朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
 
「モルグ街の殺人」(3) 2022.4エッセイ・リストbacknext

「パリの秘密」の表紙
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 前回、「モルグ街の殺人」の舞台となった19世紀前半期のパリの暗黒街を紹介するつもりで『パリの秘密』を引き合いに出したが、自作の後に出たこの新聞小説(1842-1843)の中身を、アメリカに居ながら、当のポー自身も熟知していたようだ。何よりの証拠は、エセーや断章を集めたMarginalia『マルジナリア』の中の「“Mysteries of Paris”を読み終えたところだ」ではじまる小論(グレイアムズ・マガジーン、1846年11月号)である。
 それによると、彼はC.H.Townの英訳で読んだらしい。ただし、この翻訳は「いたって不完全だ」として、ポーは独自の翻訳論を展開する。そもそも、『パリの秘密』は新聞読者向けの連載小説の常として、直接話法の部分がやけに目立つ。それだけに、肝心な人物間のやり取りの訳し方に疑義をはさんだポーの意見は、それなりに面白そうだが、いまは触れない。
   問題にしたいのは、第八部のGringalet et Coupe-en-Deuxを取り上げた部分だ。本題の前に、関係個所の状況を述べておくと、これはla Force監獄*の、なかでも凶悪な囚人を収容したla Fosse-aux-Lions「獅子の穴」という獄舎での出来事だ。人物たちは、たいてい綽名で呼ばれている。Squelette「骸骨」と呼ばれる殺人犯が、囚人の一人をmangeur「密告者」(彼らは「密告する、チクる」という意味でmangerを使う)とにらみ、仲間とともに看守の目を盗んで殺害を企てる。当人を含めた囚人をかき集めようとして、辛味の利いた物語の語り手として評判の高いPique-Vinaigre---『《パリの秘密》の社会史』(小倉孝誠著、新曜社)では「ひりひりするほど酸っぱい酢」という訳語が添えてある---を呼ぶ。
 上記の表題はピック=ヴィネーグルが用意した話の外題。Gringalet(「ちびのやせっぽち」の意)はとびきりひ弱な少年、Coupe-en-Deux(「両断」の意)はd’un coup de hache il avait coupé en deux un petit Savoyard「サヴォワの小児を斧で両断して殺した」という噂の持ち主。前号で述べた悪の巣窟プチット=ポローニュに住むmontreur「見世物師」で、鳥獣や小僧に芸をさせて稼いだ金で酒を喰らう悪党。グランガレは彼に養われ、獣同然に商売道具にされている小僧の一人だ。さて、この両者のあいだに何が起こるのか?
 ポーは語り口のexquisite skill「絶妙な巧さ」に驚嘆する。夕食のために引き上げる時刻が決まっていて、看守は急き立てる。それまでに殺害したいスクレットは焦る。それを察知したピック=ヴィネーグルは話を引き延ばして焦らす。この絡み合いは、読者の関心を次号へ、次号へとつながねばならない作者シューにしてみれば、手腕を発揮する絶好の機会となる。9章にはじまった物語は次の10章Le Triomphe de Gringalet et de Gargousse「グランガレとガルグースの勝利」へとつづき、その間にスリラー小説作りのテクニックが駆使される。Gargousse(「薬莢、弾薬筒」の意)はクップ=アン=ドゥが飼っているサルの名。un grand singe roux…qui était si malin et si méchant qu’on aurait dit qu’il avait le diable dans le ventre「大きな赤毛のサルで、腹の中に悪魔が住んでいそうなほど狡猾で邪悪な奴」だ。
 ところで、グランガレは主の虐待に耐えてきたが、自分が救われる夢に励まされ、その勢いでクップ=アン=ドゥに反抗した。激怒した主は小僧とガルグースを同じ鎖の両端につなぐ。
 « Figurez-vous un grand singe roux à museau noir, grinçant des dents comme un possédé, et se jetant furieux, quasi enragé, sur ce pauvre petit malheureux, qui, ne pouvant pas se défendre, avait été renversé du premier coup et s’était jeté à plat ventre, la face contre terre, pour ne pas être dévisagé. Voyant ça, Gargousse, que son maître aguichait toujours contre l’enfant, monte sur son dos, le prend par le cou et commence à lui mordre au sang le derrière de la tête.(Les Mystères de Paris, présenté par Jean-Louis Bory, Jean-Jacques Pauvert 1963, p.749)
   「想像してごらんな、赤毛で口内が黒い大猿が、悪魔に憑りつかれた人のように歯ぎしりをし、なかば狂気にかられたみたいに激昂して憐れにも悲運の少年に飛びかかったのだよ。子供は身を守ることができず、一撃でなぎ倒され、腹ばいにひっくり返され、顔面を床に伏せて顔を見られまいとする。それを見たガルグースは、飼い主からしつこく子供に向かうように挑発されて、その肩に乗り、首をつかんで、後頭部に血が出るまで噛みついたのさ」
 飼い主はサルに剃刀を持たせ、相手の首をかき切る仕草をみせてサルを扇動した。この後、酒に酔ったクップ=アン=ドゥは床に倒れ まるで俎板の上の鯉のように長々とのびてしまった。
 il (=Gargousse) saute sur lui, s’accroupit sur sa poitrine, d’une de ses pattes lui tend la peau du cou, et de l’autre…crac…il vous lui coupe le sifflet net comme verre…juste comme Coupe-en-Deux lui avait enseigné à le faire sur Gringalet.(p.754)
 「ガルクースは飼い主の体に飛び乗り、胸の上にかがみこみ、片方の足で首の皮を引っ張りあげ、もう片方の足で…ガラスのようにスパッと、喉笛をかき切っちまった、クップ=アン=ドゥがグランガレに対してやるように教えてくれた通りに」
 ピック・ヴィネーグルが話し出す前に、作者は読者に呼びかけ、極悪非道の囚人たちの多くは、 虐げられた者が抑圧者に復讐する純朴な物語を好むものだと書いていた。その通り、弱者グランガレの勝利を知った囚人たちは、喝采してこの結末を歓迎する。これを見ていると、ポーが、このパセティックな話に欠点があるとすれば、聞き手の同情を買おうとする作意がa little transparent「少々見え透いている」点だと評したのは頷けるところだ。そもそも、クップ=アン=ドゥという綽名は出来すぎではなかったか。

