ナントの町から、フラメンコ舞踊家“銀翼のカモメさん”からのお国便り。



セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
第七話
枯葉降る、石畳
**前編**
2006.01
エッセイ・リストbacknext

  夏が好きで、海が大好きな人間にとって、秋から冬に向かって季節が移ろう時期は、心理的にも、なかなか難しいものがある。日毎に、街中が少しずつ色褪せて、だんだんモノクロに近づき、ついには冬になってしまう。しかも、真冬になってしまってからの、ほとんど絶望的に春の到来ばかりを待ち望む期間は、さらに大変で、毎年のことながら、未来永劫、冬が続くのではないか?と、心配になったりする。そういう私にとって、北緯47度のナント(Nantes)の冬は、極めて深刻な問題である。それでも、温暖な北大西洋海流と偏西風の影響(第5話 《クレヴ・カールという砂浜 = 前編》 参照)で、日本近海の北緯47度よりは、遙かに暖かい。だから、地面が凍結することも滅多になく、むしろ、雨が多い。天気がよければ凍結し、ちょっと暖かければ雨になってしまう、このどちらかの選択肢しかないのであれば、雨っぽいナントの冬は、私にとっては、多少、ポジティヴと言える。しかし、冬が長いことに変わりはなく、どんなに首を長くしても、なかなかやって来ない春を待つのは、至難の業(わざ)である。

 そんな、ある年の秋の午下がり、「今年もまた、寒くなるなあ !」と、嘆かわしい気持ちでエルドル(L’Erdre)河畔を歩きながら、ふと足元を見たら、石畳に散った枯葉が、奇抜な模様を描き出しているのに気がついた。予(かね)てから私は、石畳というものに、かなり、〈西欧世界〉を感じている。ごつごつとした、重い石のブロックを組み合わせて道を造っていくという根気の要る作業には、すべてが石の上に構築され、すべてが石から始まっていった、ヨーロッパという重く厚みのある空間の概念が、それさえもまた、石のように、硬く凝縮されているように思えるからである。絵葉書などで見る分には、美しく、お洒落に足元を演出してくれているヨーロッパの石畳。しかし実際には、歩きにくく、足は疲れ、靴は痛み、車は大きな音をたてて、揺さぶられる、決して快適なものではないのである。同じ距離を、同じ靴で、同じような天気の日に歩いたら、東京のアスファルトの道のほうが、ずっと楽である。が、この国の人々は、古い石畳の道を工事した後も、再び、新しい石畳を組み合わせていく。おそらく、それは、彼らにとっては当然の仕事で、道というものに、歩きやすさや、車の振動の軽減と、それに伴う騒音の減少を追求しようなどとは、思ってもみないのだろう。このへんの、何とも無意味な頑固さも、またヨーロッパである。

  こんなきっかけで、私は、自分の靴の周囲に描き出された、意外な枯葉模様を追ってみることになった。すると、石畳に落書きをした、数々の落ち葉の色彩の妙技は、何気なく、しかし完璧に、〈頑固なるヨーロッパ〉という概念を演出していることに、気がついた。そして、〈枯葉降る、石畳〉というテーマで写真を撮ってみたら、何か面白いものに遭遇しそうだと、思えてきた。実際、そういう、何らかの目的意識を持って歩いてみると、毎日のように見ている、あたりまえの景色が、全く異なる意義を持って、私の眼前に、滑らかなスライドのように映し出されていった。街角の至る所に、アート感覚溢れるコンポジションが、それこそ枯葉のように無造作に、堆(うずたか)く積もっていたのである。北半球に冬将軍の偵察隊が密かに訪れ始めるような、どうにもやりきれないこの時期、せめて、路上の枯葉アートでも追い駆けてみたら、ちょっとした気分転換くらいにはなるかも知れない、という気もしてきた。こんな風にして、私は、しばらくの間、そのテーマの追求に熱中した。

