朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。

メナール先生追悼 2019.9エッセイ・リストbacknext

Jean Mesnard先生 ※画像をクリックで拡大
 17世紀のフランス文学、とりわけパスカル研究の第一人者として知られるJean Mesnard先生が2016年8月に逝去された。「先生」という呼称について一言断っておくが、わたしもゼミを聴講したことがあるので、儀礼的意味はない。早いもので、亡くなってもう3年になる。享年95歳。大往生というべきだが、先生の場合は悔いが残る。というのも、先生の畢生の大事業、Œuvres complètes de Blaise Pascal「ブレーズ・パスカル全集」の刊行(テクストの校訂・註解)が全6巻中4巻までにとどまり、肝心のLes Provinciales 『プロヴァンシアル(田舎人への手紙)』とPensées 『パンセ』の2冊は未公開のままに終わってしまったからだ。(それにともない、弟子たちが総がかりで邦訳し、白水社から出した『メナール版パスカル全集』も6巻中2巻までで足踏み状態だ)
 その先生を追悼するコロック(シンポジウム)が今年の1月 18日、19日にパリのソルボンヌで開かれ、世界各地からpascalisants「パスカル研究者」が集まった。日本からの出席者のなかで、塩川徹也氏がJean Mesnard:souvenir d’un élève japonais 「ジャン・メナール:一日本人弟子の思い出」と題してun dernier hommage「弔辞」を述べた。それがカタリナ大学の紀要の一部としてネット上に公開された。ショックを受けた箇所があるので、紹介したい。
 はじめに塩川氏は自分の立ち位置を示した。先生の日本贔屓prédilection particulière pour le Japonのせいでこの国に知人・友人を多数持っておられたことに触れた上で、こう述べた。
 Je devrais donc parler pour eux et en leur nom, mais je ne suis pas ici pour représenter mon pays ou mes collègues. Je vais tout simplement vous raconter mes propres souvenirs, au risque de tomber dans le vice d’égotisme.
 「ですから、わたしは彼ら(すなわち、先生の死を悼む多くの日本人関係者)に代わって、彼らの名でお話しすべきところですが、ここでのわたしは日本国または日本の研究者を代表しているわけではありません。ただ単に、先生に関する個人的な思い出話をするだけなのですが、うっかりすると、手前味噌になりかねぬことは覚悟の上です」
 「代表」ではないと言っているが、彼以上にふさわしい日本人はいない。彼は日本におけるパスカル研究の第一人者であるのはもちろん、世界を見まわしても有数の存在。だからこそ、岩波文庫版『パンセ』(上下3巻、2015-2016年)の訳者に選定され、それを見事に完成させた。読売文学賞を受賞し、昨年には文化功労者に選ばれた。
 それに加えて忘れてならないのは、この域に達するまで彼を指導し、支えたのは、ほかならぬメナール先生だったことだ。となれば、dernier hommage「最後の献辞」を捧げたい気持が誰よりも強いのは当然だろう。

塩川徹也訳『パンセ』(岩波文庫) ※画像をクリックで拡大
 半世紀におよぶ師弟関係のはじまりはどうだったのか。東大の学園闘争の最中、彼のパスカル研究を指導していた前田陽一教授は私宅でゼミを続行した。そこに、たまたま来日中のメナール先生(10歳年下で気鋭のpascalisantだった)が同席なさった。大学院の学生として参加していた塩川氏はそこで、つまり東京で、第一の恩師から第二の恩師を紹介されたことになる。1970年10月にはboursier du gouvernement français「フランス政府給費留学生」としてパリに渡り、名高い l’Ecole normale supérieure「高等師範学校」のpensionnaire étranger「外人寄宿生」になった。彼が指定された居室にはいるなり、事件が起こった。
 Mon installation était finie, que le téléphone sonna dans le couloir. N’y comprenant rien, ne sachant que faire, j’allai quand même décrocher, instinctivement, et j’entendis au bout du fil la voix de Jean Mesnard qui me souhaitait la bienvenue. A partir de ce moment-là, il devint pour moi un véritable maître qui devait me marquer pour la vie de son empreinte.
  「入居作業が一段落したとたん、廊下の電話が鳴りました。訳がわからず、どうしてよいか分らぬまま、廊下に出て本能的に受話器をとりました。すると、電話口の向こうから聞こえてきたのはジャン・メナールの声で、<ようこそ>という挨拶だったのです。この瞬間から、彼はわたしにとって本当の師匠になり、生涯にわたって影響を与えつづけることになりました」
 さて、彼は先生の指導のもとにPascal et les miracles「パスカルと奇跡」をテーマとして研究を進めた。そして修士論文の口頭審査で、先生からおおむねこのような講評を受けた。
 Votre exposé est clair, et votre raisonnement juste et précis. Bref, votre texte se comprend sans difficulté, mais ce n’est pas du français que vous écrivez, et cela, sans même parler des fautes grammaticales que vous avez commises. Je ne peux pas corriger votre mémoire : il me faudrait le réécrire de bout en bout, mais ce serait alors mon texte, et non le vôtre.
 「君の研究発表は明快だし、推論も的確で明確だ。要するに、君の文章は苦もなく理解できる、でも、君が書いているのはフランス語ではない、それも、いくつかの文法上の間違いを別にしての話だが。君の論文を添削することはできない。それをしたら、端から端まで全部を書き直さねばならないが、そうなると、それはわたしの文章になり、君の文章ではなくなってしまうだろう」
 衝撃をうけた塩川氏は、自分のフランス語に自信を失い、思い余って博士論文の草稿を先生に渡し、correcteur「添削者」を探していると打ち明けた。すると、先生はIl n’y a personne que moi, qui le puisse faire, je m’en chargerai.「それが出来るのはわたししかいない。やってあげよう」とおっしゃり、数週間後、Cette fois, votre texte était corrigeable.「今度の文章は直せるものでした」というコメントつきで原稿が戻ってきた。見ると、全編にわたって数千か所の訂正が施されている。ただし、論理の展開や修辞法に関するものはなく、単語や連辞の選び方にかかわるものばかりだった。その上で日本の弟子に感銘をあたえたのは、つぎのコトバだった。
 Parmi vos fautes, il y en a beaucoup qui ne s’expliquent pas pour un Français comme moi, natif de langue française. C’est donc à vous d’en expliciter la raison, pour vous-même et aussi pour vos futurs étudiants japonais à qui vous allez apprendre la langue et la littérature françaises. Le manuscrit corrigé que voici vous sera un document précieux à cette fin.
 「間違いの中には、わたしのようにフランス語で生まれ育ったフランス人には説明のつかないものがたくさんある。だから、その理由は君が説明すべきだ、君自身に向かって、また君がやがてフランス語やフランス文学を教えることになる未来の学生諸君に向かって。この添削付きの原稿は、いずれ君にとって、そのために貴重な資料になるだろう」
 上記のとおり、この講演はあくまでも世界中のpascalisants向けに行われたのだが、すくなくとも以上の部分に関するかぎり、日本人、特にフランス語教育の関係者を意識している印象がつよい。話し手がフランス語の達人、塩川氏であるだけにわたしのショックは大きかった。しかも、原稿の末尾に、仏人の校閲をうけたむね付記することを忘れていない。メナール先生の思い出はnatif de langue française の壁の意識として残ったのだ。

 
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