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■ Interview |
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「パリにたどりついたきっかけをお聞かせいただけますか?」
それは、NHKでアナウンサーをして5年目、パリ憧れ族の企画した団体旅行に参加したのがきっかけです。それも、安いチケットが1枚だけあまっているからという誘いに軽い気持ちで便乗したのね。私もパリ憧れ族の一人だったのかもしれない。独文を専攻していた大学時代、隣の仏文のクラスにあこがれていました。やっぱりフランスの方が素敵でしょ?ドイツ哲学の硬いのよりは、優雅で…。
それで、パリに来て、「なんて自由な所なんだろう」って、居心地のよさを感じました。
それはね、毎日時計に追いかけられて仕事をして、周りから表面だけをちやほやされて、後は良いお婿さんを探して、定年まで勤める、、、なんて人生が目の前にあったわけですけど、いかに窮屈な生活をしているか、気がついてしまったのね。
翌年、NHKを辞めて、パリに来てしてしまいました。
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画集「Yoshiko」より
NHKアナウンサーとして活躍する平沢さん |
「最初から画家になろうと思われてパリに住み始めたのですか?」
絵を描くことは昔から好きで、学生時代に近所の子供達を教えていたこともあります。描けちゃうから、特にそれまで勉強したり、職業にしたりしようとは思わなかったのね。
でも、パリに住み始めてからは、ルーブルで模写をして、セーヌ川沿いの古本屋でデッサンを買いあさって、とにかく絵を描きました。
退職金も、東京の貯金も使い果たし、貧乏をしたけれど、パリは、日本と違い誰も服装が汚いからって、何をしているからって、干渉されることはありません。どんなボロを着てても平気、絵描きはその方が本物っぽいでしょう?
もう一つの苦労と言えば言葉。ウイ、ノンもわからずパリに来ちゃったの。語学学校にも少し行ったけれど、先生の言っている事がわからず続かなかった。NHK時代言葉に縛られていたから、かえって言葉のない生活が新鮮で、ね。日常生活では、「わからない」って怒るフランス人もいたけど、困った時は絵を書いて伝えたこともありました。
貧乏な生活でも、絵を描く時間を割いてアルバイトなどをすることはできなかったから、とにかく、描きたくて描きたくて、描くために展覧会に応募していました。
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パリ13区のアトリエにて |
「その努力の結果、'77年にフランス文化庁後援の賞を受賞され、個展を開かれるようになったのですね。」
運が良かったのよ。個展をした画廊が、シュールレアリズムの創始者アンドレ・ブルトンにちなんだ画廊だったので、高名な方々に出会い、支えられることになりました。その後、日本の専門家にも認められ、日本での展覧会も実現したのです。
「『誰の絵にも似ていない』と批評家が書いているように、平沢さんの絵は、絵の素人から見ても、哲学的であり、数学的でもあり、神秘的でもあり、さらにちゃめっ気を覗かせる作品もあるようですね。いわゆるアーティストに思いのままに描かれた絵ではなく、深い思考と探求、研究、計算の末に描かれているようですが、どのように勉強なさっているのですか?」
アインシュタインの言葉で、「私は多くの神秘体験をしたが、悲しいかな、私には数学しかできなかった。多くの真理はアーティストにゆだねられている」というのがあります。
きれいで心地よいものを描くのは簡単、でも「美」とは真理であり、無我の境地であたえられるもの。かの有名なレオナル・ド・ダビンチも数学者のパートナーがいたからこそ、素晴らしい作品を残したのだと言われています。数学者や哲学者と話すのは大好き。なぜなら、私が絵を描きながら深い思考の末に発見した現象や真理を理論づけてくれるからです。 |
画集より「Rayon vert」 現在、自然界に実現する緑の光線を追いかけている。
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