  石畳というのは、たいていの場合、同じ材質の石で構成されているが、数種類の異なる石のブロックが組み合わさっている場合もある。したがって、よく見ると、微妙に変化する石の表(おもて)が、思いがけない色彩の混在を創っていたりする。さらに、同じ石畳でも、日によって、天気によって、時間によって、様々に変容していることも見えてきた。また、石畳の一部が、道路標識になっているのもあった。たとえば、エルドル川に沿って、トラムウェイ(tramway)が走っている地域は、一部、自転車用の散歩道(piste cyclabe)が並行しているので、自転車と歩行者のレーンを区別するために、ちょっと大きめの近代的な石畳に、≪自転車マーク≫と≪歩行者マーク≫が彫られている。その地面の標識は、幾何学的に単純化された自転車を描いているだけなのに、何となく面白い。確かに、自転車というのは、アクセサリーになったり、クリスタルの置物になったり、色々なオブジェに成りきってしまうモチーフのようである。そういう発想の自由を可能にしてくれるのは、この乗り物独特の、二輪車としての抜群の機能性であり、且つ、そのシンプル性には、十分、アートとして独立し得る、機械的な美が内在している。そのうち、是非とも、<街角に置かれた自転車>というテーマで、写真を撮ってみたい、と考えながら、今回は、石畳という舞台を奔放に演出していく、紅葉、そして、落ち葉に焦点を絞り、その色彩にどっぷりと浸かってみた。この沢山の落ち葉をミキサーにかけてみたら、秋色ジュースが出来そうなほどの、ちょっと華やいだ紅葉は、侘びて、寂びて、枯れていくのではない、1つの季節の、きらきらとした、華やか過ぎる幕引きのようでもあった。舗道を埋め、階段に吹き溜まり、次々と宙に舞う枯葉は、木々の枝々を離れて、土に還っていく寸前であるにも拘らず、ヨーロッパというキャンバスに、その絵の具をしっかりと置きながら、ふてぶてしいほどに、コンティネンタルな厚みと強さを彷彿とさせていた。

  この季節になると、しばしば長雨に見舞われるナントの街。2-3日降り続いた、しとしと雨の上がった後には、濡れて、少し色の濃くなった石畳が、乾いている時とは異なる趣で、通りを覆(おお)っている。そこに、はっきりとした黄色の落ち葉が、思い思いの方向を向いて貼り付いている。風に吹かれ、雨を吸い込み、ついに路上に舞い散った落ち葉の数々。偶然のみが成せる技で、幾千の葉が、一枚一枚、地面に置かれていく。しかし、その地面に額縁を置いてみたら、どの額も、インスピレーション溢れる絵画として、見事に完成している。自然のみが創り出すことのできる、無心で、際限のない芸術である。黒い石と、黄色い落ち葉。天真爛漫な色遊びは、楽しくて屈託がない。これを、そのまま布地に染めたら、大胆なプリントになってしまう。枯葉なのに弾力性を感じさせる。落ち葉なのに、自己主張がある。秋色の柄なのに、強い個性で着こなさないと、布地に着られてしまう。勿論、ジュエリーはゴールドだろうか? ゴールドの放つ重厚な輝きのヴォリューム感が、やっと、この強い枯葉を制してくれるのかも知れない。

