ナントの町から、フラメンコ舞踊家“銀翼のカモメさん”からのお国便り。



セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
第二話
桟橋のある街、トロントムー(Trentemoult)
2005.01
エッセイ・リストbacknext
 ナント(Nantes)の中心街から、ロワール(La Loire)川を挟んで対岸のルゼ(Reze)市に、トロントムー(Trentemoult)という地区があります。ここは、ロワールに面した細長く、極小規模な地域ですが、civelleと呼ばれる、鰻の稚魚(=シラス鰻)を獲る小型漁船がいくつも浮かび(それぞれの船主の魚場が決まっているそうです)、印象派の画家達が描いたような波止場には、何隻ものヨットが繋留されています。そして、一歩踏み込んだ途端に、しばしば、港のある街を吹き抜けていくような青い風が、私達を不思議な次元の空間に誘っていきます。細い道は迷路のように入り組み、家々は、思い思いの華やかなペンキで彩られ、ちょうど、〈フランスがアフリカを植民統治していた時代の港町〉という、映画のセットの中にいるような感覚に陥ってしまうのです。ナントと、その周辺の街は、ロワール川がその大きな河口に形成したデルタ地帯にありますから、このトロントムーでも潮の満ち干はロワールの水位に大きく影響し、満ち潮の時は川が逆流しているようにさえ見え、一方、引き潮の時は、水位がどんどん下がり、川床を覆っている、チャコールグレーの堆積が見えてきます。それは、濡れて重そうな粘土質の泥で、さっきまで浮かんでいたヨットも、その泥の上に乗っかると、次第にマストを斜めにしながら、横倒しになっていきます。潮位がロワールの様相を一転させるので、この辺りから大西洋に向かって下っていくには、必ず、干満の時刻を考慮しなければ、航行できないそうです。そして風向きによっては、大西洋の潮の香りが、そこここに浮遊しているトロントムーの街並には、佇む白鷺のしなやかな首筋や、飛翔する鴎の翼の影が、本当によく似合っているのです。

 ところでフランスは、17世紀に西インド諸島に植民地を開き、18世紀に入ると、大西洋広域に展開されていった奴隷貿易で、イギリス、オランダと並んで巨万の富を築いていきました。これは、〈三角貿易〉という手段によるものでしたが、詳しくは、また別のお話の中で取り上げたいので、ここでは、ナントの商人達も、御多分に漏れず、貪欲な奴隷貿易に参画していった、ということにとどめておきます。そして、この植民地時代の形跡は、ナントの街にもいろいろな形で残っています。たとえば、トロントムーと目と鼻の先にある、ロワール川の中洲=ボーリュー(Beaulieu)島には、今でも操業している砂糖の精製工場(かつては、植民地で採れたサトウキビを精製した)があり、昔、バナナの倉庫だった建物も残っているそうです。こういう大航海時代の、大海に向けて船出していった気運や、自由や冒険を求めて水平線の向こうに乗り出して行った、血沸き肉躍るような空気の片鱗が、今でも、トロントムーには流れているのでしょう。隣接する地域とは全く異なる、17世紀以来の自由な風の匂いが、この地区特有の迷路の隅々にまで染み付いていて、おおらかで、やさしい、どこか丸みを帯びた空気が、それぞれの迷路をふうわりと包み込み、その奥まった突き当りには、小さな広場が隠れていたりします。それらの広場は、たいてい、伸び放題の枝葉に溢れる、赤紫やローズ色の花で彩られ、三輪車が転がっていたり、錆びた風見鶏が、忘れられたように立っていたり・・・。
天気のいい日には、あきれるような原色に塗られた家々の壁、様々な植物の緑と花の共演、それらを抱く迷路の石畳・・・、そういうものすべてに、明るい陽光が降り注ぎ、まるで、もっと南の、地中海を臨む街にいるような気持ちにもなってくるのです。そして、奥まった広場から、別の迷路に抜けていくと、また別の広場に突き当たります。もと来た道を戻ろうとしても、どうしても、未知の迷路に入り込んでしまうのです。やっとのことで、ちょっと広い道を見つけて、この一角の外側に出てみると、アリスの不思議な国から、帰ってきたみたいな気がしてきます。外側の世界では、何かが、至極、普通過ぎるのです。そして、その物足りなさに、もう一回、小さな迷路に入り込んでみると、また、あの懐かしく、甘やかな空気が、あっと言う間に、私達を包み込んでいきます。それは、自由というものが醸す魅惑の香なのでしょうか?冒険という言葉に秘められた、憧憬の薫りなのでしょうか?いずれにしても、一度、その馨しさに魅せられてしまうと、それ以外のものが、すっかり色褪せて見える、そんな、〈あたりまえの大人になりたくなかった大人達の遊び心〉みたいなものが、トロントムーには、ひたひたと流れているのです。

