川の流れには、人の心を揺さぶるものがある。
窓からセーヌが見える所に、私は住んだことがない。
セーヌはおろか、隅田川だって多摩川だって、神田川さえも(東京生まれの東京育ち!)、傍に川を感じるような地域に住まいがあったこともない。“だから”なのか“だけど”なのか・・・、川には特別の思いを寄せる。川を肌で感じれば、憧れとか、懐かしさとかいった感情とは別の、もっと大きな深い思いが体の底からふつふつと湧いてくる。
私のそんな「川体験」は主に日本の深い山の中だ。
時々訪れる山あいの温泉宿では、沢を流れる水の音を聞きながら露天風呂につかるという贅沢が許される。「あぁ、極楽!」と、おじさんみたいなせりふは、口にこそ出さないけれど、気持はどっぷり昔の樵(きこり)のようで、一日の体の疲れをいやしながら、静かに目を閉じる。そうすると、いろいろなことを思い出す。
林の中を散歩すれば、姿を見せないせせらぎに、心躍らせる。そして、その冷たさや、透き通る水の底の色とりどりの小石を想像してみたりする。車だとか人だとか、現代の空気を忘れさせる山にあって、私は川の音に「今」という時を感じ、そしてまた静かにものを考えて、そしてちょっぴり昔を振り返る。
セーヌには音がない。でも、セーヌ川の傍に来れば、私はやっぱり少し“おとなしく”なる。音のない川面を見つめながら、いろいろなことを考える。
別にさほど美しくもない、川の底など絶対に見えない、グレーとも深緑ともつかない水ではあるけれど、河岸を固める石垣や、その向こうに広がる古いパリの街並みや、そしてなにより、流れる水の上に架けられた橋のあるセーヌが、とても美しいと思うのだ。
例えば、ノートルダム橋の上に立ち、川の流れの行く先を見つめる。左にコンシエルジュの塔を据え、正面にポン・オ・シャンジュやポン・ヌッフが重なるセーヌは、やはりフォトジェニックであり、その美しさを堪能すれば、日本の深山と同じように、私の心は洗われる。
この街のもつ長い時の流れを素直に感じ、私たち人間が綴る歴史の流れを思う。そしてまた、歴史の一こまとなる一人ひとりを想う。アポリネールじゃないけれど、「橋の下、セーヌは流れる」わけである。
パリ市を流れるセーヌ川には、現在、30本あまりの橋が架かる。
「新橋」以降、1600年代初頭にいくつかの橋が建設された。しかし、全部合わせてもわずか10本くらいの時代――本当は、広がり続けるパリに橋の建設計画が何度も持ち上がったようだが、資金難で実現しなかったとのこと――は1世紀半にも及んだ。
次に建設ラッシュが来るのは、1789年の革命の頃からで、20世紀の幕開けまでのおよそ100年の間に、すべての橋が建設された(正確には、1960年代に、さらに自動車専用橋が2本加わった)。
これらの橋の中で、一番のお気に入りは? と聞かれたら、ちょっと困って、私はこう答える。
「ポン・デ・ザールとビル・アケム橋」
(アポリネールさん、ごめんなさい! ミラボー橋は大して好きじゃない)
ポン・デ・ザールは、訳せば「芸術橋」。ルーブル宮が美術館として使われ始めた直後、19世紀初頭に建設された橋である。橋自体は木の床で、歩行者専用。名前にあやかろうというのか、天気の良い日には画架を置き絵を描く人々もいて、それを見ながら歩いて渡るのがとても楽しい。
そして、もう一つの橋、ビル・アケム。
これは、橋の中では一番若い、1905年の作品だ。自動車と歩行者の橋の上にメトロという二段重ね。いかにも新しい時代を象徴するような、当時としたら、相当「近代的」な橋の様相だったに違いないが、それから100年が過ぎた今では、まさに「レトロ」な雰囲気をたくさん持ち合わせた、それはそれは美しい姿を見せている。
(次号に続く)