パリ大好き人間の独り言、きたはらちづこがこの街への想いを語ります。



セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
第19回  ラントレ   2004.09 エッセイ・リストback|next
 9月に入るとまた、パリがパリになる、と私は感じる。グランド・ヴァカンス(夏休み)を終えた人々が一斉に戻ってくるからだ。商店もひさびさにシャッターを開け、マルシェ(街頭市場)にも活気が戻る。女たちは、小麦色の肌を自慢げに、そして過ぎた夏を惜しむかのようにいつまでも素足のままで靴をはく。実はかなり気温も低いのだけれど・・・。
 日焼けした子供たちの顔が輝いている。久しぶりの学校が嬉しいのだ。その中に不安そうに親の手を握るおちびさんたち。朝と夕方、学校の近くに行けば、そんな光景が目に入る。日本の4月の、桜吹雪の中の新鮮な高揚感にも似た表情がこの国にもある。

  「帰る」「戻る」「元に戻す」「また始める」といった意味を持つ動詞rentrerは、フランス語を勉強する人なら初心者でも知っている単語だ。「これからどうする?」「私は家に帰る」・・・なんて、ごく当たり前の日常の会話でしばしば使う。この簡単な動詞を名詞にした形、つまり「帰ること」「戻ること」「再開すること」という意味を持つRENTREEは新年度のことも表す。ラントゥレ。そう、ながーい休暇を終えたフランス人が皆日常に戻る時、この国の学校は新入生を迎える。

  そんな新年度だから、「日本にも似た表情」とは言うものの、実はかなり趣は異なる。まず、「ピッカピカの一年生」という、あの弾けんばかりの明るさではない。何となく老成していると言ったら、フランス人は怒るかもしれないけれど、何しろ、「入学式」とか「始業式」とかがあるわけではないから、初日も、まるで昨日の続きというように、始まる。
 新入生とはいえ、日本のようにまっさらの教材やお道具箱やらがどっさり、というわけでもない。「皮のランドセル」も存在せず、鞄と言えばビニールコーティングの布製の、中に何も入れなければぺっちゃんこになってしまうような横長のリュックだから、新品もお古も大して変わらないのだ。最近は、ショッピングバッグのような、ごろのついた小さな「引く鞄」もお目見えして、「重い荷物を背負うより、健康に良い」とは売り手の言い分。

  しかし、新入生の気持ちはどこの国も同じらしい。特に初日の幼稚園には、親から離れるという初めての‘環境’に泣き叫び、しゃくりあげる幼子の姿がちらほら見える。今はもう髭面の我が家の長男も、泣きはしなかったが、情けなそうな目をして、私の手を握っていたっけ・・・。
 「3歳にもならない子が朝8時半から午後4時すぎまで‘学校’(フランス語では幼稚園も大学も同じ‘エコール’という単語で表現される)に行くなんて!」日本の両親が知ったら、反対しただろうな。幼子の社会生活第一歩を晴れがましく思う気持ちと同時に、少し複雑な心境の私だった。同じ年に生まれた子供達が9月に新入生になる。つまり、息子のような、10−12月生まれは学年のおちびさん。だから一年遅らせて入学させる親も少なくない。ましてうちはフランス語を母国語としない、外国人だ。

  その時、ふくよかな体型の、担任のマダム・シャスレがくりくりした金髪を揺らしながら、「さあ、いらっしゃい。一緒にお絵かきしよう?」とやさしく手を差し伸べてくれた。眼鏡の奥の青い瞳が笑っている。息子は私の手を放すとすーっとマダム・シャスレの方に寄って行った。
 「またあとでね」息子を教室に残して立ち去る私は、大仕事を終えた時のような、ちょっと熱っぽい感覚を覚えた。新入園児たちの名前と写真がずらーっと張り出された廊下をゆっくり歩き、エコールの玄関のところまで来ると、ガラスの扉に張られた紙の上のRENTREEという文字が目に入った。この言葉のもつ深い温かさにあらためて気づき、私の心は和んだ。
 この季節になると、私は、あの20年も前の日を昨日のことのように思い出す。私は新米の「新入生の母親」だった。


息子の幼稚園時代のもの。
エコールのお祭りで、3歳児はピエロになりました。
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