ナントの町から、フラメンコ舞踊家“銀翼のカモメさん”からのお国便り。



セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
第八話
枯葉降る、石畳
**後編**
2006.02
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(前編からつづく)
  そして、もっと紅く、もっと濃く、秋に炎と化す植物がある。石壁を這(は)う、蔦(ツタ)である。ナントの街角では、あちらこちらに、蔦の蔓(つる)が巨大な蛇のようにとぐろを巻いている石壁が見られる。その、激しく燃え盛るような紅葉は、恰(あたか)も、「出口なし」の状況の中で、避けがたい終末に向かって、音をたてて崩壊しながら突き進んでいく、ギリシャ悲劇の様相を呈している(少なくとも、私には、そう見える)。石のブロックを積み上げて造った古い壁は、何世紀もの間、じっとそこに佇(たたず)んできた筈である。が、その、時空を遙かに超えた、辛抱強い石壁の想いなど、全く無視するかのように、大きくて、プラスチックの造花のように厚みのある蔦の葉が、執拗なまでに、強く、紅く、艶々と、石の肌を燃え上がらせている。石壁が、ここに積み上げられてからずっと、蔦は、その生命力の限りを尽くして、深く深く根を生やし、長く長く蔓を伸ばして、壁の前を通り過ぎる人間達を眺めてきたのだろう。春から夏へ、秋から冬へという季節の輪廻が、果てしもなく繰り返されている、無数の日々の連なりの中で、人間達は、何回となく戦いを繰り返し、ものを構築しては、破壊してきた。その古来征戦の歴史を、じっと佇むことだけで耐え忍んできた石壁には、毎年、春になると、蔦が緑に生い茂り、無限の生気、滴(したた)り落ちるような夏という季節を浴びて、征服者の如く君臨する。そして、空気が透き通り、秋色深まる11月、厚い緑は、少しずつ、紅みを帯び、やがて、葡萄の美酒に酔ったような、紫紅に染まっていく。いつの世も戦いを繰り返し、殺戮をやめない人間の歴史を、じっと見つめ続けてきた壁が、蔦の炎に舐(な)め尽くされ、その年の人間達の業(ごう)というものすべてを焼き尽くしてしまうかのような、狂気の紅(くれない)の中で絶叫する時、一年という歳月が熔けて、流れる。毎年繰り返される、石壁炎上の図を、金糸銀糸で織り終える時、煩悩の蒸気が天昇していくのだろうか? そして、冬はもう、そこまで来ている。やがて、その紫紅から、熱い色素が抜けて、くすんだ、力のない茶色だけが残った時、ゆっくりと、静かに、新しい年が明けていく。こうして毎年、人間達は年を重ね、人間の歴史にも、また、新しいページが加わっていく。日本の蔦の葉より、ずっと大きくて、したたかそうな西洋の蔦の葉の、痛いほどアグレッシブな紅葉を見ていると、大陸の中で、何回も民族の移動を繰り返し、隣り合ういくつもの国々が、国境ラインを奪い合い、死守してきた、ヨーロッパというものに思い至った。その、果てしない持久戦は、残酷なほど純粋な、力と力のぶつかり合いに違いない。太平洋に浮かぶ、無数の島々によって形成される日本列島は、どんなに世の中が物騒になっても、陸地の面積を凌ぐほどに広い、碧い青い領海が、その国境を守ってくれているのである。だから、馬鹿馬鹿しいまでの自己主張をしなくても、何となく、みんなで、平らに平らに生きてきても、日本という国土は、存在し得てきたのである。こんな日欧比較を、ついしてしまいたくなるほど、フランスの蔦の葉は、厚くて、存在感に満ちていた。

