朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。

「国籍」とは何だろう?(1) 2019.12エッセイ・リストbacknext

J.ダニー・ラフェリエール ※画像をクリックで拡大
 今年の「流行語大賞」にラグビー・ワールドカップ日本代表のスローガンONE TEAM(une équipe)が選ばれた。代表チームのメンバーの中にニュージーランドNouvelle-Zélande、南アフリカAfrique du Sudなど6か国の外国人がいたから、「団結心」esprit d’équipeを強調する必要があったのだろう。狙いどおりの結束が初の8強入りという成果を生み、日本中が興奮したのだから、当然の受賞だろう。表彰式に臨んだラグビー協会の会長が感激して声を詰まらせたというのも無理はない。しかし、浮かれるのはいいが、気になるのは、平静な状態に戻った日本の社会が、あいもかわらず外国人の受け入れに消極的なことである。たとえば、横綱白鵬が日本の国籍を取得したのに、相撲協会が日本人並みに一代親方の資格を与えることを渋っているという。こんな噂などは端的な例といえる。国技の世界であれほど立派な成績を残し、達者な日本語を話していても、彼を「日本人」として受け入れることには抵抗があるのだろう。
 ここで、それほどまで「日本人」にこだわる人たちに、お歳暮代わりに、Je suis un écrivain japonais(Grasset, 2008)というフランス語の小説をとどけたいと思う。『吾輩は日本作家である』という邦訳もある(藤原書店、2014)。漱石のJe suis un chatのパロディを意識して、訳者立花英裕氏は上記のように訳した。作者の漱石がネコであるはずがない。それと同じ理屈で、問題の小説だって、作者の「私」が本当に日本人作家である必要はない。フィクションである以上、自明のことだが、この場合は少々やっかいだ。というのも、作者はHaïti生まれで、CanadaのMontréal在住の黒人作家Dany Laferrièreであり、しかも日本を訪れたことさえなかったからである。(その後2011年に来日したが、その頃はすでに各地で講演をおこなうほどの名士になっていた)。
 彼は1953年生まれ、今や歴としたAcadémie française会員だが、処女作で出世作となったComment faire l’amour avec un nègre sans se fatiguer(Montréal, 1985; Paris, 1987)『ニグロと疲れないでセックスする方法』(その後フランスで映画化され、日本では『間違いだらけの恋愛講座』の名で公開された)のタイトルが示すように、型破りの表現で人目を惹くことを好む。
 この表題にしても、奇矯で人を食っている。おまけに、その導入ぶりが意表をつく。出鱈目は百も承知、その効果を最大限にいかす魂胆なのだ。作品のはじめの方で、「私」は(いわゆる私小説みたいに作家の日常生活を綴るという体裁をとるのがダニー流のスタイルだ)ギリシア人の魚屋に買い物に行く。わざわざギリシア人というあたりに注意しよう。舞台のカナダ、とりわけモントリオールは人種のるつぼなのだ。その魚屋とのやりとりの中に、問題の一句が飛び出してくる。
 相手はこちらが小説家であることを知っていて「2作目を執筆中か?」と尋ねてくる。実は過去に14冊も書いたのだが、魚屋の頭の中ではいつも2作目のまま。こちらの話をろくに聞いていない証拠だ。しかも、すでに次の客に関心が移っている。そこで、私は去り際に一発かませてやった。
  ---Je suis un écrivain japonais.
  Son regard revient vers moi.
  ---Comment ça ! Avez-vous changé de nationalité ?
  ---Non, c’est le titre de mon nouveau livre.(id.Chez le poissonnier, p.18)
  「<私は日本の作家になったんでね>
  彼の目がこちらに戻って来る。
  <どういうことですか、それ?旦那、国籍でも変えたんですか>
  <いや、そういう意味じゃないがね、ただね、今度の新作を『吾輩は日本作家である』というタイトルにしてみたんだ>」(同書、「魚屋で」16頁)
  魚屋はまんまと罠にはまって、不安げにこちらとの会話を続けざるをえなくなる。そもそも、彼の小説の持ち味は会話の部分にある。訳者も腕に縒りをかけているので、先をつづけよう。

「吾輩は日本作家である」 ※画像をクリックで拡大
  ---En avez-vous le droit ?
  ---D’écrire le livre ?
  ---Non, de dire que vous êtes japonais.
  ---Je ne sais pas.
  ---Avez-vous quand même l’intention de changer de nationalité ?
  ---Ah non... Je l’ai déjà fait une fois, ça suffit...
  「<そんなことしていいんですかね>
  <なにが、本を書いてもいいのかっていうこと?>
  <いや、そのう、自分は日本人だなんて言っちゃってもね>
  <さあ、どうだろうね>
  <それって、国籍を変えたいっていうことですか>
  <いや、ちょっと違うんだなあ。一度変えたことあるしね。あんなこと、もうまっぴらだよ>」
 「もうまっぴら」という訳文の背後には、ハイチから亡命してカナダ国籍を得たラフェリエール自身の前半生がからんでいるのだろう。その点は後述するとして、このやり取りの決着をつけよう。
  ---Vous devriez vous renseigner là-dessus.
  ---Où ?
  ---Je ne sais pas, à l’ambassade du Japon ... Vous me voyez me lever un matin et lancer à mes clients que durant la nuit je suis devenu un boucher polonais ?
  ---Je penserais plutôt à un poissonnier polonais, vu que vous êtes dans le poisson.
  ---Surtout pas un poissonnier polonais, fait-il en se tournant déjà vers le prochain client.
  「<でも、お調べになった方がいいかもしれませんよ>
  <どこか調べられるところがあるかな>
  <どうでしょうね。日本大使館とか.....いや、あっしがね、朝おきて、夜のうちにポーランド人の肉屋になったなんて言っちゃったら、客が変に思うでしょ>
  <ポーランド人の魚屋なら分かるけどね。魚売ってるんだから>
  <いや、ポーランド人の魚屋だなんて、もっとやばいですよ」
  魚屋は、次の客の方を向きながら言った。」
 上に述べたようにさまざまな出身国の人たちが共生しているモントリオールだからこそ成立する会話だが、その一方、「私」の思いつきはそんな土地柄においてさえも突拍子もない冗談として受け取られるしかない。おまけに、「...国人」をめぐる冗談(poissonとpolonaisの駄洒落)は、うっかりすると、この魚屋のように自分の出自が汚されたという誤解を招く心配もある。
 ラフェリエールは何故こんな小説を書く気になったのだろうか、探ってみるとしよう。「日本人」意識に凝り固まりがちな私たちを揺るがすヒントが見つかるかもしれない。

 
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