ナントの町から、フラメンコ舞踊家“銀翼のカモメさん”からのお国便り。



セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。

第二十二話
カリブの青い風を見た街、Paimboeuf
(=パンブフ)
**後編**

2008.1
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(中編から続く)
Passage Dupraud ( パッサージ・デュプロー )という、天井の低い、歪んだアーチ型の抜け道に入ってみた。狭い空間なのに、両端が開いているし距離が短いので、意外な開放感があった。と言うより、すぐに開放されることがわかっているから、閉鎖空間の感じがしないのだろう。で、本当にすぐ、向こう側に出てみると、そこも、<猟師の家>風の建物が両側に建ち並んだ、こじんまりとした通りだった。同じようなサイズの建物が、やはり、ちょっとデコボコに、そして、パステル系の多色刷りで連なっていた。その連なりは、緩やかにカーブした道の、ずっと向こうまで続いていた。パンブフがナントの外港になる前(17世紀以前)は、この辺も、本当に猟師の家ばかりだったのだろうが、外港というステイタスに輝いていた時代には、ありとあらゆる人間が住んだのだろう。船の乗組員とか港湾労働者ばかりでなく、港湾事務所の役人達、交渉屋、仲買人、居酒屋の女将、宿屋の亭主、金物屋、ロープ屋などの船の備品屋、そして、様々な職人達・・・。熱い夢を追い続ける、人間達のカオスが、2世紀近くも、この小さな港町に渦巻き、その、究極の反映を支え続けた。

時代の熱気、という渦に巻き込まれ、誰もが、時代の寵(ちょう)児になることを夢見て、住んだ街 = パンブフ・・・。大型帆船が入港する度に、いつか成功しよう、一山当てよう、と思い、港で働き、船に乗り組む。失敗しても、また、明日やり直せばいい。チャンスはいくらでもある。パンブフは、異国の富と宝が四六時中流れ込む、ナントの外港だったのだから。地球のマグマのような、ドロドロと熱い、赤い熱病の中で、パンブフの誰に、その外港としての地位を、St.Nazaire (サン・ナゼール)に奪われる日が来ようなどと、想像できただろう?何しろ、パンブフのほうが、15kmもナントに近いのだから・・・。それは、文化が爛熟を極める江戸時代絶頂期、誰が、徳川幕府の崩壊を予期し得ただろう?という感じに似ている。しかし、やがて、<菊は栄える 葵は枯れる 西に轡(くつわ)の音がする>ようになり、時代は明治維新へと流れていったのである。

ロワールが、パンブフに土砂を運び続け、川床は次第に浅くなっていった。その間、世の中も変わった。1819年に<奴隷貿易>が廃止された。しかし、<奴隷制度>そのものは、まだ存続している。だから密貿易が横行し、奴隷価格の高騰を招いた。結局、フランス領における<奴隷制度廃止>は、1848年であり、最終的に黒人奴隷の密貿易に終止符が打たれるには、1863年1月の、リンカーン<奴隷解放宣言>を待たねばならない。が、1819年以降、この暗黒貿易は、その終焉に向かって、残りのページを大急ぎで捲(めく)っていったのだろう。そして、17世紀以来ずっと、黄金の季節風を満身に受け、神々しく輝いていたパンブフの風見鶏は、この歴史の転換期に、クルッと廻ってしまったきり、もう、もとの位置には戻ることはなかった。

一方、サン・ナゼールは、港としての整備を進め、1861年には、造船所が創設された。les Freres Pereire (ペレール兄弟)による、Chantier de Penhoet (ペノエ造船所)である。奇し くも、奴隷解放宣言と同じ時期である。やがて、ペノエ造船所は、les Ateliers et Chantiers de la Loire (ロワール造船所)と合併し、1955年、Chantier de l'Atlantique ( シャンティ エ・ドゥ・ラトランティック = アトランティック造船会社 )になった。この造船所は現在、 世界でも有数の規模を誇り、大型客船のみならず、軍事輸送船やタンカーも製造可能な造 船所となっている。最近では、Queen Mary II(クイーン・マリー2世号)を建造し、洋上 に送り出している。客船の造船期間中は、随時、見学なども行っている。ところで、船は、 出来上がったら注文主に届けるわけだが、2-3年前、Miami(マイアミ)に届ける船の内装 が終わらず、納期に間に合わせるために、サン・ナゼールから、マイアミまで航行しながら 工事を終わらせて、船内で働いた人達は、飛行機で帰ってくる、という話を聞いたことが ある。マイアミ行きの仕事に、応募者が殺到したそうである。

