ナントの町から、フラメンコ舞踊家“銀翼のカモメさん”からのお国便り。



セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
第六話
クレヴ・カール(Creve-Coeur)という砂浜
**後編**
2005.10
エッセイ・リストbacknext
(前篇からつづく)
  さて、再び、水に入っていくと、急に、周囲の音が、私の耳に戻ってきた。水は、珊珊(さんさん)と揺れ、その水面で、太陽は、ゆらゆらと遊んでいた。わずかな時間に交わした、城壁との、無言のディアローグ(対話)の間に温まった皮膚を、もう一度、ひんやりとした感触で飲み込んだ大西洋は、次の入り江に向かって、私を駆り立てていった。この日、泳ぎ始めた時にはすでに、海はひき始めていたのかも知れない。少し張り出した海岸線を泳ぎ抜け、その向こうの入り江に着く頃には、大小の岩が、ごつごつとした、黒い姿を見せ始めていた。水面下に隠れた岩にぶつからないように、砂浜から離れて、泳いだ。だんだん大きくなっていく岩肌に、カモメが1羽、また1羽と降り立ってきた。あっと言う間に、15羽近くが舞い降りて、羽を休めている黒い岩を右手に見ながら泳いでいくと、カモメも私をじーっと見ていた。カモメの顔を近くから眺めてみると、イワシやアジを、さぞ沢山食べているのだろう、という感じの顔をしていた。鳥の顔なのに、黒潮を勢いよく上ってくる、細長く、光る魚のように、流線型なのである。そう言えば、フランスで、新鮮な魚を売っている、いい魚屋さんでは、店員さんが、皆、流線型の魚を食べている感じの顔をしている。そして、肉屋さんは、確かに、分厚い肉を常食にしているような、逞しい顔をしている。少なくとも、私には、そう思える。「きっと、食べ物で、顔付きも変わってくるのだろう。」などということを考えながら、岩の間を縫うように泳いでいくと、もう足が、水底の海藻に触れる程、潮は引いていた。

  これ以上泳いでいては、岩にぶつかって危ないので、ゆっくり歩きながら、平らで大きな砂浜(= ベルヌリー・アン・レの、一番大きな海水浴場)を目指した。見る見るうちに、水は引き、黒い岩々が、ベージュ色の砂浜を占領していく。結局、1,5kmくらい泳いできたのかもしれない。それで、水から上がってみると、随分、体が冷えているのに気がついた。夏休みっぽい嬉しさのあまり、つい忘れてしまっていたのだが、ここはやはり、北緯47度の大西洋である。さて、どうやって体を温めようか?泳いできたわけだから、バスタオルも何もない。そこで目に留まったのが、特別黒く、大きな岩で、それは、少し傾きかけた太陽に向かって、文字通り、磐石(ばんじゃく)の構えで立っていた。あの岩なら温かいかも知れないと、よじ登ってみると、ちょうどいい具合に温まっていた。その岩の温度と、やわらかい西日に挟まれて、私は、体の裏表をゆっくり温めることにした。瀬戸内海の凪のように、風の全くない午後だったから、太陽は、私の肌を舐めるように温め、そして、乾かした。帰りは、歩いて帰ればいいのである。これから、海はもっともっと引いていき、「海は、どこへ行っちゃったの?」と思うほど、遠くまで水がなくなってしまうのだ。果てしなく遠浅のブルヌフ湾は、急激に乾き、柔らかく濡れた海泥と無数の岩だけの景色になっていった。その、水のない海に、黒い海藻が、忘れがたい記憶の苦しみのように、執拗に纏(まとわ)りついていた。そして、一日の終わりに向かって、残る力を振り絞るように燃えさかる太陽は、遠ざかる海を、もっともっと乾かしていった。

