横ぶりは滑稽にさえ映るのではないか。他方、入校を拒まれた少女がイスラム教徒だとすると、ここには宗教的少数派に対する差別意識が働いているようにも受け取れる。そもそもフランスは思想・信教の自由をモットーとする国ではなかったのか。その自由を制限してまで校長が守ろうとしたのはいったい何なのか、謎が深まるばかりだ。
 このズレの原因を解き明かすのは容易ではない。というのも、事件の根本は、遠く18世紀末のフランス大革命以来、この国がながらく国是としてきたlaïcité「脱宗教性」(普通は「非宗教性」とも「(教育などの)宗教からの独立」とも訳されるが、ここではクセジュ文庫のJean Baubérot :Histoire de la laïcité en France『フランスにおける脱宗教性の歴史』の訳者にしたがっておく。同書を参照のこと)の原則だからだ。どうしてスカートと宗教が関係するのか、ここでは、とりあえず3点にしぼって触れておきたい。
 1) 上掲の記事でデュボア校長がよりどころにしたのは2004年に制定されたla loi sur les signes religieux dans les écoles publiques françaises「フランス公立学校における宗教的標章に関する法律」で、こう記されている。
 Dans les écoles, les collèges et lycées publics, le port de signes ou tenues par lesquels les élèves manifestent ostensiblement une appartenace religieuse est interdit.
 「公立の学校・中学校・高等学校においては、生徒が宗教的な帰属をこれ見よがしに示す標章または服装の着用は禁じられている」
 これはヴェールの着用port du voileで入校を拒まれたイスラム教徒女子中学生と校長との対立に端を発して、授業のボイコットやデモ等に発展した事件の収拾を契機として生まれたもの。大混乱のニュースはまだ読者の記憶に新しいだろう。30日付のル・モンド紙はNajat Vallaud-Belkacem(la ministre de l’éducation)国民教育相の見解を載せた。
 Aucune élève ne peut être exclue en fonction de la longueur ou couleur de sa jupe.
 「いかなる女子生徒も、スカートの長さ・色如何によって排除されることはありえない」 ただ、その上で、学校当局は長さではなくle prosélytisme de la part de l’élève「生徒側の改宗勧誘熱」を認めて処分したものと断定、両親との対話を促した、とある。
 2) この法律があくまでも「公立の」とされていることに注意しよう。歴史は1905年の la loi de séparation des Eglises et de l’Etat「教会と国家の分離法」にさかのぼる。その第1条にはLa République assure la liberté de conscience. Elle garantit le libre exercice des cultes sous les seules restrictions édictées ci-après dans l’intérêt de l’ordre public. 「共和国は良心の自由を保証する。共和国は、以下に述べる公益のための制約を守るかぎりにおいて、信仰実践の自由を保障する」とある。

中学生Sarah ※画像をクリックで拡大
 問題は下線で示した付帯条件だが、同第2条La République ne reconnaît, ne salarie ni ne subventionne aucun culte.「共和国はいかなる宗教をも承認せず、給与を支払わず、助成もしない」と並べることで狙いがはっきりする。というのも、この条文によって、フランス政府はそれまで国民教育を担ってきたカトリック教会との決別を宣言すると同時に、 その帰結として、今後国が担う教育の機関から宗教色を払拭すること、すなわちlaïcitéの原則の厳守を誓わざるをえなかったことが窺えるからだ。いいかえれば、1905年の法律は信教の自由と公立学校の脱宗教性とをセットにするところに成立した。2004年の法律がこの伝統を継承する以上、ヴェールのような宗教的な標章を容認することはできなかったし、現在の政府が「長いスカート」に寛容さを示す余地はないのだ。
 3) 宗教的標章にこれほど神経をとがらせる背景には、dhimmi「ズィンミー」の契約があるのかもしれない。Un dhimmi est, suivant le droit musulman, un citoyen non-musulman d’un Etat musulman, lié à celui-ci par un « pacte » de protection.「ズィンミーとは、イスラム法に従えば、イスラム教国に住む非イスラム教徒で、イスラム教国と保護契約で結ばれた市民のことだ」詳細は省くが、11世紀の頃、狂信的な教父がズィンミーに次のようなsignes distinctifs「識別票」を強要したという。...les chrétiens portent une croix en fer en collier et...les juifs s’équipent de cloches ou la représentation d’un veau en bois évoquant le veau d’or.「キリスト教徒は鉄製の十字架の首飾りを、ユダヤ教徒は鐘、または黄金の子牛(金銭の象徴)を思わせる木製の子牛の像を身につけるように」  宗教の違いに無頓着な(その意味で、きわめて脱宗教的な)現代日本人には想像しにくいことだが、長い宗教戦争に苦しんだ過去をもつフランス人は今もって宗教的標章が「これ見よがしに示される」ことを黙視できないのだろう。

 
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