パリで活躍する素敵な方々にインタビューし、それぞれの「モンパリ」をお聞きします。



セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
「パリは私を放っておいてくれる街」 
2004.01
 ■ 平沢淑子(ひらさわ よしこ) Interview つづき
「抽象画のほかに、ポートレートもいくつか描いていらっしゃいますね。」

ポートレートを描くのは油絵で大作に挑む緊張感とは別の、実に楽しい作業よ。その人との思い出も心に刻むことができますし。
ある日、私の支持者の一人でシュールレアリズム系の高名な詩人、マンディアルグ氏にお食事に誘われました。氏のお友達の「ロチルド氏」(フランス語の発音だったから、かの有名なロスチャイルド氏とは思わず)という、とてもチャーミングなおじ様も同席されていて、楽しく時を過ごしました。後に、ロチルドさんから、ピンクの封筒に詩をしたためた「ポートレートを描いて欲しい」というお手紙を3度も頂き、とうとう描く決心をしたのです。お手紙の名前のつづりを見て、初めて、あのロスチャイルドさんだと解った次第です。
ポートレートを描きにお宅に伺うと、ルーブルで見覚えのある有名な絵が壁にかかっていました。「お上手ですね、どなたが模写なさったのですか?」と世間知らずの私の質問に、ニヤッと笑って、「僕が美術館に貸し出しているのだよ」って。そのチャーミングな笑顔が忘れられません。
気に入った作品ができたら、ぜひこの方のコレクションに入れてもらいたい、そう願って2年後の個展を開いた時には、フィリップ・ロスチャイルド氏は他界されていた事が、残念でなりません。


画集「Yoshiko」より
「Baron Phillipe de Rothschild」
「画家として評価を受け、一番忙しくなってきた'78年に一人娘の菜月さんがお生まれになったのですね。制約された時間の中で、絵と子育てをどのように両立されたのですか?」

描いている時は、何も聞こえず、何も見えず、ただ集中して無心になっています。だから、立ち入り禁止のアトリエのガラス戸の向こうで、私をじっと見つめる菜月の瞳になかなか気づいてあげることができなかった。苦心の末に菜月が思いついた、母親とのコミュニケーションの方法は、覚えたての文字で書いた「invitation(招待状)」。そしてメニュー〜ショコラ〜パン〜とあって・・・。
それを見たときには涙がでた・・・。
でも、娘がいたから、頑張れた。子育ては、嬉しかったことも、辛かったことも含めて、こんなに感動的なことはありませんから。

「いろいろな国で個展をなさっていますが・・・」

私の作品は大きいものが多くて、搬入,搬出も大変だし、辞書と首っ引きでいろいろ書類も作らなければならないし。そういう仕事に追われることもありますけれど。でも、絵を描くだけでなく、やはり、皆様に見ていただいて、そこからまた新しい喜びもあるんですよ。先日のジュネーブでの個展の時にも、チリーの方が、「アメリカの西海岸に住んでいる私の妹が、“緑の光”を見たことがある」って話し掛けてくださって。


エジプト・カイロでの個展パンフレット

「平沢さんを一言で言い表すことはできません。
才能に恵まれたアーティストであり、現実を見据えたレアリスト。
優しくてチャーミングな母親。しかしその細い身体で、大きなキャンバスにエネルギッシュに世界を描いています。」

「日本にはあまりお帰りにならないのですか?」
そうね、あまり。でも、年老いた両親がおりますから。そろそろまた日本で個展ができたらいいなあ、と思っています。

「パリのどんな所が魅力的ですか?」
パリは私を放っておいてくれる。
私にとって、絵を描くことは、神様から与えられたご褒美、それを思いっきりさせてくれたのがパリです。
誰にでも育てるものは自分の中にあるはずよ。神様のご褒美が。

≪自由と責任を与えてくれる街、パリにたどり着いた彼女は、この地で自分を解き放ち、自分自身を育て続けている≫
平沢淑子さんとお会いし、また改めて自分の生き方を見つめなおすことにもなりました。お別れした後の夕暮れのセーヌの岸辺の空気の気持ちよかったこと!
(「2003年12月 パリ左岸、ビストロ マザリンにて」)
平沢淑子さんのホームページ


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