グランガレの勝利
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 ところで、この「グランガレとクップ=アン=ドゥ」にポーが驚きの目をみはった理由はもう一つあった。上記のように、この話の目玉はサルなのだが、それは「モルグ街の殺人」から示唆をうけたものだ、とポーが受け止めたからだ。
 ポーの作品の発表は1841年4月、それに対して『パリの秘密』第八部の連載は1843年6月。 ボードレールの仏訳刊行はポーの死後のことだから問題外だが、その前にパリには紹介されていた。ポーは抜かりなく、パリのCharivari紙---1832年、共和派の風刺新聞として創刊、1937年まで続いた---が「数年前(1846年から顧みて)、註付きでコピーを載せ、モルグ街がパリには存在しないと異議を唱えた、と述べている。この記述を信じるなら、前記の『《パリの秘密》の社会史』のように「シューが『モルグ街の殺人』を読んだ形跡はない」(156頁)として、シューのplagiarising「剽窃」疑惑を否定するのは如何なものか。とはいえ、「殺人が発覚した場合、サルの仕業として言い逃れる」という発想は、デュパン的な頭脳の持ち主ならともかく、酔っ払いのクップ=アン=ドゥにはふさわしくない。この悪党はサルによる処刑の見物を酒の肴にしたかっただけではないのか。
 要するに、シューが「モルグ街の殺人」のアイデアを盗んだと考えるよりは、ポー自身が最後に書いているようにThe similarity may have been entirely accidental.「二つの話が似て居るのは、全く偶然なのかも知れない」(吉田健一訳)と結論する方がよさそうだ。
 

 *la Force牢獄:パリのマレー地区に1845年まで実在した。余談だが、高名な翻訳家、吉田健一は「「力」という作品の中で」と訳して、『パリの秘密』に関する無知をさらけだしている。翻訳者の辛さをあらためて痛感する。

 
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