オリガス先生が亡くなられました。先生のご葬儀は2003年1月末に、パリ郊外で行われました。そこに集ったたくさんの日本人。そして日本語を話し、理解する、フランス人。それら参列者がそのままオリガス先生の業績を語ります。そう、オリガス先生こそ、日本とフランスの架け橋となるべく、フランスでの日本語教育に一生を捧げたパイオニアであり、その死を惜しみ、最後のお別れを告げるべく集った人たちは、オリガス先生の意志を継ぐ愛弟子なのです。
大内さんがクラスの送別会の写真を送って下さいました。

懸命に日本文学や日本語を学ぶ傍ら、フランス語、文学だけでなく、フランス文化、西洋文明の真髄を日本の学生たちに伝えてくださったオリガス先生。その若き日の先生のお姿を東京外国語大学の教え子達が四十年前の記憶の糸を辿って鮮やかに甦らせてくれました。
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オリガス先生のプロフィール
ジャン・ジャック・オリガスさん65歳
(フランス国立東洋言語文化研究所日本語学科教授)26日、肺血栓のためパリ郊外の病院で死去。
フランスにおける日本語教育の第一人者として、多くの研究者を育成した。近代日本文学の研究分野を開拓し、夏目漱石、森鴎外、正岡子規らの文体論を研究、多くの日本語の論文を残したほか、フランス語で初の本格的な「日本文学事典」を編集した。61〜64年、早稲田大学に留学し、東京外語大の講師も務めた。99年に勲三等瑞宝章を受章した。
[毎日新聞1月28日より]
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オリガス先生が日本語を学んだ早稲田大学。
皆様のご協力をいただき、若き日のオリガス先生の日本でのご様子を浮かび上がらせることが出来ました。ありがとうございました。
この後、フランスに帰国された後のINALCO時代のオリガス先生の特集を企画しています。いまや伝説的ともなった、先生の鬼気迫らんばかりの熱のこもった授業風景、膨大な数の生徒の名前を全部記憶していられたということに象徴される、教育にたいする情熱等、日本とフランスの掛け橋として重要な役割を果たしてこられたパリ時代の思い出も載せて、先生のお姿を立体的に現わしてみたいと思います。また、日本での、東京外語以外のご様子も知りたいと存じます。ご投稿いただけたら幸いです。
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