パリ大好き人間の独り言、きたはらちづこがこの街への想いを語ります。



セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
第59回(窓) 2011.12エッセイ・リストback|next
 


大きなマロニエの木の、緑重なる葉のわずかな隙間を通して薄日が差してきた。音をたてて地面を叩きつけていた夕立がいつの間にか霧雨となって、まるで天上から下りてきた蜘蛛の糸のように細く、きらきらと降り注いでいる。
まず飛び出したのは、ステファンだった。
「ほら、もうやみそうだ。僕はお先に失礼します」
「じゃ、そろそろ、行きますか」と、残る二人もまた、それぞれの方向へと去っていった。
「完全に上がるまで、私は、もうちょっと残ります」

電話ボックスくらいの「見張り小屋」に、私たち四人は避難していた。
そう、「避難」という表現がふさわしいほどの驟雨だった。
2011年8月のパリのある夕方のこと。その日、夕食まで少し時間ができた私は、リュクサンブール公園に出かけたのだった。
公園の端っこに一本の樫の木がある。それは、2001年に起きた悲劇《9.11》の犠牲者のメモリアルとして植樹されたものである。その若木が10年を経て、どのくらい生長しているか、是非とも自分の目で確かめたいと思っていたからだ。
日本でも《3.11》という大きな不幸が、今年押し寄せた。犠牲になった方々の鎮魂と、残された方々の、ひいては、日本の未来への希望を託して桜の木を植えようという運動に、私はほんの少しだけれど協力している。だから、桜ではないけれど、その樫の木にもう一度会いたいと思っていた。


自由の女神の隣の若木は、木のてっぺんを見上げるのにちょっと首が痛くなるくらい身長が伸びて、まだやせっぽちのひょろひょろではあったけれど、そして、今年の厳しい暑さに少し夏枯れしてはいたけれど、幼子の手のひらくらいのかわいらしい葉っぱをたくさんつけていた。
その樫の木を見て満足し、いつものように公園をひと回りして家路につこうかという頃、少し風が吹いて、空がどんよりとした灰色に覆われた。
「まずい」と思い、歩を速める。
が、何と言っても、公園は広い。西の出口にたどり着いた時には、大粒の雨が落ちてきた。このまま公園の外に出たとしても、雨宿りをするような場所はない。私は、門の横に植わった大きなマロニエの木の下で、雨をやり過ごすことにした。
マロニエはたくさんの枝を縦横に伸ばし、そこにはたっぷりと葉をつけている。だから、木の根元の地面は、いつまでも濡れずにあった。どうせ、すぐにやむのだから……と、私は、大きな幹にからだをもたせかけ、《トトロ》のワンシーン――傘をもって暗い道に立つあのシーン、あの時のトトロたちの表情が忘れられない!――を思い出しながら、この雨宿りを楽しんだ。
10分もたっただろうか。
雨は、止むどころか、ますます激しくなっている。近くの木の下の若者たちが、待ちきれず諦めたのか、あるいは、水遊びとでも思ったか、どしゃぶりの中に飛び出した。
乾いていた足元の地面も、いつのまにか色が変わり、周囲を見回せば、降り注いだ雨が川となって流れているではないか! 手にしたタオルで、肩もとあたりを拭いながら、私はうらめしそうに、見えない空を見上げてみた。

その時である。どこからともなく、声がした。
「マダーム! こちらへ来たらどうですかぁ?」
木立の先の、“川”の向こう、《ボックス》という表現がぴったりの小さな見張り小屋で、男性が手招きをしていた。
オフホワイトのパンタロンの裾が濡れてしまうのを躊躇することはなかった。このままでは、それこそからだ全体がずぶぬれになってしまう。私は、ぴょんぴょんと(気分だけは)、因幡の白ウサギのように“川”を越えて、小屋に飛び込んだ。



“先住者”の三人の男性が口々に言う。
「ここ、悪くないでしょ」
「さっきから、誰が迎えに行くかって、話してたんですよ」
「今日の雨はいささかひどい」
「プランセスを抱きかかえてお連れしなければって、ね」

こういうフランス語のやりとりが、とってもパリらしくて、大好きだけど、日本ではとうてい耳にすることのない会話かもしれない。日本の男性たちは、ダジャレはともかく、軽妙洒脱かつ微妙な表現はお得意ではないようだし。
皆が「どこの国の人?」と聞いてきた。
「日本人よ」
「やっぱりぃ!!」
なんと、“先住者”の一人は、テツと名乗る初老の日本人だった。いやはや、こんなところで、ご同胞にお目にかかるとは!
あとはインド人とフランス人。
それから、おもむろに自己紹介が始まった。もちろん、さらっと「名」を名乗るだけで、正式のものではないけれど、同じ「困難」を共有する者たちとしての、最低の礼儀のようなものかもしれない。
次に、私の職業は何か・・・を、皆が知りたがった。「何だと思う?」と私は答えをじらした。
「音楽家」「ファッションデザイナー」「教育者」……という声が上がったところで、私は、にやりと笑い、「ロンドンから来たのよ。ロンドンに住む、ただの主婦。時々、文章を書いている」
それから、いろいろな国の言葉の話になったり、名前の由来の話になったり、スペインの話になったり、欧州の経済の話題から、突然、株の話にもなったりした。



そして、15分も経っただろうか……、雨はだいぶ納まってきた。夏の夕方の太陽がまた、公園に命をふきかける。周囲がどんどん明るくなってくる。
「ここからの眺めがまた、格別なんですよ」
小屋を出る前に、彼ら――どうやら、雨に打たれてこの小屋に避難したのは一度や二度ではないらしい――が教えてくれた小さな円形にくりぬかれた窓の先に、凝縮された公園が、その緑の芝生と色とりどりの花壇と無造作に放り出された椅子とともに広がっていた。
その日から、それは、美しい風景を描き出す、私の秘密のカンバスとなった。

 



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