朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
オバマ演説に学ぶ(1) 2009.2エッセイ・リストbacknext
 オバマ演説は大人気で、日本では就職学生が自己紹介のコツを学ぶために演説集を買い、CDを聴くそうだ。その人気にあやかって、ここでは、彼の就任演説discours d’investiture, ([英]inaugural address)をコラムの材料にしたい。仏訳は「ル・モンド」紙のものを借りる。手元にあるのは全体の3分の1ほど。でも当面の話題を拾うには十分だろう。

テレビで訴えるド・ゴール大統領
 まず注目は出だしの呼びかけ方。原文はMy fellow citizensで、日本の各紙は「国民の皆さん」と訳して、平然としているが、どんなものか。フランス語はChers compatriotesで、これも今や定着した感じだが、昔からそうときまっていたわけではない。私の記憶ではde Gaulle大統領はFrançaises, Françaisと語り出すのを常としていた。アメリカ大統領就任演説についてはあいにく予備知識がない。けれど、すくなくともBush大統領の2001年の就任演説はPresident Clinton, distinguished guests and my fellow citizens「クリントン大統領、来賓の方々、国民の皆さん」で始まっていた。(2005年の時はチェイニー副大統領ではじまり、最高裁長官、カーター・ブッシュ元大統領らの名が続いて、いかにも長々しいから省く。この時もmy fellow citizensは最後に位置していた)日本ではおなじみのスタイルだが、形式張らないアメリカにしたって前大統領まではこの呼びかけが普通だったということになる。とすると、呼びかけの革新だ。changement([英]change)という謳い文句は健在で、意欲はますます盛んだといわなくてはならない。
  そのつもりで読むと、大統領職のバトンタッチにかかわるつぎの文句の裏にも対抗意識のほとばしりが感じられる。まず、ブッシュ式を掲げる。彼は上の呼びかけの後、こんな文で演説を始めていたのだった。
  the peaceful transfer of authority is rare in history, yet common in our history.
 「平和裡の権限移譲は史上稀ですが、我が国では当たり前です」 以下に引くオバマ流は、これを下敷きにしていることは明瞭だ。(下線、太字の指定はいずれも朝比奈)
 Forty-four Americans have now taken the presidential oath. The words have been spoken (1)during tides of prosperity and the still waters of peace. Yet, every so often the oath is taken (2)amidst gathering clouds and raging storms.
 「これで(私を含め)44人の米国人が大統領の宣誓をしたことになる。宣誓は、(1)繁栄の高まりや平和な時にも行われてきた。だが、多くは、(2)雲が集まり、嵐が吹き荒れる中で行われた。」(朝日新聞訳による)
 むろん、2001年から2009年までの間にアメリカにも世界にも大変動が起こり、特に今アメリカが国家的危機にひんしている状況を踏まえているにちがいない。しかし、ここまで前任者との違いを際立たせたところには単なる個人的な確執を超えた狙いがあるはずだ。察するに、宣誓する大統領自身は当然だが、自分だけでなく、聞き手の「皆さん」もまた「雲が集まり、嵐が吹き荒れる中」にいることを確認するところから、演説を始めたかったということだろう。 そこで気になるのは前置詞のamidstだ。英和辞典を見たら、語のレベルとして[古・雅]の指示がある。オバマ氏はそれを承知でこの前置詞を使ったからには、「真っ最中」の意味をよくよく強調したかったのだろう。その意味では上の訳は不十分で、せめて読売新聞訳のように「ただ中」としたいところだ。

ブッシュ氏を見送るオバマ大統領夫妻 
写真 daily life より
  英語はこのくらいにして、仏訳にうつろう。
 Quarante-quatre Américains ont, avant moi, prêté serment pour la présidence. Leurs paroles ont été prononcées (1)pendant des vagues de prospérité et alors que nous vivions dans les eaux calmes de la paix. Cependant, en d’autres temps, ce serment a été prêté (2)alors que les nuages s’amoncelaient et que les tempêtes faisaient rage.
 先に進む前に冒頭の文に注意。これを和訳すると「私より前に44人のアメリカ人が大統領の宣誓をおこなった」つまり、オバマ氏は45代の大統領ということになってしまう。原文を補強するなら、和訳のように(私を含めて)y compris moi-mêmeとでもすべきだったろう。単なる早とちりか。それとも、現在完了形と複合過去形とは近そうでいて、微妙にずれている。それがこの誤訳を通じて表面化したということか。
  いずれにせよこれは極端な例だが、英語とフランス語の違いという観点から、上の訳文を見る作業に私たちを呼びこむ誘い水の意味はある。
 たとえば、昨年の12月号で指摘した英語の方が簡潔だという証拠がここにも見つかる。下線部を見比べてほしい。英語では(1)(2)とも<前置詞+名詞>の構文でコンパクトに書かれている。これに対し仏訳の方を見ると、(1)は前半こそ<前置詞+名詞>になっているが、後半は接続詞alors queを先立てた副詞節に変えられている。(2)にいたっては<前置詞+名詞>の構文はすっかり捨てられている。どうしてそうなったのか。私見だが、(1)の後半、すなわち(during) the still waters of peaceのところ、仏訳者は(pendant) les eaux calmes de la paixという直訳はあいまいだと考えたのではなかろうか。説明的に過ぎる嫌いはあるが、前掲の仏訳の方が分かりやすい。余談だが、和訳の「平和な時」には賛成できない。この演説の特色は強固な思想性とともに、旧約聖書を思わせるような詩的なイメージの豊かさにあると思うのだが、これでは講演者の意図を裏切ることになる。
 (2)については、軸を名詞から動詞に移したものと考えられる。gathering やragingという英語の現在分詞の活力を仏文に生かすにはこれが適切な処置という判断だろう。こうした品詞の変換という手法は仏文和訳にも応用できることは知っておいてよい。
 スペースの関係で次回に持ち越すが、前置詞during, amidstの補語がそれぞれ二つになっていることを見落とすまい。この二項立てについては後述する。最後に、太字の部分について一言。これはoccasionallyの意味(研究社大英和辞典)、従って仏訳はいいが、和訳は「時には」でなくてはならないだろう。さもないとアメリカに失礼になる。
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