朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
星の王子をめぐって 5
heureusement のこと
2006.2エッセイ・リストbacknext

「トルコの父」ムスタファ・ケマル
LE PETIT PRINCEの和訳を話題にしてきた。その主旨は、誤解のないように断っておくが、あら捜しや品定めではなく、翻訳者によってどれほど違いが生じるか、したがって翻訳だけで原作を論評するのはいかに危なっかしい行為か、具体的に示すところにあった。
 今回、これを限りにと思ってとりあげるのもその延長で、第6章、王子の故郷と「私」が推測する小惑星をトルコの天文学者が発見したというくだりである。まず四種の訳をならべよう。
A) さいわい、B-612番の星の評判を傷つけまいというので、トルコのある王さまが、ヨーロッパ風の服を着ないと死刑にするというおふれをくだしました。
B) さいわい、小惑星B612の評判のために、トルコのひとりの独裁者が、国民にたいしてヨーロッパふうの服装をするように強制し、違反すれば死刑に処するというお触れを出しました。
C) 幸いにもB-612の星の評判はよかった。トルコの独裁者が、ヨーロッパ風の服を着ないと死刑にするというおふれを出し、
D) やがてトルコの独裁者が、ヨーロッパ風の服を着ない者は死刑にするという法律を作ったのは、小惑星B612の名誉のために幸運だった。
 例によって考証にくわしいBには注がついていて、この「独裁者」というのは年代的にみて、Atatürk、すなわち「トルコ人の父」と呼ばれるMustafa Kemal(1881-1938)にほぼ該当する、とある。彼が軍人としてオスマン・トルコを打倒したあと、祖国の近代化を強力に推進したことは史上に名高いが、反面、独裁者的に振舞ったことも事実のようだ。
 さて、史実との関連はいいとして、上の訳文を見比べたときに気になるのは 「さいわい」といい「幸運」というのが、何(あるいは誰)にとってなのか、四者四様ではっきりしない点である。原文によって、どうしてこんなに違いが生まれたのか、訳し方によってはすっきりさせることができるのか、検証することにしよう。
 Heureusement pour la réputation de l’astéroїde B 612 un dictateur turc imposa à son peuple, sous peine de mort, de s’habiller à l’européenne.
ついでに、原文により忠実なHoward訳を記す。
Fortuantely for the reputation of Asteroid B-612, a Turkish dictator ordered his people, on pain of death, to wear European clothes.

Niveau 2のイラスト例。
何箇所も掛持ちである点が面白い。
これはaider, complice, grâce àの3項に掲げてある。
見てのとおり、問題の鍵はheureusementにある。この語の用法を調べてみよう。それには白水社ラルース仏和辞典が役に立つ。
 これはもともと母語でない外国語としてフランス語を学ぶ人向けに編まれたDictionnaire du français langue étrangère(Larousse)---Niveau1とNiveau2から成る---をベースに、特に日本人向けに工夫された基本語辞典である。見出し語は約8000にとどまり、また語義の数もけっして多くはないのだが、そのかわり、各語の用法についての解説は類書に例を見ないほど詳しく周到で、示唆に富んでいる。(イラストがユーモラスで、それだけ見ても楽しい)
 なかでもheureusementのような副詞についてはI)構成素副詞とII)文副詞に分けて説明されていて、話し手が聞き手にどのように文を伝えようとしているか、そこに副詞がどのようにかかわるのかが、瞭然とする仕組みになっている。例を示せば、
 I) Il m’a clairement expliqué①sa position②. 「彼ははっきりと自分の立場を私に説明した」
 この場合、副詞clairementは「動作様態」をあらわすと説明される。なお、この位置のほか、①にも②にも置き換えることが可能という指示が付加されており、仏作文の際に便利である。
 II) Franchement, il m’énerve ! 「はっきり言って、あいつは勘にさわるよ」
 この副詞は「発話行為」、つまり話し手がどんなつもりで発話しているかを聞き手に示す意味があるとされる。文頭において、本文とは一呼吸あけるのが基本だが、文中や文末で、挿入句的に使うこともある。
 Il viendra certainement demain.「彼はきっと明日来る」
 ここでは「真偽判断」、つまり副詞によって文の内容の真偽や確実性に関する話し手の判断が表現される。位置は動詞の直後が基本だが、文頭・文末も可能、とある。
 さて、本題にもどろう。問題のheureusementがIIの「文副詞」であることは明らかだが、さらに後続のpour la réputation de l’astéroїde B612により、誰(ここでは何)にとって「さいわい」なのか、事態の評価がなされている点にも目をむけなくてはいけない。つまり、一度は天文学の国際学会で傷つけられた「小惑星B612の評判」だが、その名誉回復にとって「幸いなことに」という使い方なのだ。とすれば、上記の四訳のうち、Cは見当はずれだし、一見もっともらしいA・Bにしても、独裁者の措置がことさら小惑星のために行われたかのような誤解を与えるという意味で、誤訳のそしりを免れまい。要するに、文意を正しく捉えているのは、ただひとつDのみということになるだろう。
 なお、この副詞はheureux「幸せな」に接尾語-mentをつけたものだが、上記のI「動作様態」の例として当辞典があげている用例はつぎのケースだけにとどまる。
 Ce bâtiment est fort heureusement conçu et réalisé.「この建物は設計と施工が実にうまくいっている」
 L’affaire s’est heureusement arrangée.「事件はうまい具合に片付いた」
 裏をかえせば、Elle est heureuse. とはいうが、Elle vit heureusement. という言いかたは古くなり、現在はかわりにElle vit heureuse.を使うのだそうだ。当辞典にはこうした実際的で有益な解説が随所にちりばめられていることを最後にもう一度強調しておきたい。
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