さて、パッサージュ・デュプローの隣にも、いくつかの小さなパッサージュが並んでいた。漁師も船員も、あちこちの通りから、どんどん港に集結できるような、街のつくりになっていたのだろう。朝な夕な入港する大型船に駆けつけるために、みんなここを通り抜けた。誰よりも早く、異国の富を享受するために、駆け抜け、通り抜け、桟橋に押し寄せた。今日の現実と、明日の成功を繋(つな)ぐような夢のパッサージュを、毎日毎日、走り抜けながら、カリブの太陽に想いを馳せ、その想いに灼かれた。いつの日か、もぎたてのライムのように青いカリブの風に吹かれながら、恋のように熱い太陽に抱擁されながら、甘い異国の果実を食べてみたい。海を越えて渡来した、ラム酒のように芳醇な夢が、高いマストの下で、毎日毎日、大急ぎで熟成していった。そして、目覚めればまた、パッサージュを走った。今日も、すでに新しい荷が待っている。

現在、パッサージュの内壁には、<朝市>、<病院>という矢印があり、<市の立つ日に、自転車を放置しないように!>、などと書いてある。今でもみんな、ここを通り抜けて生活しているのだ。かつてのような、熱情迸(ほとばし)るパッサージュではないけれど、静かな日常を、穏やかな岸まで運び、水平線のように平らなドンジュの遠景と繋いでいる。この小さなパッサージュを通して眺めてみると、パンブフの水は確かに、川というより海に近いブルーだった。向こうに広がる、豆粒のようなドンジュを、何となく水平線に置き換えてみたら、その構図は、狭いパッサージュの中で、ぴったりと収まった。朝靄(もや)のたちこめる日、この遠景は、空と混ざり、水と混ざって、巨大なブルー・グレーになるのだろう。水っぽい、ぽたぽた滴るような水彩絵の具を、太い大きな刷毛に染み込ませて、天空を塗ったような色。クリアな部分に、不透明な色彩が飴のように混ざり合っている、ベネチア・ガラスっぽい、texture (テクスチュア = 材質)。白くて、ちょっと灰色がかった、薄いブルー。その、温度のない、追憶の味のする飴色の中では、水平線も、地平線も、すべてが、涙の中に映る景色のように滲んで、混在していた。

水っぽい薄いブルーに向かいあって、もう1度、小さなパッサージュに入った。この微細な空間が、タイム・トンネルであることを、再び、無言のうちに期待した。そして、岸に向かって戻っていった。戻りつつある私達は、製油所のあるドンジュに向かい合っている筈なのに、それは見えていなかった。私達は、大型帆船の入港に沸き返る、絶頂のパンブフを見ていた。短い短いパッサージュの中で、少しずつ岸に近づきながら、私達の耳には、街の賑わい、人のどよめきが聞こえてきた。そして、周囲の空気は、次第に熱くなり、赤くなり、密度の濃い熱風が、私達を飲み込んでいった。さっきまで、薄いブルー・グレーだった、パッサージュの出口は、オレンジ系の色彩で染まっていた。今度のベネチア・ガラスは、クリアな部分に濃い赤と、オレンジと、レモン色が捻(ひね)りこまれていた。それは、異国の果実の色だった。ホーン岬を廻って流れ着いたのかも知れない、一瓶のラム酒のように芳醇な、熱帯の果実の味だった。

