ナントの町から、フラメンコ舞踊家“銀翼のカモメさん”からのお国便り。



セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
第一話
ノワールムティエ(Noirmoutier)島の塩田
2004.11
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 私は、西フランスのナント(Nantes)市(ロワール・アトランティック= Loire-Atlantique県)に、フラメンコ・スタジオを創り、フランス人ギタリストの夫 とともに、フラメンコ舞踊とギターの教授活動を行ってきましたが、異文化・多民族の挟間で、かなりアグレッシヴに展開していく毎日は、信じ難い程の紆余曲折に満ちていました。

 教え始めた当初は、ウィークデーに来られない人のために、土曜の午後のクラスを設定してみました。秋から冬にかけては、新学期早々ということもあって、結構、まじめに通ってくる人々で、それなりの活気に溢れていました。その後も、クリスマスに食べ過ぎたショコラなどによって蓄積した、余分な体重を落としたいという人々で、クラスは続いていきました。しかし、復活祭のヴァカンスが明け、マロニエの花が咲き誇り、春が初夏に移行していく頃になると、一人、また一人と、参加者が減り始めたのです。私にとっては、気持ちのいい汗をかいて、楽しい練習時間を過ごすことの出来る、最高の季節ですから、どうして人数が減っていくのか、さっぱりわかりません。しかし、急な雨降りに見舞われた、ある週末、先週までサボっていた人達が一遍に、レッスンに戻ってきたのです。しかも、すでに初夏の太陽をたっぷりと浴びたらしい彼女達の肌は、小麦色に日焼けしていました。その時、私は、やっと気がつきました。ここは、車で45分もあれば、大西洋に出られるナントなのだ、ということを…。ここでは、太陽がきらきらと降り注ぐ季節の土曜日に、ダンス・スタジオに閉じこもって、練習する人などいないのでした。ただでさえも、ヨーロッパの冬は長くて、空は灰色に塗り込められ、太平洋側の日本のように、カラッと晴れ上がる日は滅多にないのです。だから、初夏になったら、海に近い地方の人間は、一目散に、海岸線に向けて車を走らせるのでした。


  そういうことか…!一応、わかってはみたものの、尚も半信半疑の私を、ギタリスト、兼、運転手の夫は、ある晴れた日曜日、シトロエン(Citroen)74年型アミ・ユイット(AMI8)という、クラシック・カーみたいな愛用車に私を押し込んで、海方面に発進しました。すると、海に着くずっと以前に、それは、明快な真理として、私の頭上に落ちてきたのです。ナントを出て、10分も走らないうちに、幹線道路は凄い渋滞でした。どの車も海に出かけるという喜びではちきれんばかりに膨らんでみえました。こういうことなのだ、こういう土地柄なのだ、こういう所で、自分だけ、生真面目な日本人的気質にしたがってレッスンしていても、何の埒もあかない…、それは、異次元世界の真理でした。こうして、次の年からは、土曜の午後のレッスンはなくなりました。そして、私達も、太陽を浴びることの出来る土曜の午後は、季節の別なく、海方面に出かけるようになっていったのです。

  その海方面で、特に、私の気に入ったのは、ナントから車で、西南西に走ること約1時間15分のところにある、ノワールムティエという島(ヴァンデ = Vendee県)でした。本土とは橋で繋がっていますが、干潮時には、遠浅のため、「海はどこに行ったの?」と思うほど水が引いて、車でも渡れる、海中の道 = ゴワ街道( le Passage du Gois)が現れてくるのです。干満の時刻は毎日、変化しているので、島内のあちこちに、その日、この道を渡れる時刻をしるした看板が立っています。

  ノワールムティエ島では、フランス本土とは異なる植物体系(それは、日本で、よく見かける植物でした)があるようで、木々の緑や花の色彩が、鮮やかなグラデーションを創っています。そして、大西洋のブルーを背景にして建つ、家々の白壁には、碧いペンキでたっぷりと塗られた雨戸や扉が、思い切ったコントラストの妙を見せ、それらすべてが、強いのに、何故かやさしい陽光に包まれて、本土には存在しない、まろやかな空気を醸造している感じです。そして、デューヌ(dunes)という、美しい響きの言葉で語られる、儚いベージュ色の砂丘が続き、自然の沼地をそのまま利用した塩田があり、傍らの草原には、馬やロバが放牧されています。そんな馬達も何故か、皆、ちょっと塩が吹いたように、白茶けた色をしています。牡蠣を初めとする、いろいろな貝類の養殖場が広がり、この島で採れる新ジャガも名産です。ボール紙に《塩》、《牡蠣》、《ジャガイモ》と書いただけの売店の看板が、道端に無造作に立っています。そして、本土方面を示す道路標識には、《Continent = 大陸》と書かれているのです。島の人々はやっぱり、自分達が島の人間であることを、誇りに思っているみたいでした。

