朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
 
ランボーの詩を読む(5) 2021.12エッセイ・リストbacknext

ポール・ヴェルレーヌ
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  「忘我の船」ばかりにこだわるようだが、第24節に注目したい。突然、言ってみれば、上空を飛ぶドローンから地表を見下ろすような感じに変わる。(和訳は今回も奥本訳にしたがう)  

 Si je désire une eau d’Europe, c’est la flache
 Noire et froide où vers le crépuscule embaumé
 Un enfant accroupi plein de tristesse. lâche
 Un bateau frêle comme un papillon de mai.

 「ただひとつ、このおれが懐かしむヨーロッパの水、
 それは、かぐわしい空気に包まれた夕暮れ時、
 悲しみに満ちた少年がうずくまり、
 五月の蝶さながらの、か弱い小舟をそっと放す、黒く、冷たい森の水溜りだ」

 訳者はflache「森の中の黒く、冷たい水溜り」は、「ランボーの故郷アルデンヌ地方の森によくみられるものだという」と注釈した上で、「この船の経巡ってきた大海は、最後に、森の中の、小さな水溜まりへと収斂する」と解説する。私は一歩すすめて、「悲しみに満ちた少年」に、詩人自身の姿を読みることができるように思う。自画像はいつも一人称であるとは限らない。時に三人称の「自画像」もあるのだ。中地氏のように「幼年期への退行願望」の現れとまでは言わぬが、「忘我の船」という大それた作品を生み出した野心満々の自身を、冷たく突き放して、客体視する意識が働いていると見てよいだろう。
 そもそも、ランボーには勢いよく前人未踏の高みへと上り詰めたとたんに、その反動でもあるかのように、冷笑的に自分を振り返る例がほかにも目につく。典型的な例の一つは、散文詩集Une saison en enfer 『地獄の一季節』のDélires II「錯乱2」 ALCHIMIE DU VERBE「言葉の錬金術」の場合だろう。これは語り手(奥本氏は慎重に「ランボー自身と思われる」と記している)が登場して、L’histoire d’une de mes folies「僕の愚行のひとつを聞いてくれ」という形ではじまる。作者はこの頃まだ二十歳になっていないはず。それなのに、もう短い自分の過去の行動を顧みて、「愚行」と呼んでいる。
 Depuis longtemps je me vantais de posséder tous les paysages possibles , et trouvais dérisoires les célébrités de la peinture et de la poésie moderne.
 「ずっと前から僕は、あらゆる風景を思うがまま、自分のものにしていると自慢してきた。絵画と現代詩のお歴々なんかくだらんと思ってきたんだ」
 Je rêvais croisades, voyages de découvertes dont on n’a pas de relations, républiques sans histoires, guerres de religion étouffées, révolutions de mœurs, déplacements de races et de continents : je croyais à tous les enchantements.
 「空想の中に出てきたのは、十字軍の遠征、報告の途絶えた探検旅行*、歴史のない共和国、圧殺された宗教戦争、風俗の大変革、民族と大陸の移動。面白そうなことはなんでも本気にしたもんだ」(*「見聞談も残らぬ探検旅行」(湯浅博雄訳))
 ここで連発される半過去形は、現在の自分との隔たりを示している。そこに次のような個所が出てくる。前回の「見者の手紙」の修行の結果に触れたものだ。その手紙にはこう書かれていた。
 Le Poète se fait voyant par un long, immense et raisonné dérèglement de tous les sens. Toutes les formes d’amour, de souffrance, de folie ; il cherche lui-même, il épuise en lui tous les poisons, pour n’en garder que les quintessences. Ineffable torture où il a besoin de toute la foi, de toute la force surhumaine, où il devient entre tous le grand malade, le grand criminel, le grand maudit, --- et le suprême Savant ! ---Car il arrive à l’inconnu !
 「「詩人」は、あらゆる感覚の、長期にわたる、広大無辺で、しかも理由のある「錯乱」によって、「見者」(ヴォワイヤン)となるのです。あらゆる形の愛、苦悶、狂気---彼は自らを探求し、己の中にあらゆる毒を汲みつくし、その精髄のみを取るのです。苦痛は言いようのないほどのものであり、全身全霊を込め、超人的な力がなければできないことなのですが、そのようにして彼は、なかんずく偉大な病者、偉大な罪人、偉大な呪われ人となり、---そして至高の「学者」となるのです!---なぜなら、彼は「未知」に到達するからです」
 Il arrive à l‘inconnu, et quand, affolé, il finirait par perdre l’intelligence de ses visions, il les a vues !

ヴェルレーヌによるランボー像。1872年
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 「彼は未知なるものに達し、そして狂乱して、ついに自分のヴィジョンについての知的理解を失ってしまった時、彼はそれを確かに見たのです!」
 こうした「見者の修行」の果てに、ランボーはどこに行きついたか?
 「錯乱2」の語り手はつづける。
 J’inventai la couleur des voyelles ! ---A noir, E blanc, I rouge, O bleu, U vert. ---Je réglai la forme et le mouvement de chaque consonne, et, avec des rythmes instinctifs, je me flattai d’inventer un verbe poétique accessible, un jour ou l’autre, à tous les sens. Je réservais la traduction.
 「僕は母音の色を発明した!---A(アー)は黒、E(ウー)は白、I(イー)は赤、O(オー)は青、U(ユー)は緑だ。―――子音ひとつひとつの形と動きを僕は調整した。そこに本能のリズムを加えて、いずれそのうち、ありとあらゆる感覚に響くような詩の言語を発明するんだと気負っていた。だけど、そいつを翻訳することは留保した」
 これは彼の韻文詩の中でも名作として知られるVoyelles 「母音」を指すと思われるが、批判的な彼の目からすれば、道半ばであり、肝心なところは留保するしかなかったことになる。
 「錯乱2」の愚行の告白はさらに延々とつづく。奥本氏は「時には激しく、時には哀れっぽく、また単に回想するような、すべてを捨てたような、懐かしむような口調で」と評する。「見者の手紙」の意気軒高たる口調と比べると、その反省ぶりは目をみはるばかりだ。
 ところで、これに先立つDélires I ,VIERGE FOLLE「錯乱1,狂える処女(おとめ)」の方はどうか。こちらはL’Epoux infernal「地獄の夫」に呼びかけられた「狂える処女」の告白の形をとっている。もっとも、前者はランボー、後者はVerlaineとし、二人の共同生活の実態が赤裸々に描かれていると見るのは短見で、あくまでも「ありとあらゆる感覚に響くような詩の言語」を追及した文学表現にとどまることを感じ取らねばならないだろう。
 ただ、それを確認した上でいうのだが、この作品の背景が二人の友愛関係であることは疑いない。そのあり様を奥本氏は第一部第六章「パリのランボー、ヴェルレーヌからの招待状」で活写している。詩の難解さに音をあげた読者も、奥本流の軽妙な語りには引きこまれること請け合いだ。

 
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