パッサージュを抜けると、人が溢れ、叫び、笑い、怒号の中に、陸揚げされたばかりの荷物が、往き交った。麻の袋に詰められたコーヒー豆が香り、この魅惑的な珈琲色の豆を育て上げる、新大陸の広大な土地を想像させた。青いまま海を渡り終えたバナナと、甘い香のサトウキビは、ナント行きの船に積み替えられた。ロワールをナントまで遡ると、L'Ile Beaulieu(ボーリュ−)島という島がある。その島には、今でも、バナナの倉庫(バナナは後熟の果実なので、収穫後に、かなりの時間、熟成させて出荷する。が、この倉庫が出来たのは20世紀初頭になってから。これは、別の機会に、詳しく御紹介する予定)が保存され、製糖工場 (1935年には、巨大砂糖企業のBeghin Say = ベガン・セの精製工場になっている)も、稼動し続けている。18世紀中頃、ナントにはすでに22の製糖工場があり、サトウキビは、植民地からの輸入品全体の、実に60%を占めていた。19世紀にも尚、海上貿易高の50%を砂糖に依存していた海運都市ナントにとって、砂糖は、その経済発展の基幹産業だった。1813年に起こった、綿花(これも、植民地の物産)の価格暴落が、ナントにおける、砂糖の国際的大企業 = ベガン・セの誕生に繋がっていくのだが、それもまた、別の機会にお話したい。こんな風だったから、当時は、ナントの岸という岸で、パンブフからの積荷をリレーして来る船を待ち、荷の揚げ下ろしがあり、そこらじゅうに港湾人足がいて、街じゅうに船員達が溢れ、河畔には、毎晩、彼らを待っている娼家の紅い灯が連なっていた。しかも、ナントは<西のベニス>だったから、ナントまで到着した荷物は、さらに小型の船に積み替えられて、この街を縦横無尽に巡る運河で、さらに広範な地域に運ばれていったのだろう。

私達は、その熱い空気の中に立ち続けた。そこでは、強すぎる香が、さらに個性の激しい香を呼び、そのぶつかりあいが、蠱惑(こわく)的なラムの酔いの中で、蘭(ラン)の花のように、濃く熟成していった。北赤道海流に乗って、カリブから流れ込む夢に溺れ、自分を賭けた、沢山の人間達の息遣いが、間近に聞こえてきた。私達は、「これが、パンブフの艶姿(あですがた)だ!」と思った。奴隷貿易という、暗黒の1ページとともに、黒いダリアのような大輪の花を咲かせた《歴史の仇花》ではあっても、それは、一つの街が、自分の思うままに、その時代を存分に生きている、美しい映像だった。登場人物すべてが、熱病に浮かされたように、今日のために、明日のために、アドレナリンを最大限生産し続けながら、毎日を送っている、限られた<場の論理>の中で、最大限に美しい、一つの時代の雄姿だった。もしかしたら、この、地球という星の大気の中には、すでに過ぎ去った時代の様々なsequence ( = シークエンス)が、常に、どこかに存在しているのかも知れない。それを見たいと思う人間の気持ちと、見せたいと思う、この星の周波数が府合した時に、ふっと見えてくる瞬間があるのかもしれない。あるいは、あまりにも見たかったために、見えている気がするのかもしれない。いずれにしても、この日、この時間、私達は、自分達の神経のアンテナを、精一杯、18世紀のパンブフに合わせようとしていたのだろう。

やがて、赤い映像の温度は下がり始め、熱波は過ぎ去った。そして今度は、古い映画のような、セピア色のパンブフが見えてきた。大型帆船の3本マストは、入り陽(ひ)に染まり、すでに、青いライムの香る風をいっぱいに受けて、カリブに向かって出港しようとしていた。人々が集い、歌い、着飾った女性達が、馬車を降りてくる。つばの広い帽子の羽飾りが風に揺れ、シフォン・ジョーゼットをふんだんに使った衣装の衣擦れに、男達の夢は、華やいだ。そして船は、静かに岸を離れ、サン・ナゼールに向かっていく。優美な船体を、尊大に滑らせながら、大西洋の潮のまにまに、あと15km細く長く流れ続けるロワールを下っていった。真白い帆が、西陽(にしび)に燃えて、雅(みやび)な金襴を織り上げる。その船尾が、少しずつ小さくなるに連れて、私達のセピア色の画面も、儚(はかな)く、淡く、かそけき線描になり、密やかなデッサンのように、小さな額縁に収まってしまった。そして、パンブフは、もとのパンブフに戻った。ネコ一匹歩いていない、日曜の午下がりだった。パンブフは、歴史の舞台裏で、相変わらず、長い午睡をむさぼっている。