  不思議なことに私は、この島にいると、何だか地に足が着いた感じがして、何かが妙にしっくりとしているのに気がつきました。それはもしかすると、自分が本来、極東の島の人間であるからかも知れません。
大陸を覆っている硬質、無機質な空気とは明らかに違う、どこか柔らかい空気が、日本のあちこちに生えている幼馴染のような植物達の、懐かしい色とともに、ふんわりと私を包んでいました。その時、自分がやっぱり島の人間であるということを、私は、体の奥底から知ったのです。日本という、自分の島の中にいては感じ得ない、この特殊な感覚を西フランスの小さな島の、素朴な土の上で感じたのです。その単純にして、確固たる感覚が、薄緑色をした春先の風のように、首筋を撫でていくのは、思いがけなく嬉しい確信でした。この、ちょっと人のいい土の香りに、私は、甘えたくなりました。それは、自分の故郷に還ったような、一種、原始的な感覚でした。あたかも、このノワールムティエ 島を、私が、ずっと以前から知っていたような気持ちです。

  この島には、塩田があります。もともと海水の入り込んでいる、自然の沼地を利用して、海水を粘土質の土で作った迷路のような塩田に引き込み、その迷路の中で、徐々に水を蒸発させて、塩を採取する方法です。舌に馴染む、柔らかい塩が収穫されます。太平洋の塩とは違う味で、地中海の辛さもありません。この頃は、天然塩がブームなので、海藻のみじん切りや、いろいろなハーブを混ぜた塩も売っています。そんなブレンド塩を、炊き立てのご飯にかけるだけでも、大西洋の香りがテーブルいっぱいに広がる御馳走です。こういう塩田で採れる塩を混ぜた、普通より少し辛目のドゥミ・セル(demi-sel)というバターは、(日本人にとっての醤油と同じくらい)西フランスの人々には欠かせない食料品で、特に海の幸(fruits de mer)を食べる時は、必ず、パンにドゥミ・セルです。

le Passage du Gois の干潮時刻を示した看板


2.干潮時、海はすっかり姿を消して、海中の道は乾ききっている。 海のない地方の人は、満潮がどういうものか知らないらしく、毎年、満潮時に、逃げ遅れる車があって、遭難する人もいるらしい。
真っ白い十字架が、何とも言えない感じ。



Noirmoutier 島の形を示した道路標識


上の写真で、すっかり乾いている、海中の道が 満潮時、見事に海に飲まれてしまった映像。
この標識の向こうが、昼間、車で渡った道。

ノワールムティエの塩
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  もう一つ、この島には、牡蠣の養殖場が沢山あります。牡蠣は、大きさによって値段がついていますが、大きさを区別する機械にかけられない、歪な形の牡蠣は、(こういう直販店では)大きくてもずっと安く売られています。そういう牡蠣を、一生懸命こじ開けて、まず、深いほうの貝殻にいっぱいの海水を飲み、「大西洋は飲み応えがある!」と思ってから、たっぷりとヴォリュームのある貝の歯応えを確かめるのは、至福の瞬間です。一度に沢山のミネラルが、体中にゆきわたるような感じです。

  大西洋の波の音に耳を傾け、白壁と碧い扉を背景に、ノワールムティエ島の自然が創り出した、美味な贈りものを並べてみるだけで、とても幸せです。それは、<丸齧り〉の似合うグルメです。そういう時、自分が座っている砂丘の感触がとてもやさしくて、砂粒の一つ一つと、会話ができているような感じがしてきます。そして少しだけ、地球と友達になれたような気がしてくるのです。いつまでもずっと座っていたい、一筆書きのようにシンプルで、でも味わい深い素敵な時間です。

  そんな時間の存在に気づくことが出来たのも、《天気のいい週末には、海方面に出かけよう!》という、簡単なのに、いい習慣を学んだからに他ありません。
それぞれの土地には、それぞれの文化を造ってきた人々が住んでいます。
彼らは、それぞれの土地柄にあった、生活のリズムを持っているようです。
そういう、私達にとっては未知のリズムを、時々、少しだけ、真似してみるのは大事なことのようです。自分達だけの概念や行動様式では、どうしても行き詰まってしまうことは、しばしばあります。そんな時、全く違うリズムで、
人生を演奏してみたら、思いがけない活路が開けることもあるかも知れないからです。

  皆さんも是非、ノワールムティエ島に出かけてみてください。そして、先ず、この島の塩と牡蠣、そして、出来たら新ジャガも味わってみてください。〈島〉というのは、やさしい空間です。

砂丘から見える大西洋

この島、独特の、白壁に華やかなペンキの家々


ノワールムティエの塩(セル・ファン) モンパリお買物倶楽部で好評発売中


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