朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
 
「モルグ街の殺人」(2) 2022.3エッセイ・リストbacknext

Galerie de bois (旧Camp des Tartares)
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 前回「passageに関してポーが無知をさらけ出している」と大口を叩いたが、今回はさっそくそれを全面撤回しないまでも、補足し釈明しなければならない。「無知」をさらけ出したのはわたし自身だったのだ。なぜそんな失態が生じたのか。
 そもそも、ポーはpassageには触れていなかったのだ。問題の箇所はthe little alley called Lamartineでしかない。それを見届けずに結論を急いだ自分の迂闊さが恥ずかしい。
  そのalleyだが、Oxford-Hachette French Dictionaryを見ると、①(歩行者用)allée; (乗物用)ruelle ②(公園で)allée とある。ところが、ボードレールはその両語には見向きもせず、前回の繰り返しになるが、le petit passage qu’on nomme le passage Lamartineのように、二度までもpassageという語を使ったばかりか、原作者のパリの地理不案内を脚注で指摘した。わたしはその尻馬に乗ってしまったわけだが、なぜボードレールはこの語にこだわったのか?
 あらためてpassageという単語の意味をTrésor辞典で調べてみよう。これは非常に語義範囲がひろい語だが、一般的な「通路、通り道」の説明II,2 a)の後に、b)[特に]の項があり、その冒頭に、α)Ruelle étroite, parfois couverte, généralement réservée aux piétons, qui sert de dégagement aux rues voisines「狭くて、屋根付きのこともある小路で、総じて歩行者用で、隣接する街路への抜け道になるもの」とある。これこそ、問題のpassageの語義にあたる。「狭い」ということ、「歩行者用」ということはいいとして、気になるのは「屋根付きのこともある」という点だ。ベンヤミンが強調したパリの「パサージュ」、そしてその代表例として前回イラストに採用したPassage des Panoramasは、いずれもgalerie vitrée「ガラス張りのアーケード」になっている。
 ところで、「モルグ街の殺人」の登場人物デュパンと「ぼく」は、どのようにしてこの「小路」に行き当たったのか?いま一度確かめてみよう。原文のあとに、ボードレール訳、丸谷訳を添える。
 We were strolling one night down a long dirty street, in the vicinity of the Palais Royal.
 Une nuit, nous flanions dans une longue rue sale, avoisinant le Palais Royal.
 「ぼくたちはある晩、パレ・ロワイヤルの近くの長い穢い道をぶらついていた」
  この後、互いに無言のまま15分ほど歩いて問題のpassage de Lamartineに来たところで、デユパンが「ぼく」の想念の流れを言い当てることになる。その間、enamored of the night for her own sake, aimer la nuit pour l’amour de la nuit「夜そのものの故に夜に魅了される」というデュパンのbizarrerie, bizarrerie d’humeur「奇癖」をわたしは重視した。それで、ざわついたパサージュのような繁華街を通ったとするプロットはおかしい、と判断した。それで、ポーを「批判」することになってしまった。だが、その原因を作った仏訳者ボードレールは、なぜalleyをことさらpassageと訳したのだろうか?
 察するに、彼は「パレ・ロワイヤルの近く」という記述に注目したのだろう。というのも、パサージュの由来がこの宮殿に密接に関係するからだ。
 C’est le duc d’Orléans, cousin de Louis XVI, qui, pressé par des besoins d’argent, a eu l’idée de lotir le Jardin de son palais, le Palais-Royal, afin de toucher les loyers des boutiques qui s’y installeraient. C’est l’origine de la galerie de bois, ouverte en 1786, dite parfois « Camp des Tartares ».(Alfred Fierro: Histoire et Dictionnaire de Paris)
 「ルイ十六世のいとこであるオルレアン公が、金の必要に迫られ、自分の宮殿、パレ=ロワイヤルの庭園を分譲し、そこに入った店から賃貸料を得ようと考えた。一七八六年に開設され、「カン・デ・タルタール[タタール人の園]とも呼ばれた「ギャルリ・ド・ボワ[木のアーケード]」の始まりである」 ((鹿島茂訳「パリの歴史事典」)
 この「カン・デ・タルタール」には、レストラン、カフェのほか、ポーム(テニスの前身)球戯場やモード店があり、娼婦が立ち並び、現代の「モール」の原型として繁昌した。これに触発されて、大革命後の19世紀パリにはパサージュがつぎつぎに開設されるにいたった。それを見て育ったボードレールが、avoisinant le Palais-Royal「パレ=ロワイヤルに隣接する」という位置関係から、passageを連想したのは無理もない。と同時に、原作者が実在のパリを知らずに書いたことを付記せざるをえなかった、それも頷けるところだろう。
 釈明のつもりが、つい長くなった。先に進む前に、問題の道の舗装についての訳に触れておこう。 一部くり返しになるが、ここでも原文、ボードレール訳、丸谷訳の順で引用する。
 the little alley called Lamartine, which has been paved, by way of experiment, with the overlapping and riveted blocks.
 le petit passage qu’on nomme le passage Lamartine, où l’on vient de faire l’essai du pave de bois, un système de blocs unis et solidement assemblés.

Eugène Sue
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 「あの小路は、実験的に、石板を重ね合せて鋲でとめるやり方で舗装してある」
 「実験的な」という点が注目される。新奇な方法が採用されたのだろうが、それにしても、丸谷訳のような舗装が事実だとすると、騒音がひどすぎはしないか?
 石畳の上を走る馬車のやかましさについては、19世紀パリの暗黒街を描いたEugène Sueの小説Les Mystères de Paris『パリの秘密』にこんな記述がある。pègre「こそ泥」の巣窟la Petite Pologne地区の汚らしさを述べたあげく、こう結ばれている。
 ..il n’y avait pas de rues, mais des ruelles; pas de maisons, mais des masures; pas de pavé, mais un petit tapis de boue et de fumier, ce qui faisait que le bruit des voitures ne vous aurait pas incommodé s’il en avait passé; mais il n’en passait pas.(VIIIe partie, Chapitre IX)
 「道なんてなくて、あるのは路地。家なんてなくて、あるのはあばら家。敷石なんてなくて、あるのは泥と馬糞のカーペット。おかげで、馬車が通ったとしてもやかましいことはない。もっとも、馬車が通るわけがなかったが」(第8部、9章)
 これが当時の状況だったとすると、la Grande encyclopédie, inventaire raisonnée des sciences, des lettres et des arts(1886-1902, H.Lamirault刊)のpavage「舗装」の次の記述がわたしたちを大いに助けてくれる。
 C’est le pavage en pierre qui continue à dominer. Pourtant on lui préfère, dans les voies nouvelles, le pavage en bois, qui est plus roulant, plus silencieux, et qui a pris, depuis quelques années, une extension considérable.
 「いまも支配的なのは石を用いた舗装である。しかし、新規の道路では木のブロックを用いた舗装のほうが好まれている。この方が走行しやすく、静かであるから、ここ数年来、著しく広まっている」
 ポーの原文の意味は今一つはっきりしないが、ボードレールの訳「ここは実験的に木のブロックを揃えて固めた舗装が完成したばかりだった」の方が当時のパリの道路事情にかなっていることはまちがいないだろう。(つづく)
 
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