パリ大好き人間の独り言、きたはらちづこがこの街への想いを語ります。



セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
第36回  丘 2007.01エッセイ・リストbacknext
 「馬鹿と煙は……」という表現があるが、おりこうさんでもおばかさんでも、きっと、人間は高いところが好きだと思う。「いや、高所恐怖症の人は駄目でしょう」という声も聞こえないわけではないが。
 確かに飛行機に乗るのが大嫌いという人も多いし、摩天楼など興味ないという人もいる。実際、‘恐怖症’というほどではないにせよ、私も子どもの頃、学校の屋上の金網の側などは、あまり好きではなかった。だから、俯瞰の眺めも、ほどほどの高さがいい。手を伸ばせば届きそうな下界、というような高さ。そう、「丘」と呼ばれるようなところ。
 そんな高さに憧れて、私は時々上を見る。せいぜいが8階建てのパリの建物の、そのまた上に広がる空を含めた景色を見ては、やさしいため息をつく。ぜひとも丘には登りたい。

 人間は、やっぱりいつの時も「高いところ」が好きだったのだ。(と、独断と偏見で無理矢理結論付けていますが)
 フランス人の祖先ともいうべきパリシイ人は、北の丘にローマ神であるマルスとマーキュリーの神殿を作った。高いところには聖なるものが相応しい。この北の丘ではその後キリスト教のサン=ドニの伝説が生まれ、「殉教の山」という意味のフランス語が転じて「モンマルトル」と呼ばれるようになったのだが、20世紀初頭にサクレクール寺院が建設されたことを考えても、人々の深い思いを受け止める包容力のようなものが「丘」にはあるのだと思う。
 そしてこれも昔々のお話だけど、王妃マルゴー(アンリ2世の娘でアンリ4世の最初の妻)によってプレ=オ=クレール修道院から追い出された小修道士たちは、シテ島から南の方角に見える丘にしばしば集い、詩作に励んだ。
 こちらはモンパルナス。パルナス山――ギリシャ神話のパルナソス――芸術の神であるアポロンとミューズたちが住んでいたという山の名前を、修道士たちはこの丘のために頂戴してしまったわけである。憧れずして、なんでこの名をつけられようか。
 残念ながら、現在のパリ市では、モンパルナスの‘地形の高さ’を感じることは全くできない。「タワー」というパリ市内には珍しい高層ビルがモンパルナス駅の上にあるにはあるが、これは人工物。私の興味はそこにはない。セーヌの南の傾斜を感じたいのであれば、むしろ、ノートルダムから南にまっすぐ伸びるサン=ジャックの通りを、地図上では南に下がる(実際にはだらだらと上る)ほうが「高いところ」を体感できる。これがスペインのコンポステラへの巡礼の道の始まりだということも想えば、余計にそのなだらかな傾斜が意味あるものにも感じられるし……。

モンマルトルの丘 サクレクール寺院

サン=ドニの殉教

 そんなこんなで、馬鹿と煙状態の私が、ある日、何げなくパリの地図を見ていると、端のほうに、虎の爪のような緑の形があるのに気がついた。緑に塗られているのだから公園ということは一目瞭然だ。しかも、名前に「ビュット」、まさしくフランス語の「丘」という言葉がついている。私の胸は高鳴った。丘に登れるかもしれない!!

 公園は、19区、パリの北東に位置し、なじみの薄い地域にある。ふらっと散歩で行かれるようなところではないから、私は夫を誘った。近くまで車で行き、公園に沿った一方通行の狭い傾斜の道に止める。人影はない。いまにも雨が降り出しそうな灰色の空と、石の塀が何となく私たちを不安にさせた。街中の、いつもなじみの公園は黒い鉄柵で囲まれているのに、どうしてここは石塀? 墓地じゃあるまいし。
 自信なげに少し歩いたところで小さな入口を見つけ、私たちは中に入った。森と言ってもよいような木立の中に道がある。それは微妙に傾斜し、なだらかに曲がり、まるで秘密の王宮へ通じる小道のように、私たちを中へ中へと導いた。
 どこをどう歩いたのだろうか、いつの間にか少し広い道になり、ジョギングの人とすれ違った。犬を散歩させる人もいる。小さな広場で太極拳を舞うグループの動きが、パリであることを忘れさせた。このなんとも不思議な緑の空間に慣れてきた頃、ふと見上げると岩山があった。
 ごつごつした岩肌の、火山から生まれた溶岩のようなオブジェだ。近づけば、上がるための石段もあり、上はご多分に洩れず、見晴台となっていた。
 広い公園には池もあれば小さな滝もあり、妙に盛り土がされ、色とりどりの花が咲く小山もあった。ギプス作りのための石膏を採ったという岩山を中心とする、パリとは思えないビュット・ショーモン公園の、変化に富んだ景色は十分に魅力的で、私たちは、新しい発見を素直に喜んだ。

 ところで、この丘はよくよく調べてみると、かなり‘人工的’に作られたものでもあるらしい。単なる岩のごつごつした禿山――「モン・ショーヴ(フランス語で禿山という意味)」が転じて「ショーモン」――だったものをナポレオン三世とセーヌ県知事オスマン公が自分たちの趣味で「パリ市の美しい丘」に変身させたとのこと。
 ああ、またもや彼らにしてやられた!!



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