朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。

大統領の弔辞(2) 2019.11エッセイ・リストbacknext

J.ユダヤ人殉教者の碑 ※画像をクリックで拡大
 まずVel d’Hiv。これはパリ15区に1909年に設けられたVélodrome d’hiver à Paris「冬季競輪場」の略称。17,000人収容の観覧席があり、庶民に人気の場所だったが、第二次世界大戦下の1942年7月、ナチスの命令に従ったVichy政権が約13,000といわれるユダヤ人をrafle「一斉検挙」し、このグランドに拘留したために有名になった。戦後1959年に施設は解体され、今ではPlace des Martyrs juifs du Vel d’Hiv「ヴェル・デイヴ、ユダヤ人殉教者広場」(地下鉄Bir-Hakeim駅の近く)になり、犠牲となったユダヤ人の死を悼む記念像がある
 ところで、このパリをはじめ、フランス各地で拘束されたあと強制収容所に送られたユダヤ人は8万にのぼり、しかもその多くは生還できなかったといわれる。
 「フランスは戦後、このことについて国家としての責任を認めようとしなかった。ビシー政権はナチスの傀儡であり、フランスではない。正統フランスは、ドイツの占領を受け入れず英国でド・ゴール将軍が樹立した亡命政権や仏国内で繰り広げられた対独レジスタンスにこそ存在していたという理屈だ」(10月13日付、朝日新聞「日曜に想う」大野博人)
 社会党のミッテラン大統領はド・ゴール以来の歴代政権の批判者として登場したことで知られるが、その彼もこの立場を崩さなかった。任期14年の最後になる1994年に彼はこう述べた。
 Je ne ferai pas d’excuses au nom de la France. La République n’a rien à voir avec ça. J’estime que la France n’est pas responsable,(Le Point誌による)
 「フランスの代表として謝罪はしません。このことと共和国は無関係です。フランスは責任がないとわたしは考えます」
 翌1995年7月16日、新任のシラク大統領は上記の広場で行われたユダヤ人一斉検挙回顧式典で歴史的な方針転換を表明した。
 La France, patrie des lumières et des droits de l’Homme, terre d’accueil et d’asile, la France, ce jours-là, accomplissait l’irréparable. Oui, la folie criminelle de l’occupant a été secondée par des Français, par l’Etat français.
 「フランスは、啓蒙思想と人権の祖国、他国人を受け入れ、避難地を提供する国として、フランスはあの日、取り返しのつかない罪を犯しました。そうです、占領者(ナチス軍)の犯罪的な狂気の行いを助けたのは、フランス人であり、フランス国家(「共和国」ではなかった)だったのです」
 収容所の元抑留者と遺族、ユダヤ人居住者代表、高位聖職者らを前にしてシラクは宣言した。

ミッテラン元大統領(左)シラク元大統領(右) ※画像をクリックで拡大
 Nous conservons à leur égard une dette imprescriptible. Reconnaître les fautes du passé et les fautes commises par l’Etat. Ne rien occulter des heures sombres de notre Histoire, c’est tout simplement défendre une idée de l’Homme, de sa liberté et de sa dignité. C’est lutter contre les forces obscures, sans cesse à l’œuvre.
 「わたしたちは彼らに対して時効で消滅することのない負債を背負っています。過去の過ちと国が犯した過ちを認めること。我が国史の暗黒期の何事も隠蔽しないこと、それこそがまさしく、一つの人間観、その自由観、尊厳観を守ることであります。たえず働く暗闇の力と戦うことなのです」
 この演説を受けて、マクロン大統領は「歴史を直視するフランス」といい、「自国の責任を認めることができた」と称賛したのだった。
 それにしても、上に引いた朝日新聞の論説はシラク元大統領の訃報に触発されて書かれ、せっかくVel d’Hiv演説の急所を紹介したのに、「排他主義はどんな時代と社会にも形を変えながら姿を現す。今の日本でも、他国の人々を<アホ>とさげすみ、<虐殺>にさえ言及する人物が国会議員だった」というだけにとどまったのは残念な気がする。というのも、「彼らに対して時効で消滅することのない負債を背負っています」という箇所で、わたしは徴用工問題に象徴される韓国人、朝鮮人の心境を思い浮かべるしかなかったからだ。
 シラク発言は今の硬直した日韓関係への打開策を示唆しているのではないか。わたしたちはとかく、大日本帝国による韓国併合annexation japonaise de la Coréeと称し、しかも、それは1945年の敗戦で終わった、と考えがちだ。しかし、どれほど言いつくろっても、地政学的に見れば、日本は朝鮮半島をcoloniser「植民地化」したことになるし、その事実は1965年の日韓条約Traité nippo-sud-coréenによっても、消えはしない。当然ながら、それは両国間にcolonisateursとcolonisésという意識の差を残した。「植民地化する側」は「終わった」といえても、「植民地化された側」は忘れようがない。その意味では日本は韓国・北朝鮮にune dette imprescriptibleを背負い込んでいる。Un Japon qui regarde son Histoire en face「自国の歴史を直視する日本」とは、シラク流にいえば、いさぎよくreconnaître les fautes de l’Empire du Japon「大日本帝国の過ちを認める」ことなのではないか。
 マクロン演説に今一度話題を戻す。視点をかえ、修辞的な特色に目を向けよう。
 Nous, Français, perdons un homme d’Etat que nous aimions autant qu’il nous aimait. 「わたしたちフランス国民は、愛し、愛される政治家を失いました」
 下線部を字義通り訳せば「彼がわたしたちを愛するのと同じくらいわたしたちが愛してきた」になるが、この部分から、例えばToi, tu m’aimais et je t’aimais.「あなたは僕を愛し、僕はあなたを愛した」(Jacques PrévertのLes feuilles mortes「枯葉」の一句)を連想する人は少なくなかろう。
 Et que nous partagions ou non ses idées, ses combats, nous nous reconnaissions tous en cet homme qui nous ressemblait et nous rassemblait.
 「彼の政見や奮闘ぶりに共鳴するしないにかかわらず、わたしたちは皆、わたしたちに似ているし、またわたしたちを結集させた人物の中に自分の姿を見ていたのでした」
 下線部は上のように訳すしかないが、原文ではressembler「似る」とrassembler「集める」というjeu de mots「地口」であることを見落とすまい。類例は山ほどあるが、一例をあげれば、
 On donne des conseils mais on n’inspire point de conduite. (La Rochefoucauld :Maximes, Réflexions morales)
 「人は忠告は与えるが行いは一向に授けない」(二宮フサ訳)
 サロン仲間を意識したシニカルな警句だが、面白みは下線部の言葉遊びにある。
 大統領の背後にはむろんライターが控えているにせよ、演説者は、修辞法や文学的な素養を身につけていることが当然の前提になる、それがフランスの伝統なのだ。
 翻って日本ではどうか?呆れたことに、国語教育の改革の名のもとに、日本では教科書から文学を追放する動きが今盛んである。朝日新聞(10月14日付け)によると、ある視学官が「文学を軽視するつもりはない」と言う一方、「社会に出て会議や折衝の場面で小説や物語・詩歌をそのまま使うわけではありません」と断定して、憚る気配がない。しかし、視学官殿、考えて下さいよ、人生とは、会議や折衝の場だけでしょうか?教育とは、会議や折衝の場を巧みにこなす人材を育てることだけでしょうか?色あせたアベノミクスしか売り物のない人物の目指す「新しい国創り」の正体が見えた気がする。これでは、未来が明るくなるわけがない。

 
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