朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
 
ランボーの詩を読む(6) 2022.1エッセイ・リストbacknext

Baudelaireが描いたJeanne Duval
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  奥本大三郎著『ランボーはなぜ詩を棄てたのか』に導かれて、ランボーの詩を読み進むうち、年をまたいでしまった。これまで、詩をテクストにした時の対処法を探ってきたが、最後に、読みを深めるには、先行する他の作品との繋がりを探ることが肝要で、かつ面白いことを示したい。というのも、ランボーのように、詩の革新を訴え、「現代詩のお歴々なんかくだらんと」豪語した天才でさえ、詩句のあちこちで先人の踏み跡を辿っていることを、奥本氏はつき止め、証明しているからだ。
 目を惹くのは、「言葉の錬金術」に出てくる習作(「後期詩篇」のLarme「涙」にあたる)の場合。(訳は原則的に奥本訳に従う)  

 Loin des oiseaux, des troupeaux, des villageoises,
 Que buvais-je, à genoux dans cette bruyère
 Entourée de tendres bois de noisetiers,
 Dans un brouillard d’après-midi tiède et vert ?

 Que pouvais-je boire dans cette jeune Oise,
 ---Ormeaux sans voix, gazon sans fleurs, ciel couvert !---
 Boire à ces gourdes jaunes, loin de ma case
 Chérie ? Quelque liqueur d’or qui fait suer.

 「鳥たちからも、羊の群れからも、村娘たちからも遠く離れ、
 このイバラの中にしゃがみ込んで、僕は何を飲んでいたのか?
 まわりは柔らかいハシバミの新芽が取り囲み、
 生暖かい、緑がかった午後の霞が立ち込めていた。

 この若いオワーズ川で僕に何が飲めただろう
 ――ニレの若木はざわめきもせず、芝草は花もつけず、空は曇っていた!
 この黄色いひさごから何を飲もうというのか、馴染みの小屋から
 遠く離れて。汗をかかせる少しばかりの黄金の酒か。」

 詩篇はまだ続くが、奥本氏はboire「飲む」、それもgourde「ひさご」から、というあたりに「唐突さ」を感じ、この裏に「何かある」と察した。そして、井上究一郎(Proustの翻訳で名高いが、もともとは近代詩研究が専門)説に導かれるまま、BaudelaireのLa Chevelure「髪」に行きつく。

 Un port retentissant où mon âme peut boire
 A grands flots le parfum, le son et la couleur ;
 Où les vaisseaux, glissant dans l’or et dans la moire,
 Ouvrent leurs vastes bras pour embrasser la gloire
 D’un ciel pur où frémit l’éternelle chaleur.
          <... ...>
 N’es-tu pas l’oasis où je rêve, et la gourde
 Où je hume à longs traits le vin du souvenir ?

 「ひびきの港、そこにぼくの魂は飲む、
 なみなみと、匂い、音、色彩を。
 金とモヘヤの波をすべって行く船舶は、
 ひろい腕を回して、不断の暑気がみなぎる
 澄み切った空の栄光を抱くようだ。
        ---
 髪よ、おまえは僕が夢見るオアシス、思い出の
 酒をじっくりとぼくが汲むひさごではないか?」(井上究一郎訳)

 詩人の呼びかけの対象になった「髪」の持ち主はune jeune mûlatresse 「黒白混血の娘」Jeanne Duval。彼女を熱愛したボードレールはその黒髪を愛撫する時の感覚を様々な比喩をもちいて表現した。同じ趣旨の散文詩Un Hémisphère dans une Chevelure「髪の中の半球」ではrespirer l’odeur de tes cheveux「お前の髪の匂いを吸う」、y ponger tout mon visage「僕の顔をそっくりお前の髪の中に沈める」のような動作の表現に、si tu pouvais savoir tout ce que je vois ! tout ce que je sens ! tout ce que j’entends dans tes cheveux !「お前の髪の中に僕が見るもののすべてを、嗅ぐもののすべてを、聞くもののすべてを、お前が分かってくれたなら!」と内側の興奮を混ぜる。韻文詩の「髪」でいう「飲む」の意味内容はこれらすべてなのだろう。
 奥本氏は他の詩篇も引きながら、創作当時、ボードレールに心酔していたランボーが、この「飲む」の使い方に染まったのではないか、と考える。そして問題の「黄色いひさご」や「黄金」とは、「木々がやっと新芽をつけ始めた春先の、まだ花もつけず、淡い褐色に枯れている芝草のことではないか」と推測する。その上で、「擬人化された若いオワーズ*という女の茶色の髪の毛、あるいは金髪を」連想し、「それを飲もう」というのではないか、と結論する。(*ベルギー領アルデンヌからセーヌ河に注ぐ川)
 この前提に立って、「黒人女性ジャンヌ・デュヴァルの黒髪とそこにある異郷の薫り、砂漠のオアシス、泉の水を汲むひさご...と、イメージの変換がなめらかで、<...>面白いすり替えがある」ボードレールに比べると、ランボーの場合は、「イメージの間をつなぐものがなく、強引で、無理」と疑問を呈する。奥本氏はそこに「言葉の錬金術」に失敗したランボーの苦衷を認めるわけだ。
 興味をそそるのは、奥本氏の探索がこれに止まらず、gourde「ひさご」という語の出所を求めつづけた点だ。これは園亭や塀に這わせる「うり」科の蔓植物ヒョウタンノキのこと。その瓢箪状の実が南仏やイタリアではワインの容器、つまり「ひさご」として愛用された。奥本氏はボードレールが愛読したCharles Robert Maturin(アイルランド生まれのゴシック小説作家)のMelmoth the Wanderer『放浪者メルモス』(1820)に目をつけ、この大作を読んだ末に、主人公メルモス(恋する女性を「砂漠のオアシス」と呼ぶ)の心臓に住みついた「ヒョウタンノキの根を齧り、なおかつ心臓に寄生する蛆虫」にたどりつく。これはそのままLes Fleurs du Mal『悪の華』の1篇L’Ennemi「敵」につながると、氏はいう。


乾燥gourdeでできた携帯ボトル (Larousse Ménager illustréによる)
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 ---O douleur! ô douleur ! Le Temps mange la vie,
 Et l’obscur Ennemi qui nous ronge le cœur
 Du sang que nous perdons croît et se fortifie !

 「--おお苦しみよ!苦しみよ!「時」は命を喰らい、
 我々の心臓を噛む不気味な「敵」が
 我々の失う血を吸って育ち、肥え太るのだ!」

 さらに言えば、「髪」の比喩もまた『放浪者メルモス』に発していたことになる。 詳細は奥本氏の著書にゆずるが、詩を読むこと、それはその謎を解こうとして源を探ることであり、そこにこそ楽しみがあることを、あらためて氏から教えられた思いがする。

 
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