パリの街を移動するなら、まずお勧めの一番は歩くこと。なにしろ街の規模は東京とは比べ物にならないほど小さいし、建物は美しいし緑も多いから、散歩にはうってつけである。だけど、もちろん、用事や約束であちこち移動するには乗り物が必要だ。その時はバスがお勧め。理由は外が見られるから・・・とやはり景色の美しさは何回も強調したい。
しかし、本当のところ、一番便利なのは地下鉄である。
「地下鉄道」という発想はパリにもかなり昔からあったらしいが、実際に世界で初めて地下鉄道を作ったのはロンドンであった。1863年のことである。それから、ニューヨーク、ベルリン、ウィーンなどなど・・・時の大都市には次々と地下鉄が生まれ、パリが遅ればせながら参加した(ポルトマイヨーとポルト・ド・ヴァンセンヌを結ぶ1号線の開通)のが1900年7月、万国博覧会開幕3ヶ月後のことであった。
その後、第一次世界大戦がはじまる頃(1914)にはパリ市20区内には現在とほぼ変わらない地下鉄道網がしかれ、その後20数年間で周辺地域、現在‘パリ’と呼ばれる地域にまで広がった。当時メトロポリタンと名づけられたこの鉄道はいつの頃からかメトロと呼ばれるようになった。私の、そして多くの日本人観光客の活動範囲をしっかりカバーしているこの地域は料金も均一であり、乗り方、乗り換え方、降り方を一度マスターしてしまえば、本当に便利な足である。
その後、1970年ころから首都圏高速交通網として延長、増幅され、蛸足のように次々と伸びたメトロで、空港やベルサイユなどへも行かれるようになった。もっとも、郊外に出れば、ほとんど地下にはもぐらないが・・・。
しかし、しかし、である。本音を言えばあまり地下鉄には乗りたくない。
理由は明快。スリも多ければ、テロもないわけじゃないからだ。それに、1号線と最新の14号線を除けば、車両は汚いし、くさいし・・・。と悪口はいくらでもある。
ずーっと昔、まだ大学生だった頃、地下鉄のジターヌ(タバコの名称)の香りがパリを感じさせる・・・なんてロマンティックなことを言う友人もあったけど。アランドロンが犯罪者で刑事の追跡を逃れて、ホームに飛び込み、刑事の目の前で大きなポルティヨン(ホームと通路との境の扉:現在は全く使われていない)が閉まる・・・なんてかっこいい映画のワンシーンもあったけど。残念ながら、今はただの大都市の乗り物。
それでも、もし、楽しみを見つけるとしたら?
それは、昔も今もほとんど変わらない、地下鉄の音楽家たち。車両の中を移動する妙に陽気な連中はほとんど物乞いと変わらないが、乗り換え通路や大きなターミナル駅のコンコースなどに陣取って、一生懸命に演奏している音楽家たちの中にはさすが芸術の国・フランスと思わせる人もある。
彼らに出くわすのは運次第だけれど、一度、音大の現役生たちの室内楽が通路の先から聞こえてきたときには足取りも軽くなった。そして、彼らの前でその曲の終わりまで立ち尽くした。
約束がなかったら、もうちょっと聴いていたいのに・・・という想いを胸に立ち去ったのは、私だけではなかったと思う。