  確かに、蔦に限らず、フランスの植物は、だいたいの場合、日本の同じ植物より、花も葉も大きく出来ている。たとえば、フランスのアザレアは、驚くほど派手で、大きくて甘すぎるケーキのように、フリルの沢山寄った八重の花弁で咲き乱れる。もともとは、1850年頃に、日本や中国から、ヨーロッパに渡った躑躅(ツツジ)や五月(サツキ)が、その原種で、温室栽培用に品種改良されたものだそうだが、円(まろ)やかに削られた、小さな石灯籠や、素朴な顔をしたお地蔵さんと並んで、庭の景色に紅を添えてくれるような原種とは、遠くかけ離れてしまっている。そして、椿の花も、オペラの『椿姫』そのもののように、大輪で華やかで、花弁も沢山ある。一輪挿しに出来るような、ひっそりと咲く椿とは、根本的に異なっており、とても同じ範疇に入る花とは思えない。だから、紅葉していく木々の姿、落葉の舞い方さえも、フランスと日本では、何かが違うのかも知れない。フランスの石畳は、油彩の絵の具を置くように、肉厚の落ち葉で彩られ、感情の起伏が踊っている。そして、日本の街路に描き出されるのは、日本画のように音を飲み込んだ空間であり、そこには、秋の佇まいが満ちている。

 ところで、何千種類もあるという日本の椿には、洒落た、文学的名前がついている。侘助を初めとし、太郎冠者、紺屋小町、紅唐子、式部、故紫衣、緋縮緬、黄泉(よみ)の銀花など、小さな、赤い花を咲かせる木だけでも、美しい響きの、やさしい名前が並んでいる。花を愛でるという楽しみを、よりいっそう追求するために、楽しみながら考え、考え出すことを、また楽しみ、おそらく、茶道の発展とも相まって、凝りに凝った名前が編み出されていったのだろう。私は、こういう、日本特有の繊細な心遣いや、微妙な匙加減、そして、自分なりに、新しい表現を創りだしていける可能性、というものを、心から愛し、大事に思っている。日本語という言語が、そういう言葉遊びの可能性を、ふんだんに秘めていることを、非常に嬉しく思う。何かを伝達するのに、個人的な、独特の表現が出来なかったら、どんなに無味乾燥だろうか? それは、ちょうど、菜箸で調理した方が、食材にも傷がつかないし、指の延長のようなお箸を使ったほうが、フォークより食べやすくて、味もよくわかるのと似ている。もし、自分の庭の、赤と白の椿の間に、ある年、新しい絞りの花が咲いたなら、私も、その椿を愛でるために、何か、珍しい名前を考えたいと思うだろう。それぞれの風土と気候が、それに適応した植物を育み、その自然環境が、そこに住む人々のメンタリティーを形成し、その国の言語や文化を生み出していく。おそらく、日仏の間で比較され得る、すべての相違の原点は、マリアナ海溝の少し手前まで続く、限りなく碧い領海にぽっかりと浮かび、夏は国中、亜熱帯のような日本列島と、沢山の国が、ぎしぎしと肩をぶつけあい、冬は厳寒の大陸という、双方の、両極端な気候風土に、深く起因帰着しているのではないだろうか?と、考えてみた。

 さて、東京の御茶ノ水から、アテネ・フランセのほうに向かう通り(文化服装学園のある)では、マロニエが街路樹になっている。昨年秋、マロニエ散る御茶ノ水を、夫と歩いてみて、初めて気がついた面白い現象は、日本のマロニエの葉が、フランスのより、ずっと大きいということだった。なにしろ、夫の28cmのスニーカーと同じ位の形と大きさなのである。日本のように、夏は熱帯雨林のようになる地域に、マロニエを植樹すると、バナナの葉のように、どんどん育ってしまうのだろうか?御茶ノ水のマロニエだけを見ている時は、何とも思わなかったが、フランスのマロニエと比べてみると、本当に大きい。かなり、トロピカルな感じである。東京に植えられている間に、遺伝子が変化したのだろうか?こんなマロニエの下を歩いていると、『秋の日の、ヴィオロンの溜息』も、身に沁みないし、ひたぶるにうら悲しくもないかも知れない。やはり、それぞれの土地と気候に適応した植物が、その土地特有の〈季節〉というパレットに、在るべき絵の具を絞り出し、それぞれの四季を演出していくのだろう。北緯47度の、大西洋に臨む海岸通りに植えられた椰子の木は、夏の海を背景にして眺めてみても、やっぱり、どこか寒そうで可哀想だし、沖縄のクリスマスに樅の木を飾っても、サンタクロースさえ、赤いショートパンツで、トナカイの絵のついたサーフィンに乗ってやってきそうだから、全然、似合わない。だから結局、ナントでは、石畳も大陸の一部であり、そこに降り積もる枯葉も、大陸性の気候に適応した植物なのだろうと、さんざん、遠回りをしながら、ある意味、あたりまえの結論に到達した。