私達は、この小さなパッサージュを離れて、岸に近づいた。大西洋は、さらに引き潮になっていて、護岸の石畳が露出していた。黒い海藻が吹き溜まり、太い鎖が、カフェオレ色の泥にまみれていた。私達を、かつてのパンブフに繋ぎとめる、鎖のようだった。そのカフェオレは、カプチーノのように、泡立てたミルクたっぷりのタイプで、その昔、麻の袋に入って、このパンブフに着いたコーヒー豆を想像させた。それをローストして挽いたコーヒーは、どんなに薫り高かったのだろう?新大陸から持ってこなければ、コーヒー豆もサトウキビもなかったのだから、<コーヒーを飲む>というのは、大変な贅沢だったに違いない。ボーリュー島で寝かせたバナナは、どんなに甘かったのだろう?そんなことを思いながら、ロワール終着駅の水面を眺めていた私達の影も、大分長くなっていた。やがて陽は落ち、濃いブルー・ブラックが、ひっそりとパンブフの上に降りてくる。今度のベネチア・ガラスは、透明感ある夜のブルーで、そのクリアな帳(とばり)の中で、ドンジュ製油所は、天然ガスを燃やしていた。でもパンブフは、もうしばらく、歴史舞台の袖で眠っていたいのだろう。向こう岸のドンジュが、「おーい、パンブフ!もう1度、一儲けしないか?」と、揺り起こすまで・・・。だから、パンブフにとって、ドンジュの夜景は、フラッシュを焚かないで撮った夜の遠景のように、ぼんやりしている。今はまだ、夢のまた夢、なのだから。

時は移り、人は変わっても、そういうもの全部が、大気の中に浮遊する、微細な粒子となって、どこかに存在続けているのではないだろうか?この<パンブフ散策の日曜日>、私達は、そんな漠とした印象に包み込まれながら、ブルー・ブラックなパーキングに戻った。ポップなオブジェのように真っ赤な205 ( ドゥー・サン・サンク)は、フルッと身震いをして、私達を迎えた。秋の日の夕刻、私達を待っていた車は、ちょっと冷えていて、「待たせすぎたかな?」と、心配になった。しかし、夫がキーを回すと、車は、一回で力強く、ブルルルンッとエンジンを回し始めた。その、軽快で頼りになる音を聞いて、私達は安心した。つまり、205の望んでいた答えに、私達が出会って帰ってきた、ということらしい。そして真っ赤なボディーは、ブルー・ブラックな空気の中を、意気揚々と発進し、グランプリを走る車体のように、felin ( フェラン = ネコ科の動物のような、ジャガー、ピューマが獲物を待っている感じ)な姿勢で、這うように、ロワール沿いを滑って行った。後には、夜のしじまに融けて滲んだ、想い出のようなパンブフが、いつまでも横たわっていた。

私達は、何も言わず、ナントのavant-port ( 外港 )を後にした。

(decembre 2007)


トンネルを 抜けて世紀を 遡(さかのぼ)り 
ベネチア・ガラスに 夢捻りこむ
カモメ詠

Passage Dupraud(パッサージュ・デュプロー)の入口。

パッサージュ・デュプローの岸側から、裏通り側を見ると、陽のあたる小道の温度感が伝わってくる。

パッサージュ・デュプローの内壁を支える太い柱は、解体した船の木材をリサイクルしたもの。鍛冶屋が鍛錬して作った釘も使われている。ここに並ぶいくつものパッサージュには、17-18世紀当時の建材がそのまま保存されていることから、パンブフの歴史遺産の、特色のひとつになっている。

パッサージュ・デュプローを抜けると、小さな通りに猟師の家風の建物が密生している。高さも揃わず、思い思いのペンキで塗られ、正面もデコボコしたファジーなパステル調が、狭い通りにずっと続いている。

夏休みの終わりを思い起こさせる、心もとない薄緑。その向こうに、もうしばらく遊んでいたい、海が、静かに、ブルーに、横たわっている。向こう岸のドンジュが見えても、やはり、ここから見えるブルーは大西洋の色をしている。

四角い、無機質なパッサージュ。しかし、トンネルの向こうには、いつも陽光が弾けている。対岸がこれほど遠い、パンブフは、陽当たりのいい街なのかも知れない。

《朝市広場》、《病院》、《朝市の立つ日は、自転車の放置禁止》、と書かれた、パッサージュの内壁。静かな日常と、平らな水平線を繋ぐ、パッサージュ。


やさしい薄緑の向こうに、大西洋のブルーが広がる。 ここに朝靄がたちこめる日は、遠景のドンジュは飲み込まれ、水平線の滲んだ空まで、大洋続いていくのだろう。〈朝靄に 追憶寄せて 波返す〉と詠みたくなる水っぽいアクアレルみたいな朝かも知れない。


《Belem》 = べレムという、3本マストの大型船。パンブフの栄光の時代が過ぎ去った、1896年に建造され、1914年まで、カカオ、コーヒー、砂糖を新大陸から運び込む商船として活躍。その後、豪華ヨット、練習船になるなど、色々なキャリアを経て今、ナントに置籍している船。現存する最古の3本マスト。こんな船が、パンブフには、朝な夕な、入港し、出港していたのだろうと想像すると、それだけで、心のべネチア・ガラスが融け始める。(この船のお話は、また今度!)