  そんな周囲の、<一日に二度起こる砂漠化>のような自然現象の中で、私は、快適な甲羅干しを続けていた。すると、黒人の男性が、真っ白い歯でニコニコと笑いながら近づいてきた。何かと思ったら、「今、何時?」と、訊かれた。バスタオルもないのだから、時計などある筈もないのだが、「大分、引き潮だから、きっと5時半くらいかな?」などと、いい加減なことを答えてみた。彼は、またニコニコと笑って、大股で去っていった。そして私は、体を干し続けた。岩は温かく、太陽はやさしく、私は、少しまどろんだ。やがて、カモメが啼いた。そして、そっと目を開けると、陽は、西陽になっていた。北緯47度でも、西陽というものは、やっぱり強く、沢山の黒岩を射るように照り付けていた。私は体を起こし、背中についた、ごつごつとした岩の痕を擦りながら、出発地点のクレヴ・カールに向かって、歩き始めた。岩の凹みや、砂に染み込んだ水は温かく、潮溜まりに反射する西陽は、キラキラという音をたてていた。さっきまで、グロ・セル色の水の中に隠れていた、水底のすべてが西陽に晒(さら)され、どんどん乾いていく。乾きながら、景色は、全く別のものになっていく。一日に二度も、ヒタヒタとすべてを飲み込む満潮。一日に二度も、すべてを乾かしてしまう干潮。地球が奏でる、大きな大きなバイオリズムの持つ、巨大な力。岩や砂の、様々な感触を足裏に感じながら歩いていると、「人間は、確かに、この寛大な地球の上に、住まわせてもらっているんだな!」という感じがしてきた。寛大で、賢い、地球という大屋さんの、単なる店子に過ぎないのである。しかも、水と、火と、土と、空気を与えてくれたのも、地球である。それなのに、私達は、この地球の声に、真剣に耳を傾けたことがあるだろうか?きっと地球は泣いている。むせび泣いている。そして、烈火の如く、怒っている。それが、津波になり、山火事になり、地震になり、そして、台風となって、店子達に牙を剥き始めてしまったのではないだろうか?

  裸足の皮膚に、<地球>の感触を沁み込ませるように歩きながら、クレヴ・カールの浜まで戻ってくると、そろそろ、西陽が夕陽になる時刻だった。夕陽は美しい。そして、夕焼けは荘厳である。夏の宵、西の海に沈んでいく、赤い朱(あか)い夕陽が、私は大好きだ。この、説得力ある、絶対的で、壮大なスペクタクルを前に、人間は、いかに自分達が無力であるかを、思い出すべきなのだろう。今日も、もうそろそろ、この素晴らしい、空と太陽と海の競演を見られる時刻になってきた。ベルヌリーにある、沢山の釣り場や釣り小屋は、すでに、油のように熱いオレンジ色に染まっている。コールタールで真っ黒な釣り小屋は、オレンジ色の油の中で、さらに黒く焼けていた。漆を塗り重ねたより、もっともっと黒いベニヤ板に触れたら、板と手の平が擦りあう音も、やはり艶消しの黒だろう、などと思っているうちに、黒いタールは、極限の黒に近づいていった。その間も、陽は、刻々と傾き、オレンジ色の空気は、朱々(あかあか)と炎上した。次の瞬間、無限の光の洪水の中に浮かび上がった黒い釣り小屋は、沈黙の影絵と化した。そして夕陽は、私自身を、深淵まで貫いた。その、何ものをも灼(や)き尽くしてしまう、強烈な温度を浴びていると、その熱が持つ、強靭な素直さに洗われ、余計なものなど、一切、いらない気がしてくる。結局、つまらないことを考えても、何の役にも立たないし、人間が考えつく程度の微々たる計りごとなど、太陽は、すべてお見通しであるという感じもしてくる。きっと、こんな感覚から、太陽礼拝というものは生まれてきたのだろう。沈み往く夕陽の崇高なまでの美しさに飲まれていると、確かに、こういうものを神様と言うのかもしれないと、思えてくる。だから、地球を信仰し、太陽を礼拝するのは、自然の摂理に叶った、人間としての、単純で、重要な在り方の一つなのではないだろうか?しかし、何故か人間は、闘いが好きである。奪い取ることをやめない。そして今、人間は、奢れる者になってしまった。次から次へと襲い掛かる、自然災害は、〈盛者必衰の理〉みたいなものかもしれない。ドイツのエルンスト・ブルッホ(Ernst BLOCH)という哲学者は、「歴史は繰り返さない。だが、何かが歴史にならなかったところ、歴史をつくらなかったところでは、歴史はまるごと繰り返す。」と示唆したそうである。私達人間は、今、何かを考えなければいけない、そして、何かを省みなければいけないのではないだろうか?今まで自分達が、地球の寛大さに甘えて、乱暴に地球に課してきた、あまりにも多くの不条理な負担が、これから、少しずつ、人間に還ってくるのだろう。そういう現実を、人間達の、あまりにも浅はかな歴史として認識しなければ、地球はもう、人間を許してはくれないのだろう。それももう、遅すぎるのかもしれない。