  さて、この辺で、シラス鰻の話に戻りましょうか?50年ほど前は、食べきれないほどの鰻の稚魚が獲れ、家畜の飼料にまでなっていたそうですが、今は、その希少価値から、かなりの高級品になってしまいました。料理の方法は、2種類あり、バターでさっと炒め、ciboulette(=アサツキ)などの薬味を加えるのと、茹でてから、echalotte(=小タマネギ)など、好みのハーブを効かせたvinaigrette(=ドレッシング)で和えるのだそうです。そして勿論、この地方の白ワイン、ムスカデ(Musadet)やグロ・プラン(Gros Plant)が、鰻の稚魚のデリケートな風味のお供をします。ロワール川のほかにも、ボルドー(Bordeaux)を抱くジロンド(La Gironde)川の河口や、フランス、スペイン双方のバスク(Basque)地方の川でも、鰻の稚魚は獲れるそうで、きっと、それぞれの土地の気候とワインと料理の妙技が、テーブルいっぱいの芸術を創っているのでしょう。しかし、どうしようもなく暑い東京の夏に食した、大井川の天然鰻の蒲焼には、やはり、かなりの説得力があると思ったりもしています。そうこうしているうちに、もう、あの艶々したたれの、たっぷりとした香や、鰻の身を崩さないように、指先でまわしながら、そっと串を抜く時の手首の感覚などが、リアルに戻ってきてしまいます。そして、日本の食の文化も、本当に、日本の気候から生まれてきたのだなあと、改めて、感心したりもするのです。

 ロワールを臨む、トロントムーの街角で、幽かな潮風に吹かれながら、日本の鰻のたれの色が鮮やかに蘇ってくるというのは、ちょっと面白くて、懐かしい感覚でした。そういう、爽やかに煙るノスタルジーに、自分のアイデンティティーを、さらりと再確認できる瞬間があります。私は、そういう、明確で、重さのない時間が大好きです。そして、次の瞬間、トロントムーという土地を、もっと自由に感受できそうな気もしてきました。そんな、自分のアイデンティティーとの、思いがけない再会を繰り返しながら、人間は、常に、自分の周囲の世界との邂逅を積み重ねていくのではないでしょうか?

旧い港町を吹きすぎていく風には、今日も、青い冒険の匂いがしています。

『桟橋のある街、Trentemoult』へのアクセスは...
パリ(Paris), モンパルナス(Monparnasse)駅から、ル・クロワジック(Le Croisic)方面行きのTGVでル・マン(Le Man)、アンジェ(Angers)を経て、 2時間10分程度で、ナント(Nantes)に着く。
ナント駅南口から、市バス31番が30分くらいで終点のトロントムー(Trentemoult)まで連れて行ってくれる。
華やかなペンキで思い思いに彩られたTrentemoult風の家々




迷路の奥の広場にポツンと立っている風見鶏


ドラム缶を青く塗った大型の植木鉢に、 Trentemoultの住民達が植えたい植物を持ってきては 自由に植えていく、共同ガーデン 。


迷路のように細い道が入り組んでいるTrentemoultには イタリアの小道にぴったりの、FIAT500がよく似合う
 
筆者プロフィールbacknext

【net@nihon.sa】
Copyright (c)2002 NET@NIHON.All Rights Reserved
info@mon-paris.info