朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
 
ランボーの詩を読む(4) 2021.11エッセイ・リストbacknext

ジョルジュ・サンド
※画像をクリックで拡大
 「忘我の船」を物語と見た場合、語り手と主人公は誰かといえば、第2節にあるように、どちらもPorteur de blés flamands ou de cottons anglais「フランドルの小麦船、はたまたイギリス綿花の輸送船」である。作者はその後も「船」になりすまして、大海原の漂流をつづけ、つぎつぎ危難にあう。読者はあくまでも「船」の冒険のつもりで読んでいくほかない。となれば、「船」に「作者」を重ねて解することには、努めて慎重であるべきだろう。
 たとえば、第21節(和訳は常に「奥本訳」)  

 Moi qui tremblais, sentant geindre à cinquante lieues
 Le rut des Béhémots* et les Maelstroms épais,
 Fileur éternel des immobilités bleues,
 Je regrette l’Europe aux anciens parapets !

 「身震いもしようというもの、五〇マイル離れたところで
 さかりのついた怪獣ベヘモや、メールシュトロームの渦潮の轟きが聞こえているのだ。
 青い不動の海原を、永遠に糸を紡いで渡るこの身は、
 古い城壁に護られたヨーロッパを懐かしむ。」(*「ヨブ記」に出てくる巨大な獣)

 とあっても、すぐさまランボーが「ヨーロッパを懐かしんでいる」と解するのは正しくない。
 ましてや、いくら作者が「海」を知らぬ少年だからといっても、第23節

 Mais, vrai, j’ai trop pleuré ! Les Aubes sont navrantes.
 Toute lune est atroce et tout soleil amer :
 L’acre amour m’a gonflé de torpeurs enivrantes.
 Ô que ma quille éclate ! Ô que j’aille à la mer !

 「それにしても、おれはあまりに泣いた。暁は胸をえぐるようだ、
 月は耐え難く、太陽は苦い。
 刺激に満ちた愛情が俺の全身を麻痺させてしまった。陶酔のうちに。
 おお、竜骨よ砕け散れ、海の藻屑とならんことを。」

 の末尾を、「海に行きたい!」などと訳すわけにはいかぬことになる。
 ここで参照したいのは、中地義和著『ランボー 自画像の詩学』(岩波セミナーブックス)、特にその出発点だ。著者は「詩人ランボーの基本には、自分を他に見立てる想像力があります」と切り出し、さらにつづけて、彼の作品は「架空の自画像を描く運動」なのだ、という。「忘我の船」はまさに典型だが、その意味をはっきりさせるために、中地氏が対照的なケースとしている「作者の過去を再現する」「自伝」的な詩篇の例をあげるとしよう。
 Frédéric Chopin(1810-1849)はGeorge Sand(1804-1876)の恋人として名高いが、この多情な女流作家は、それより3年も前に、ロマン派を代表する詩人Alfred de Musset(1810-1857)と浮名を流した。彼は彼で恋愛遍歴を重ねたことで知られるが、サンドとの別れはいつまでも心の傷として残ったらしい。なかでもNuits(1835-37)のシリーズがそれを証拠立てている。以下に最終篇La Nuit d’Octobre「十月の夜」の一部を引く。
 他の2篇同様、これもle Poèteとla Museの対話の形になっている。冒頭から、心の痛みはすっかり忘れはてたという詩人に対し、その声の裏に影が残っている、それを表にだして言葉にせよ、と、女神は詩人を詩作にいざなう。そこで、ようやく心の秘密が明かされる。

 C’est une femme à qui je fus soumis,
   Comme le serf l’est à son maître,
 Joug détesté ! c’est par là que mon cœur
   Perdit sa force et sa jeunesse ;
 Et cependant, auprès de ma maîtresse,
   J’avais entrevu le bonheur.
 Près du ruisseau, quand nous marchions ensemble,
   Le soir, sur le sable argentin,
 Quand devant nous le blanc spectre du tremble
   De loin nous montrait le chemin ;
 Je vois encore, aux rayons de la lune,
   Ce beau corps plier dans mes bras...

 「(元はといえば)女なのです、ぼくが隷従した
   まるで、奴隷が主人に従うみたいに。
 けたくその悪い軛め!そいつのせいでぼくの心は
   力も若さも失くしてしまいました。
 とはいえ、女主人の傍らにいると、
   ぼくは幸せを垣間見ることがありました。
 川に沿い、一緒に、夕まぐれ、
   白砂の上を歩いていたとき、
 前方にはポプラの白い幻影があって、
   遠くの方から道をおしえてくれたのですが、
 いまでも目に浮かびます、月明かりを受けて
   あの美しい女体がしなだれてぼくに抱かれたのでした...」


アルフレッド ・ド・ミュッセ ※画像をクリックで拡大
 ミューズにせがまれて、心の傷を癒すため(まるで、カトリック教徒の告解ではないか!)という口実は尤もらしいが、詩の形でのろけていることになる。有名なPaul Demeny宛書簡(1871年5 月15日付)で、詩史を語った末、ランボーがAprès Racine, le jeu moisit. Il a duré deux mille ans.「ラシーヌ以後遊戯にはカビが生えています。それが二千年も続いたのです!」と書くわけだ。

   Les romantiques, qui prouvent si bien que la chanson est si peu souvent l’œuvre,c’est-à-dire la pensée chantée et comprise du chanteur ?
   Car Je est un autre.
 「ロマン派の面々は、歌というものが、作品--すなわち歌い手によって歌われ、そして理解もされる思想--となることが、めったにないことを、ものの見事に立証しています。
 なぜなら、「我」とは一個の他者なのですから」
 こうしてミュッセ流「自伝」を一刀両断したあと、La première étude de l’homme qui veut être poète est sa propre connaissance, entière ; il cherche son âme, il l’inspecte, il la tente, l’apprend.「詩人たらんと志す人間の第一の修行は、自分自身を認識すること、まるごと認識することです。彼は己の魂を探求し、検査し、試練にかけ、識るのです」と続く。ここまでですでに彼の覚悟のほどが伝わってくる。中地氏がいうように、「ランボーが詩に賭けていたものは、言葉によるアクションでありパフォーマンス」なのだ。この成果をもう少し探りたいが、それは宿題にしよう。

 
筆者プロフィールbacknext

【NET NIHON S.A.R.L.】
Copyright (c)NET NIHON.All Rights Reserved
info@mon-paris.info