干潮時のブルヌフ湾:
遠浅の海岸は、すっかり乾き、釣り場だけが、橋のように林立している



干潮時のベルヌリー・アン・レ:
プレジャー・ボートが、乾いた砂の上に横たわっている



大西洋に沈む夕陽



熱いオレンジ色に染め上がる釣り小屋


沈む西陽に浮かび上がる、影絵のような釣り小屋


引き潮の浜に鏤(ちりば)められた貝殻の数々:
アート感覚溢れる、自由奔放な作品である



ラ・ベルヌリー・アン・レ(La Bernerie en Retz) へのアクセス
- パリ・ンパルナス(Paris-Monparnasse)駅から、TGV、ル・クロワジック(Le Croisic)方面行きに乗って、約2時間。ナント(Nantes)駅下車。
- ナント駅で、ポルニック(Pornic)方面行きのTERに乗り換え、約1時間。
ラ・ベルヌリー・アン・レ(La Bernerie en Retz)駅下車。
- 駅から、街の中心までは、徒歩15分くらい。街までくれば、もう海岸線は、すぐそこ。 海岸線に沿って、プロムナードも新設されているし、ドゥアニエ道(Chemin de douaniers = 海岸線をパトロールした税関職員の通り道) という、古い小径も、自然の中に残っている。
少しずつ散歩しながら、隠れた入り江や、趣の異なる砂浜を満喫できるのも楽しい。

(N.B.)
大西洋に面した海岸線には、実に沢山の砂浜や入り江があり、救護所のある海水浴場にはLife-guardが待機し、遊泳可能(緑色)や遊泳注意(オレンジ色)の旗も立っている。
しかし、小さな入り江の続く、このクレヴ・カールのような砂浜には、ほとんどの場合、救護所も何もないから、そういうところで泳ぎたい人の安全管理は、すべて個人の責任、ということになる。
特に、この辺の海水は、どんなに温まっていても22-23℃を超える事はなく、私達が、真夏の太平洋(日本近海)などで経験している海水浴とは、勝手が違う。
が、その野性的海岸線は、美しい。
だから、どうしても泳いでみたい方は、水温、干満の時刻、気温と水温の差などに、くれぐれも御注意を!

  夏の宵、西の海に沈んでいく、赤い朱(あか)い夕陽を、最後の一点まで見つめながら、私は、地球に許しを請いたいと思った。これほど愚かな人間達を相手に、太陽は、明日もまた、一生懸命、昇ってきてくれる。そして、潮は満ち、潮は引き、またゆっくりと満ちていく。私は、地球という、大いなるものを信仰し、太陽という、絶大なものを礼拝してみようかと、ふと思い始めた。自分が、地球に間借りをしている、一店子に過ぎないという、古来絶対の事実を忘れないために。

(octobre.2005)
釣り小屋を 影絵と化して 陽は沈み 海岸通りは 惜夏(せきか)に佇(たたず)む
カモメ 詠

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