カフェオレ色の川泥に、太い鎖が露出している。引き潮は、いつもは隠れている忘れられた映像を蘇らせるのだろうか?太い太い、錆びついた鎖に青い苔が生え、黒い藻が繁殖し、鎖の形をも隠していく。その執拗な強さに、歴史の固執を想い、そこに、無抵抗に舫われていく自分達を発見した。そして、このカフェオレ色が1914年まで、カフェ、カカオ、砂糖を運んだ3本マストの船〈Belem(べレム)〉に、思いを馳せる、意外なきっかけになったのである。

パッサージュ・デュプローを抜け、再び岸に戻った私達の影。18世紀に想いを馳せながら熱い空気に翻弄されていた、ついさっきまでドンジュの街は見えていなかった。今、再びブルーグレーの遠い対岸に、製油施設が林立している。天然ガスを燃やす炎を見ながら、21世紀という現実の中で、私達の影は、次第に長く、夕暮れ色を帯びて、伸びていった。


夜の帳(とばり)の降り始めたドンジュ。高い煙突が目立つ時刻である。燃える天然ガス、原油価格の高騰、 エタノールの台頭、そんな世界の動きとは、全く関係ないところでパンブフはまだ、歴史の片隅で、日曜の午睡をまどろんでいる。だから、近い将来、パートナーになるであろう、ドンジュの遠景は雨降りの景色を、窓を通して見るように、ぼおっと滲んでいる。


長い航海を終えて、カリブから帰港する、3本マストの船を、昼も夜も待ち続けたパンブフの灯台。今宵も、どこかで消息の途絶えた船を待つかのように、静かに、辛抱強く明かりを、点滅し続けていた。


ベネチア・ガラスのような、透明なブルー・ブラックの夜が、ゆっくりとパンブフに降りてくる。パーキング・エリアの近くに、大きな碇が置いてある。インクを流したようなブルーの中で、碇の輪郭が、十字架に似ていた。錆びた碇が暗闇に横たわる、必要以上の重さから過ぎ去った栄光の時代、数え切れない人間が大西洋の藻屑と消えた、大航海時代への鎮魂歌が、聞こえてきたようだった。


Paimboeuf (パンブフ) へのアクセス
I) Paris - Monparnasse(パリ・モンパルナス)駅から、TGV Atlantiqueの、 Le Croisic(ル・クロワジック) 方面に乗る。Nantes(ナント)駅下車。(約2時間) - Acces Sud(南口)に出ると、Hertz(エルツ), Europe Car(ユーロップ・カー),Avis(アヴィス)などのレンタカーの支店が並んでいるので、車を借りる。レンタカーを借りたい場合は、基本的に、出発地で予約しておいた方がいい。 - 駅は、ロワール川の右岸にあるので、川中島のL'Ile Beaulieu(ボーリュー島) を通って、さらに左岸まで移動する。左岸に入ったら、Pornic(ポルニック)、 St.Brevin(サン・ブレヴァン)方面を目指す - サン・ブレヴァンの手前で、Paimboeuf(パンブフ)方面が表示されるので、 それに従って進む。ナントから、車で約40分。
II) Paris - Monparnasse(パリ・モンパルナス)駅から、TGV Atlantiqueの、
Le Croisic(ル・クロワジック) 方面に乗る。
St.Nazaire(サン・ナゼール)駅下車。(約2時間45分)
- 駅で、レンタカーを借りる。
- サン・ナゼ―ルは、ロワール川の右岸にあるので、Le Pont de St.Nazaire
(サン・ナゼール大橋)を渡って、左岸に来る。
- 左岸に入ったら、東に向かう。程なくPaimboeuf(パンブフ)の表示が出てくるので
それに従う。サン・ナゼールから、車で約20分。

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