  一方、乾燥した、風の強い天気が数日続いた後は、街も石畳もすっかり乾いて、硬質な灰色の仮面に、その表情を隠している。そして、ちょっと埃っぽいような匂いが、空気の粒の中に浮遊している。そんな日は、石の表面を隠すほどの勢いで、赤い大きな葉が乱舞している。迸(ほとばし)る激情のように、エネルギッシュに降り積もった落ち葉模様は、落葉(らくよう)を舞い終えて、猶、あり余る力の置き場所に躊躇(ちゅうちょ)しているが如く、軽い、密やかな空気の動きさえ、すぐに捉え、再び、舞い上がる。赤い模様の変化(へんげ)は、いつ尽きるとも知れず、冬色に透きとおった空気をバックに、動きのない灰色の街並みを、冷やかし、からかうように、舞い、遊び、跳ね踊る。くるくると廻る色彩が、もっと速く、もっと狂おしく、その最期の舞いの頂点に達した時、重なり合う色は、冬という季節の溶鉱炉の中で、焼かれ、飴色に熔け、自身の陽炎(かげろう)の中でゆらゆらと揺れる。その、寒気(かんき)の中に立ち昇る、茫洋とした熱さを、薄い、蝉の羽のようなジョーゼットに染め上げたらどうなるだろう? それを何枚も重ねて、際限なく打ち寄せる波のように、裾まで連なるドレスに出来ないだろうか? 素肌を流れる、ジョーゼット。ひんやりと、繊細な、繊維の感触の中に、溢れ出さんばかりの熱い想いが、優雅に封じ込められている。そんな布地に身を包んだら、燃え尽きかねている、赤い枯葉の熱が、身熱となって、この身を焦がしてしまうのだろうか?こんな想像をしてみると、冬という季節は、その芯に燃え盛る、赤い情念の炎を、氷の壁に、冷たく閉じ込めているのかも知れない、と思えてきた。その炎が、熱ければ熱いほど、冬は、いっそう白く、春に向かう灰色のトンネルは、さらに長いのかも知れない。

  何世紀も間、絶え間なく通過してきた、色々な形の足跡を受け止め、高低さまざまな足音を吸い込み、石と石との隙間に、緑の苔を生やしながら、西欧の石畳は、今日も、冬色の空を眺めて横たわっている。この、辛抱強いヨーロッパの顔に、毎年、新しい皺が刻まれていく。偶然の思いつきから始まった石畳探訪によって、私は、謀らずも、些細な事象にさえ、明確に反映されている《西欧》世界というものについて、思索するきっかけを得たようだった。 ( janvier 2006)

長雨に 濡れた街路は 秋煙(けぶ)る 降りしきる葉に 西欧繚乱
カモメ 詠

自転車専用レーンの標識


歩行者専用レーンの標識



雨に濡れた石畳



濡れた石畳の階段に、枯葉散る


濡れた石畳を、様々な枯葉が彩る


乾いた灰色の石畳に散る、赤い落ち葉


Duc de Bretagne(ブルターニュ大公)の城の近く
おそらく、中世から残っている街路の一つ。
無数の足跡、無数の足音を吸収してきた 石と石の間に、緑の苔が生している。
苔の緑もまた、雨に濡れて、しっとりしている る



ナントの紅葉見所スポットの御案内
- Paris-Monparnasse(モンパルナス)駅からTGV Le Croisic(ル・クロワジック)方面行きに乗ってNantes(ナント)下車(Parisからは、約2時間)

- Nantes駅北口で、Tramway(トラムウェイ)の1番に乗ってBouffay(ブウフェ), あるいは、Duchesse Anne(デューシェッス・アンヌ)で下車すると、ブルターニュ大公の城と大聖堂のある地域は、もう目と鼻の先。
このあたりは、中世からの古い石畳や、石壁がのこっている。

- Nantes駅北口で、Tramway(トラムウェイ)の1番に乗って3つめのPlace du Commerce(コマース広場)でトラムウェイ2番線に乗り換え4つめのLa Motte Rougeで下車。 停留所の向かい側に、蔦の絡まった石壁が、すぐ見える。
ここから、L’Erdre(エルドル)川を左手に、1停留所戻ってくると自転車専用レーンの隣を歩きながら、街路樹の紅葉も楽しめる。 川の中州の、L’Ile de Versailles(ヴェルサイユ島)も散歩にお勧め!

- Nantes駅北口で、Tramway(トラムウェイ)の1番に乗って 3つめのPlace du Commerce(コマース広場)で 11番のバスに乗り換え、Jean V(ジャン・サンク)下車。
バス停前のMusee Dobree(ドブレ装飾品博物館)一角は、 18世紀の面影をのこす地域。博物館の庭に散る紅葉もきれい。

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