  こんな風に、いつも、なんだかんだと果てしもない疑問を立ち上げている私は、あちらこちらを歩きながら、自分なりの答えを探してみる。そうこうしているうちに、2006年も明け、日も少しずつ長くなってきた。しかし、2月という短いのに寒い、何となく半端な月を乗り越えないと、春の足音は、まだまだ聞こえてこない。それに、北緯47度の冬の夜明けは、随分遅い。東京は、日本でもかなり東にあり、日本の標準時が東経135度の明石(東京は、東経140度)であることも手伝って、冬至の頃でも、6時ごろには明るくなってしまう。6時半には太陽が昇ってくる。当初、フランスの朝8時が真っ暗で、街路灯も点いているのに遭遇した時は、本当に、何かの間違いかと思ったくらいである。だからやっぱり、春は待ち遠しく、出来れば、どんどん夏になってほしい。そういうわけで、1年中、うちの中では、裸足にビーチサンダルを履いている。どんなに足が冷たくても、靴下が嫌いだから、どうにもならない。靴下とスリッパを試したことはあるが、5分くらいで、靴下は、どこかに脱ぎ捨てられ、スリッパは、サンダルに履き替えられていた。これには、ちょっとだけ、木枯らし吹き荒ぶ江戸の街を、着流し1枚で歩いている、〈江戸っ子の粋〉みたいなものもないわけではないが、しかし、基本的に、夏が大好きなのである。だから、やっぱり、どんどん夏になってほしい。  (fevrier 2006)

蔦の葉に 情念絡み 壁熔かす 
今年の業(ごう)の 燃え尽きるまで
カモメ 詠

石壁を燃え上がらせる、蔦の紅葉


緑から紅、そして紫紅へと染まっていく、 蔦の紅葉


プラスチックのように肉厚の蔦の葉


大きな蔦の葉が紅葉し、小さな葡萄色の房が生っている。



東京=本郷にある、水道公園の池に散ったモミジ
和菓子のような、佇まい。



本郷から御茶ノ水に向かう、ビル街の紅葉
都会の喧騒の中でも、静かに赤い。



街路樹のマロニエが紅葉する東京=御茶ノ水


28cmのスニーカーと並んだ、マロニエの落ち葉



ナントの紅葉見所スポットの御案内
- Paris-Monparnasse(モンパルナス)駅からTGV Le Croisic(ル・クロワジック)方面行きに乗ってNantes(ナント)下車(Parisからは、約2時間)

- Nantes駅北口で、Tramway(トラムウェイ)の1番に乗ってBouffay(ブウフェ), あるいは、Duchesse Anne(デューシェッス・アンヌ)で下車すると、ブルターニュ大公の城と大聖堂のある地域は、もう目と鼻の先。
このあたりは、中世からの古い石畳や、石壁がのこっている。

- Nantes駅北口で、Tramway(トラムウェイ)の1番に乗って3つめのPlace du Commerce(コマース広場)でトラムウェイ2番線に乗り換え4つめのLa Motte Rougeで下車。 停留所の向かい側に、蔦の絡まった石壁が、すぐ見える。
ここから、L’Erdre(エルドル)川を左手に、1停留所戻ってくると自転車専用レーンの隣を歩きながら、街路樹の紅葉も楽しめる。 川の中州の、L’Ile de Versailles(ヴェルサイユ島)も散歩にお勧め!

- Nantes駅北口で、Tramway(トラムウェイ)の1番に乗って 3つめのPlace du Commerce(コマース広場)で 11番のバスに乗り換え、Jean V(ジャン・サンク)下車。
バス停前のMusee Dobree(ドブレ装飾品博物館)一角は、 18世紀の面影をのこす地域。博物館の庭に散る紅葉もきれい。

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